1/04/2011

2011年の私

2011年の私への教訓 べし、べからず

1、今日出来る事を明日に延ばすべからず。
2、常に鏡で不満顔をしていないかチェックすべし。
3、喜怒哀楽の精神表現とは程よく、巧くバランスすべし。
4、他人の生活行動を自分の秤での基準判断を避けるべし。
5、出来ない約束や身勝手判断を下すのは極に禁ずべし。
6、どの時、状況にも愛情、哀憐の心を忘れるべからず。
7、生きることへの感謝の念を持って毎日を暮らすべし。
8、心平穏にして順応と寛容の心を忘れずべからず。
9、過去があっての今、今があっての過去であるのを知るべし。
10、試行錯誤は当たり前、若きを育て、古きを敬うべし。
11、物事に固執せず、物欲と私欲を制すべし。
12、今あるものを大切にすべし。
13、去るもの追わず、来るものを迎えるべし。

こう書き出すと、きりがありません。
私自身に言い聞かせなければならない事は山のように毎日の生活課題として常にあるのが現状であり、そして、毎日をこれらの教訓にそっているとは言えなない暮らしぶりになるのかも知れないと思いながらも書き出している自分が少々滑稽でもあります。

視力感覚と右膝に問題を抱えているせいか、最近よく足元がおぼつかなくて、あっちでドスン、こっちでドテンと転びます。
勤務先で“津波”だの“火玉”だのとおだてられて、仕事をかたずけてきたツケが廻ってきている感でもあります。

生活苦を背負っての生活というわけではないのに、何故この年令になっても勤務を続けているのかとよく人に聞かれたりします。
それは、漠然とした説明しかならないのかもしれませんが、私が自分自身以外の周りに目を向ける機会が必要だからとしか云いようが無いのかもしれません。
私が私に課する思いと、夫が、家族が、私個人に対する思いとでは微妙に差があるのは仕方がないと思っています。
内向性格の私ですので、悟りの境地などとは程遠い暮らしぶりの中にも徐々に自分と社会生活を相合させるというのが寛容なのだと心せねばなりません。

60才を迎えた頃から「まだまだァ」と20代、30代の人達と肩を並べて、いや、それ以上にバイタリティを発揮しては自己満足ぎみのいままでの私も数年前から特にこの過去1年に至っては、周りに目をむけて感じていた以前の様な焦りや憤懣をさほどにも覚えないようにトーンダウンし出し、他人ののらりくらりの仕事ぶりにも関せずという自分になってきており、年令相応に体力と心とが平均を保つのに態勢が出来上がってきているのを感じるようになりました。
そこには弱視でコンタクトをしている私の目に角膜離脱が起きだして、目の中にに黒い影の塊を数個見るようになったこと、手の指関節の変形や、腰関節の違和感や、そして右膝の屈伸困難などが表面化するに至って、老化現象による体力の衰えを認めざる得なくなってきたという現状を、生活行動を合わせざる得ない自分を認めたことにも因しているようです。

私の様な凡人ではない、ある立派な方が-当人は自分も皆も凡人であるとは言っておりましたけれど-こんな話をしておられました。
『なにを、たかが60代の鼻垂れ小僧が先を案ずるのか。今から始める人生というものもあるし、まだ先がずっと続いている。過去は頭の中に思い浮かべて見ることが出来るけれど、未来はその場その場で自分で演出して出来るものだから、それが良い事、悪い事を含めて全部がアナタという人間を造っている事に違いは無いしそれが生きると言う事なのだからね。』

2011年の私への最大の教訓は、上記に書き出した教訓どおりに生きて行くと言う事ではなく、こうして改めて自分の存在を意識し且つ、とてつもない大きい宇宙の一環であるのを知り思うことなのでしょう。