7/31/2010

老いの朝

左腰の圧痛に体を少しずらしてみる。
右膝にも鈍痛が走っている。
加齢と共に関節痛が私の体をえんりょう容赦無しにあちらこちらに現れるようになってきた。
そして、私の中にまた少し哀しみが増してきたような感覚を覚えて今日も目覚めた。
関節炎、神経痛は往々にして遺伝要因が成せる病状らしい。
その痛みを抑えることや進行状態を遅らせる事は可能だが、完全完治治癒と言うものは無いらしい。
老いるという事をこういう少しずつの体の変化からも充分見て取れる年令に自分がなったのだと今日も、当然至極の人間の生き様であるはずを,今更改めて考える事でもないのに、毎朝同じ事を思う私の一日の始まりがある。
「奇跡とは起こるものだから、奇跡と言う言葉があるのだ」と何方かが云ったと言うけれど、さしあたって、私の現状に当てはまるとも到底思われない。
加齢とはそういうものなのだ。
かといって、決して努々若かった頃の自分に戻りたいなどと考える訳ではない。
あるがままを受け入れて、それなりの一日を対応して、順応していかねばならないのだと気に命じている。
昔はああだった、こうだったと過去の自分の生活に囚われて、周りから煙たがれるのがオチという人間には成るまいと日ごろ思いつつも、そこは愚かな人間の性で、つい過去の奇麗事を並べてしまう自分にも充分気が付いている。
そして、それもこれも全てが老いの症状なのだ。

たった今書いた数行を読み返してみても、これは女性が書いているものだとは思われないだろうと、ふと思った。
これも、老化現象の一つなのだろうか。女性本来の感情や感覚そしてその表現にすら、きめ細かな繊細さを想わせるものは省かれ、どの文面にもモノセックス化された響きをもたせてしまうようになった。
いつごろからだろう。
多分、女としての恋情というか、人を恋慕の想いで見る事に自分成りの抵抗を感じるとか、何か後ろめたさを覚えるとか、そういった感情が心の内に澱のように沈んでいるのを感じるようになった頃からだと思う。
心理学者に言わせたら、というより、医学的に説明がなされる、それは体内ホルモンと脳活動のせいだろう。それを老化現象と一言でかたずけられるものもに違いない。

もう7年間にも及ぶが、50代に入ってのある時期に、それぞれの時期はずれてはいたけれど、ある数名の男性達からの依頼もあって、私は数々の詩を書いた。
東洋人である私の素性を理解し得ないこの国の男性には私のそのジェネレーションを飛び越えてのつたない、幼稚な文が新鮮で、摩訶不思議に思えたのだろう。
彼らは私の詩を読んでは、一喜一憂し、自己の生活に正直に生きようとその時を懸命に生きる道を選択していたようだ。
多分にそれは、この国の人間は年間を通して誕生カードや何かにつけてはカードを送り、受けをする習慣があり、その多額の年間売り上げでも証明されているように、単刀直入な文、標語的、短文や詩的表現が好きなのだろうと思う。
私の幼稚文を彼らの心は、すんなりと受け入れる体制が元々備えられてあったのだろう。
しかし、今現在の私にはその種の詩を書くことにもいくばくかの抵抗を感じてきているのだ。
あと数ヶ月で老後保険金が国から支給されるであろう年令に達した私を、その無能幼稚文が為に私のファンとしてのそのような甘い感傷と共に私個人が女性視されていることが、今の私には少なからず重荷になってきているのだ。
いや、違う。もっと本音で言えば、周りの思惑とは裏腹に、自分が老いて中性化してきたのを感じ、大いにおそれている自分を知るのが嫌なのだ。
ある女優が愛する人に云ったと言う。「私は死ぬまで女性です。いえ、死んだ後さえもずっと、ずっと女性です。」
私は、実際、そういい切れる彼女が羨ましいと思う。
これはその女性の老いての言葉だったのだろうか。私にはそうとは思えないのだけれど。
一体彼女はずっと、更にずっと老後にも同じ言葉を繰り返しただろうか。
そしてその彼女の老いた体、足腰に、いかほどもの痛みはなかったのだろうか。
心に痛みは無く平穏であったかもしれない、が、己の老いた肉体の痛みは彼女の過去の多くを否定して彼女を苦しめなかったのだろうか。
心の平穏は肉体痛をも超える強いパワーがあるのだろうか。
今の私にはそのようなパワーは無い。肉体の痛みが心の痛みに共感匹敵してしまう日常がわたしの今の生活である。

朝目覚めて、左足の痛みに「今日は普通に、さっそうと歩けるだろうか。自分の体の不快感が他人をも不快な感情を産みはしないだろうか」等と思いながら両足を床につける。
「あァ、まだ大丈夫」平気、平気。自嘲。
「おはよう。今日も目覚められたね。今日も大丈夫」と隣脇で目覚めた同年で、重度心臓病を持つ夫が半笑いする。我々は婚暦42年のベテラン戦友同士である。
それも、これも老いの症状の私も半笑いして今朝も彼と同じ言葉を繰り返す。
「おはよう。今日も目覚められたね。今日も大丈夫」