1/23/2010

職場での女性

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何故なのだろう、と時々考える。
人間、人生に於けるある時期は、特に女性の場合に多いのだけれど、他人と自分を見比べて競争精神が活発に脳細胞のシナプスを敏感に働かせる為なのだろうか。
それとも、個人の成長度に合わせホルモンと体内ケミカルのバランスを計る体内精神バランス自動機のようなものが、ライバルを見定めてはそれに自分を見合わせて行動を計ろうとする為なのだろうか。
専門精神研究者には簡単な答があるのかもしれない。
兎に角、世の女性はある年令時期、自分に向ける目より、他人に向けて競争、攻撃、行動をする度合が高くなる。
私自身についても、確かに身に覚えがある。
30代のある時期はある対象を見定めて、それに伴っての敵視生活を暮らしたものだ。その対象に目を向けたのは色々と理由や理屈つけがあったように思う。
しかし、その時期を昔に思う今、その時の自分が如何に愚かにも自分の内面に向ける目をその対象に向けて自分の存在を誇示しようとしていたように思う。

通常の世の人々が退職生活を楽しむ年令になった今の私が若い連中と一緒に職場で暮らす現在の生活には、年令当時の私自身の姿がどの仲間の中にも見て取れる事があり、これが人生経験を積んだと云うのかもしれないと、密かに自分に知らしめたりするのである。
20代の女性はその生活体験無知さゆえ、非常識を非常識とは受け止めず、道徳、モラルは単に年長者の戯言と鼻で笑う個人主義傾向を良しとする風潮は今も昔も変わらないようであるし、30代、40代の女性は個人の生活環境体験から他人、特に年上、又は各就け上の人間に向けて自分を計る行動に出る傾向がある。
そしてこの年代女性は確実にそのライバル対象より、自分が優れていると確信し、その対象に目を向けることで毎日の生活に自分の精神バランスを取ろうとするのである。
人間そもそもが闘争の動物であるためなのだろうか。
そして、近代世の男達が違う世界で違った意味の闘争の最中、女達は女達での自分と廻りの闘争を生み、闘争の中の生活をする事で、自分という存在を自他共に受け入れてもらおうと試みているのかもしれない。
確かに、私の職場の女連も“かしましい”。彼女等はあたかも、その状況をエンジョイするがごとく、他人を貶める事に専念し、エネルギーを費やす。
私はそれらには加わらないのは人種の違いからでも、文化の違いからでもなく、確かに年令、世代の違いであるように思うのだ。
それは、人間が人間である為の一時期の道なのかもしれないと思い、今日も私は彼女等の生活闘争劇を見やっているのである。