9/06/2010

"へらんぱん”の話

年を取ると過去のことばかりが思いやられるというのは、至極当然の事ではあるまいか。
人生の途、行く先には広い川が見え始め、振り返ると今まで通ってきた長い道がそこにはあって、途中には色とりどりの花がさいていたようだし、虫や獣も現れたりで、あちらこちらに寄り道したり、ある時は猛突直進したり、恐れおののいて道からその外枠に隠れようとしたり、事あるその度々に右往左往して、とうとうここまでやって来たのだとの思いがある。

“へらんぱん”今朝、ふと脳裏に浮かんだ言葉である。
“へらんぱん”というのは、多分今となっては私個人が記憶に残した言葉にすぎないのだが。“へらんぱん”
終戦ん直後の産まれである。日本はまだまだ貧しく、幼い私には白装束に兵帽の復員兵を見るたびに、それが不気味な死と苦悩の世界からのメッセンジャーのようで、得たいの知れぬ恐怖の的として映っていた。
当時教員をしていた私の父と、父の兄である伯父はそれぞれの健康上の欠陥から招兵されずに戦場に向かうことはなかったが、母方の叔母の夫が復員兵であり、我が家に来ては、南国での戦場生活の話をしていたのを聞くとはなしに、その凄まじくおぞましい体験談を何度も耳にしていた。
当時の子供達の娯楽は、そのような身内の体験談を聞かされる事や、まわし読みして彼方此方が破れている漫画本であったり、その本の付録だったらしきトランプカードや私の二人の兄達が興じるパッチと呼ばれる土に描かれた丸枠が土俵のめんこゲームだったりした。
無論テレビはその後ずっと後年に普及したものであり、家族が集って聞くラジオ番組も“3つの鐘”という素人歌謡コンクールだったり、「真実は奇なり」という言葉で開けられる“秘密の扉”なるゲーム番組だったりした。

今はとうの昔に閉校になっている小学校に、僻地慰問目的らしき団体、又は個人がやって来ては手品やら、合唱団やらが娯楽の少ない当時の子供達を喜ばせてくれた。
その中でも、一人の話家が桃太郎と金太郎を足して2で割ったようなヒーローの話をしてくれたのだが、話筋の殆どがどうであったものやら覚えていないのに、何故かそのヒーローが“へらんぱん”なる、食べても決してなくなる事のないパンをもっていた事に、余程食いしん坊だったものか、幼い私は衝撃をうけたのかも知れない。
その後、渡米生活を送る私は、もはや浦島花子的存在となって日本の文化、流行、新世代生活から遠のいてしまい、次に“へらんぱん”という言葉を思い出したのは、日本の子供達の間では「アンパンマン」なるパン顔がヒーローの漫画が人気になっているらしいとの情報が伝わってきた時であった。
とすると、パンはやはり昔も今も子供には何やら平穏安堵感を持たせる力がある食品なのだろうか、などと半ば可笑しく、半ば懐かしく日本の食文化を思った私であった。
それがどうして今朝目覚めて、“へらんぱん”という言葉が脳裏に浮かんだのは何を思っての事なのかは定かではないが、ただ、帰化アメリカ人となって在米40数年たった今でさえ、やはり私は自分の原点は日本であるのだと、事あるごとに思い知る年令になったという事は確かな事であり、そして私の今は戻る事の無い過去の生活がふと、思い出される事で、今なお日本人でありたいという慕情と、故郷への恋慕として表れ出てくるのである。
それにしても、今朝は何故“へらんぱん”であったのだろうか