1/02/2010

2010年元旦に。




郷里の幼い過去の私がこの年が来ると云う事を、どんなに知恵をこらしたところで頭の中に想像できたことはない。
ぼんやりと頭の中で日本以外の国の生活とは、どの様な物なものなのだろうと時々独りママゴト遊びの合い間に考えた事があった。
あの時の私は病身の母が入院中で、厳格な祖母の世話を受けて伯父宅にあずけられていた。
二人の兄達も他の親類にあずけられていて、家族は離散生活中であったのだが、3,4才の幼かった私が特に両親や家族を恋しいと想う事もない、どこか冷えた感性をもっていたようだ。
生活というものは自分が作り出すものというよりも、誰にもそれぞれにある状態の中で、あるものを受け入れながら「こんなものなのだろう」と納得了解して生きていくものと考えていた。

私の人生で最大の冒険が19才の夏に単身渡米した事なのか、勉学が面倒になって放棄して詰まるところ、結婚という道を選んだ事なのかは、どちらもどちらで私の軽率さであり、熱しやすく、冷めやすい、いい加減性格の最たる表れなのだと思う。結婚生活が悲惨なものだと感じたことも無く、もう42年間も相棒とはお互い邪魔せず、邪魔されず、無視もせず、自分の身の一部のごとく受け入れてやってきた。好きも嫌いもお互いを支えてきたという思いより、お互いの個を尊重してきたと思っている。
「人生、これでいいのか?」「いや、いいのだろう。こんなものだ」と自問自答の在米42年間である。
それにしても、大した努力なくして何となく無事に人生をここまで来てしまった事に少しばかりの、否、大いに悔いが無いといえば嘘になる。
もしこの世に輪廻というものがあるのなら、来世にやり残した沢山の事を繰り返しやらなくてはならないとしたら、、と考えると、「ひぇッ、恐ろしやァ」などと今更、そう今更なのだが思ったりして「成れば、今の人生後半期をせめて伸ばしていかねばネェ、無理繰りまた新しい人生をやり直しは、ちょっとキツイんで無いかいっ?」など、ここにきてまた新しい事への挑戦をしり込みしている次第である。
家族にも、勤め先にも自分が必要とされているとの自負はちょっぴりあるけれど、私という個人の代わりはそうもいないかもしれないなどと奢ってみるつもりは毛頭ない。私独りが皆の生活を支えている訳ではなく、また人それぞれが皆、個々でその世界、生活を作り出しているのだから、私という個がそこを抜けた事で全体の生活がアンバランスに成る事はないのだと云う事を充分知って生きているつもりだ。
私は私にとって大事な皆の生活の一部であり、その意味で自分を大事にする必然性を感じてはいるが、どの皆も自分で自分を大事にする責任はあるのだと考えている。
2010年の元旦に自分のあり方をちょっとばかり、考えた私のこれからの人生も今日の新しい一歩が将来に繋がっており、私の一歩が家族と廻りの皆の生活にも関わりをもちながら続いていくのである。
自分を大事に、生活の一部を皆の生活の全体へと、そして周り全体の社会へと個の生活在り様が今日からもまた繋ぎ、繋がりながら、今年も始まっていく、今日2010の朝である。