9/21/2011

おぞましくも悲しい出来事

常日頃から科学捜査や、犯罪心理学などに一通りの興味を持ち、最近の犯罪捜査に於けるその活躍ぶりにエールを送る一市民の私の周りで、最近起きた残虐な殺人事件について私達家族の日常生活に何らかの関連を持ったニュースとしてここに書き残したいと思います。
2010年12月に犯行が為された『フロリダ・ディビィ市バラバラ死体事件』と云われる、何ともおどろおどろしたその事件名からして恐ろしい犯罪であり、2010年末から明け翌年の当初はローカルテレビニュースや全国放映CNNまでが大々的に取り上げていたものです。
当の事件概要を最初に記しますと、2011年暮れ市の運河で釣りをしていた男性がセメント固めを錘にしたらしき人体の一部を発見、マイアミ犯罪捜査本部に通告したと云うもの。その後日フォートローダデル市周辺でも、胴体、顔を破壊された頭部、腕などがそれぞれ別の場所から発見され、それらの体の部分から身元確認と殺人犯逮捕が急がれたというものです。
ずさんな犯行計画が多くの証拠物件を残してのスピード逮捕となり、1月半ばには、その死亡被害者の友人Sが殺人及び死体遺棄罪で連行されたのでした。
この殺人事件がテレビで盛んに放映されていた当初はその事件と犯人Sが我が家には何らの関わりもないものと聞き流しており、まさかその当のSが私達家族の知人Sであるなどとは思いもよらず、名前が報道されても私はその時は声にさえ出して「あら、同姓同名の犯罪者かア。Sさんには傍迷惑な話だこと、この地区に居たなんてね」と笑ったものでした。
Sさんとはそうも深い付き合いがなかったものの、家族は10数年来の知人で、ある一時期には週3の割で顔を合わせていました。
私の知るS さんは、私の孫娘がバトンダンスグループの所属していた時の知り合いで、孫娘と同年の彼の一人娘の熱心なサポーター父親で、そしてその彼の裕福な散財ぶりからも誰もが知る人といった存在でした。
誕生会だ、発表会だ、州大会だ、お楽しみ会だ何だと、事あるごとに一人娘を溺愛し行動をするSは何時の時も自分の裕福さを豪語しており、彼の娘友達やその父兄やらの沢山の人がむらがり、私達家族の品粛をかっていたのも事実でした。
当時は幼い孫息子もバトン界でかわいがられていて、孫娘がその大きなバトングループを脱会するまでは、当たらず触らずの精神で付き合いを行使せねばならなず、孫娘もSの招待でリムジン送迎のパーティーに出かけたこともありました。
Sはいつの時も娘の行動教育に熱心でいつも一緒に行動するのが、当初30代後半から40で曰く「無職・退職者」である事に誰もが「彼の本職は?」と心の中で疑問に思っていたのでした。ボートを数台持っていてロブスター漁への貸し出しをしていて、レストランやその他の業界と親密であることから、マフィア繋がりで、密輸にも何らか関与しているのではとささやかれてはいたのでした。
容姿端麗、頭脳名先で、彼と同名の愛娘Sは10代にはブランド名のバックの中に常時数千ドルを携帯していて、欲しい物を欲しいがままに購入し、友人達を旅行やパーティーに招待するという日常でしたが、私の目にはその父親も同じくある瞬時には、セレブらしくないチグハグな部分が顔を覗かせるのが気にかかるところで、それが私が孫達をSの回りにはべらないように注意した理由の一つでもありました。
しかし、その時は別にS家族をどう思っての事でもなく、私個人思考の問題だったのかもしれませんが、孫達には富や権力にのみ従って群がるような人間になって欲しく無かったというのが私の心情でした。
人の目の前で札束をこれ見よがしにウチワにして扇ぐような生活をしていた彼ではありましたが、平常は周りの皆にも気配りをする好紳士然とした彼が何の原因であのような残虐極まりない犯罪に自ら手を染めたものかと色々な推測がなされるところとなりました。
聞くところでは逮捕時には数億もの借金まみれの生活であったといいます。そして逮捕の決め手の数多い証拠物件の一つに被害者のクレジットカードを使って娘の大学費用を支払ったり、自分の車のタイヤを購入したとあるのは、やはり一昨年の米国東海岸原油放流海水汚染事件に発端するボート使用不可状態から来る収入停止に因を発するものなのでしょうか。
保釈無し、無期懲役又は死刑の殺人罪に問われて裁判待ちの彼は今も無実を唱えていするといいますが、科学捜査による数々の証拠物件が彼の見方をしてくれるのは相当難しいと察しられる現状です。
彼の罪は罪として、彼の妻、娘Sを思うと心が痛みます。今彼女らの生活は天から地に堕ちたかの思いに違いありません。
おぞましくも、悲しい出来事です。

1/22/2011

カメニャンの朝


カメニャンの独り言

とにかく今はそういう問題じゃないのよね。
「シッ!静かに!もう少しはママを寝かしてあげようよ。ほら、新しい餌も置いてあげるから。」って下のダディに捕まえられて、二階から降ろされても、私、今は別段に空腹というわけでも、餌や水欲しいわけでも無い。
最近、ママは家にいる日と、そうでない日とがまるでゴチャゴチャの日程で、朝のうちに私を見ておいてもらわなければ、心配なんだもの。
ママのPC用椅子に寝てて、ちょこっとゲロゲロを出しちゃった事や、トイレの中でウエットシートの上でしたと思ったシーシーやプープーが、あちこちにはみ出しちゃったりしているのを、一応見ておいてもらいたいし、もうそろそろ朝起きの時間じゃないかなァ、と思って寝室ドアの前で声を掛けてみるの。
これでも、あ、もう起きてくれる頃だと一応は時間を見計らっての氣を使っているつもりなんだよ。
この時期は夜が長いのね。夕刻の今は外がもう真っ暗で、私も眠い。
それでも朝だと思ってママを起こしに行く時になっても、外はまだ暗くて、家の中も電気がついていないと真っ暗。
私の鳴き時計の針が早めにセットされているのかしらと思わないでもないけれど、体内時計の時間は確かだと思うんだ。

最初はあまり大声でなくて、ニャーニャー言って反応をみて、それからカリカリとドアをノック?するんだけれど、部屋の中に気配が感じられないと、少しお休みの間をあけて、それから、また今度はすこーしだけ声を大きくしてニャオ、ニャオと繰り返すわけ。
この、間をあけるという心使いが難しいところで、あまりせかしても駄目だし、ママの動く気配をキャッチするのも大事なの。
で、ママは必ず起きてきてくれる。「はい、はい、はい。さ、下へ行きますよ。」って。
でもね、動物年令で云えば、私よりずっと若いはずのママの動きは、最近はまるでスローになっちゃって、階段なんか私はちゃんとトコトコッと登り降り出来るのに、ママは手すりを頼りにヤットコラショッってな感じで、私は2度も3度も立ち止まって、待ってあげるの。
私は4本の手足がつかえるけれど、ママは足2本だけの歩行のせいかしら。とにかくスローモーションなの、最近の階段の上り下りは。
ママが誰か他の人が置いてくれた餌の側に、新しい餌缶を開けて皿にもってくれると私は礼を払う意味で、ちょっと舐め舐めしてみせるわけ。
そして、特別トリートのハムかターキーの固まりももらっている頃に下のダディがやって来て、私を思いっきり揺すってナゼナゼしながら必ず云うの。
「なんてオマエはブラット(わがまま)ニャンなんだ!ママをいつも起こしに行くのは如何してなんだ。甘えニャンなんだから!」とか「ファジーワジー(毛だらけ)、ニャンニャン!フラッフィー(柔らか)ニャンニャン!!」
無視されるのは、とっても嫌だけど、あんまり構われるのもちょっと問題アリって思う私は贅沢なのかな。
ママがシャーンぼくと話している内容によると、この家族は全員動物の毛や埃や何かにアレルギー症なんだって。
私も思ったんだけれど、じゃァ、私はもしかして人間や埃にもアレルギー症なのかもしれないなって。だって何時も鼻がムズ痒くて、クシャミが良く出るし、毎日ちょこっと体調が悪くてはゲーッってなっちゃうもの。
変な家族の一員のクッキーワンは蚤アレルギー症なんだって、ママが毎日皮膚をマッサージしてあげてるよ。
ビッグダディは何のアレルギーなのか私には良く解らないんだけれど、時々苦しそうにしているから、もしかして仕事でのストレスアレルギーなのかもしれないね。
朝は大抵遅くに起きてくるから、私がママを起こしに行くと、ビッグダディまでも目覚めさせてるのかもしれないと、ちょっとは気が引ける事もあるんだよ、これでね。ほんとうよ。
でもね、やはり私もママが起きてきてくれない時は、ママの具合が悪いのかと思って心配だし、ママも私がいつまでも寝込んでいると「今日はどうしたのオ~。眠いだけなのかな?ホイよ、大丈夫か~い?」って頭を撫ぜて様子を見にくるから、ここはお互いに朝の確認挨拶をするという事は大事なことなのかもね、きっと。
いつか、私もママも朝起きをしなくなるのかもね。そんな気が時々する。
ママ達の毎日の会話が何やら、それらしき健康や体調の話がよくでているようだし。
今のところは、皆の体調様子にあまり変わりが無いみたいだから、大丈夫だよ。
ね、明日の朝もママを起こしてあげようっと。
おやすみィ。Zzzzzzz

1/04/2011

2011年の私

2011年の私への教訓 べし、べからず

1、今日出来る事を明日に延ばすべからず。
2、常に鏡で不満顔をしていないかチェックすべし。
3、喜怒哀楽の精神表現とは程よく、巧くバランスすべし。
4、他人の生活行動を自分の秤での基準判断を避けるべし。
5、出来ない約束や身勝手判断を下すのは極に禁ずべし。
6、どの時、状況にも愛情、哀憐の心を忘れるべからず。
7、生きることへの感謝の念を持って毎日を暮らすべし。
8、心平穏にして順応と寛容の心を忘れずべからず。
9、過去があっての今、今があっての過去であるのを知るべし。
10、試行錯誤は当たり前、若きを育て、古きを敬うべし。
11、物事に固執せず、物欲と私欲を制すべし。
12、今あるものを大切にすべし。
13、去るもの追わず、来るものを迎えるべし。

こう書き出すと、きりがありません。
私自身に言い聞かせなければならない事は山のように毎日の生活課題として常にあるのが現状であり、そして、毎日をこれらの教訓にそっているとは言えなない暮らしぶりになるのかも知れないと思いながらも書き出している自分が少々滑稽でもあります。

視力感覚と右膝に問題を抱えているせいか、最近よく足元がおぼつかなくて、あっちでドスン、こっちでドテンと転びます。
勤務先で“津波”だの“火玉”だのとおだてられて、仕事をかたずけてきたツケが廻ってきている感でもあります。

生活苦を背負っての生活というわけではないのに、何故この年令になっても勤務を続けているのかとよく人に聞かれたりします。
それは、漠然とした説明しかならないのかもしれませんが、私が自分自身以外の周りに目を向ける機会が必要だからとしか云いようが無いのかもしれません。
私が私に課する思いと、夫が、家族が、私個人に対する思いとでは微妙に差があるのは仕方がないと思っています。
内向性格の私ですので、悟りの境地などとは程遠い暮らしぶりの中にも徐々に自分と社会生活を相合させるというのが寛容なのだと心せねばなりません。

60才を迎えた頃から「まだまだァ」と20代、30代の人達と肩を並べて、いや、それ以上にバイタリティを発揮しては自己満足ぎみのいままでの私も数年前から特にこの過去1年に至っては、周りに目をむけて感じていた以前の様な焦りや憤懣をさほどにも覚えないようにトーンダウンし出し、他人ののらりくらりの仕事ぶりにも関せずという自分になってきており、年令相応に体力と心とが平均を保つのに態勢が出来上がってきているのを感じるようになりました。
そこには弱視でコンタクトをしている私の目に角膜離脱が起きだして、目の中にに黒い影の塊を数個見るようになったこと、手の指関節の変形や、腰関節の違和感や、そして右膝の屈伸困難などが表面化するに至って、老化現象による体力の衰えを認めざる得なくなってきたという現状を、生活行動を合わせざる得ない自分を認めたことにも因しているようです。

私の様な凡人ではない、ある立派な方が-当人は自分も皆も凡人であるとは言っておりましたけれど-こんな話をしておられました。
『なにを、たかが60代の鼻垂れ小僧が先を案ずるのか。今から始める人生というものもあるし、まだ先がずっと続いている。過去は頭の中に思い浮かべて見ることが出来るけれど、未来はその場その場で自分で演出して出来るものだから、それが良い事、悪い事を含めて全部がアナタという人間を造っている事に違いは無いしそれが生きると言う事なのだからね。』

2011年の私への最大の教訓は、上記に書き出した教訓どおりに生きて行くと言う事ではなく、こうして改めて自分の存在を意識し且つ、とてつもない大きい宇宙の一環であるのを知り思うことなのでしょう。