9/11/2010

続・いい話-心の買い物籠

続・いい話-心の買い物籠

今から5年も前に、その頃夜勤パートで最寄のドラッグストアに出ていた時に、そこで思いがけず、心を暖めてくれる出来事に出会った話を2005年のこのブログの記事にもした事がある。
今朝、特別な事があっての事ではなくて、ぶらりと外へ夫と供に食事に出た際に、今は日中勤務に変わって入るが、なおも勤め続けるその職場での体験を夫に話していて、これも一つに私の持つ「いい話」として書き残しておこうと思い立って、帰宅時にPCの前に座り直したのでした。

籠の中-残したい思い出と歌

「お名前からして、貴女は東洋人の様ですが、中国か日本の方かしら?」とその白髪の女性は柔和な笑顔を見せながら私のネームプレートから目を移して私に言った。
金曜日の午前は、薬局部で投薬を受けた帰りに寄る顧客以外の接客は少ないのが通常である。
「ええ、日本人です。私の名は日本ではどちらかと言えば、ありふれた名前なんですよ。」私は笑って答えた。
私が全部答えきらない前にそのご婦人は、一方の手を側のご主人らしき男性に伸ばしてそっと彼の肩におき、そしてもう片方の手を私の方に捧げるような仕草をしながら歌い出したのです。
「あの娘可愛やカンカン娘~~、赤い唇サンダル履い~て~、誰を待つやら銀座の街角、時計眺めてワクワク、ニヤニヤ、これが~私の~東京カンカン娘~~」
少し内容歌詞が間違っているのは戦後生まれの私にも解りましたが、そんな事はどうでも良いように思えるほど、ご婦人は一生懸命に歌っているのでした。

このフロリダ州にも大勢の日本人が住んでおりますが、ハワイや米国西海岸のカリフォルニア州近辺ほど多くの日本人は在住していませんし、ましてやマイアミから少し離れたこの新興都市ペンブルックパインには、しかもこの手のチェーンドラッグストア勤務の日本人は数少なく、もの珍しさをおぼえるものかもしれません。
多種民族移住地であるにもかかわらず、米国西海岸州よりこちらの東海岸州は、未だに民種差別感覚も残っていて、まだまだ保守的な社会性にあり、黒人解放運動が盛んに繰り広げられたのも、つい30年程の歴史しかないわけですから、加え、各国多種民族の習慣文化も引き続かれており、思想的にも感情的にも他民族受け入れ態勢はこの先進国としては未だ闇の病を患っているかの社会であるのかもしれません。

歌うご婦人の後に客が並んでいないのを見計らった私は、一曲歌い終わって、リピートで2曲目に入るのを知り、それではと、私も一緒に歌い出しました。
「あの娘可愛やカンカン娘~~~」
そんなに大声ではありませんでしたが、歌声を聞きつけてか、2,3人の客がレジにやって来て私達の歌うのを笑顔で見ているのでした。
その2曲目が終わった時、ご婦人は私を含め、回りで見ている人達に優しい声でこの歌の思い出を話し出しました。
「私は今82才なの。50年も昔にハワイに住んでいた事があって、そこでは日本人の女性が私の親友だったわけ。でも、その頃は白人の私が日本人のスミコ・私の親友の名前なんだけれど、一緒に仲良くしてはいけない雰囲気があって、色々あったのだけれど、私達には人種差別なんて関係がなかったわ。スミコがね、この歌をよく歌ってて、私にも教えてくれたのよ。あと3曲位の日本の歌を知っているわ私。で、つい先日ね、私もこの老い先そう長くはないだろうと思って、そしてどうしてもこの歌とスミコの思い出を語れるうちに記録しておかねばならないような気になって、テープに録音したのよ。そしてね、この人(ご主人を見ながら)に人間愛と友情とについて教会で時々話してもらう事にしたの。」
そこまでで、他の接客に当たらなければならない私はその話と歌にお礼を言って通常勤務に戻ったのですが、そのご婦人とご主人はその時一緒に話を聞いていた方達と暫くお話を続けていました。
私の接客が少し忙しくなってきた頃、私の耳にお互いが交わされた挨拶言葉が届きました。
「今日貴女方に会えたのは幸運でした。是非そちらへ伺って、他の日本の歌も聞かせて下さい。」「ええ、いつでも、いらして下さい。」

その日、帰宅後何故か私は「エンパイアー・オブ・サン」の映画の一シーンを思いました。
そして、それは私にとっては、多分あのご婦人が他民族の親友に感じたようなものと同じように、哀しくも人種を超えた人間愛を充分に感じさせるものでもあったのでした。