8/07/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その15


その(15)保志加円子の1つの終わり

ベランダの椅子に向かい合った二人に朝日が高くから明るい光を投げかけ、木々や芝生に新しい息を吹きかけているような爽やかさが広がっている。
拓哉は続ける。
「会長は円子さんのお母さん、可憐さんの叔父様にあたりますので、本来の意味に於いては貴女のの大叔父に当たる方です。」
正しくは、円子の祖父の弟が戦死したのを期を同じくして病死した弟嫁の意を継いで、満を祖父が自分の子としてひきとったのだという。
満は年の離れた義妹の可憐を可愛がっていたのだが、可憐が高校入学も間もないの頃、田舎道を通学中にその田舎にたむろしていた不良達に乱暴を働かれてしまい、それに大いに憤りを感じた満がその独りの少年に攻撃を掛けて怪我をさせてしまい、満はそれを期に円子の祖父母の家を出て、円子の祖母方の親類を頼って県外へ移り住む事となったのであった。
その乱暴を受けた可憐が身重になったのだ。廻りの皆が可憐を哀れに思い、そしてやがてその子が生まれた時、一番に彼女の心配をしていた満であり、その子がどの様な事情であれ、皆から祝福を受けてこの世に生まれ出たのだと思うようにとの願いを込めて祖父はその子を「円子」と命名したのであった。
円子、それは満も哀れであると思う気持ちを断ち切る為もあり、満の上に丸い人生を築く意味の「円満であれ」という思いの名であったのだ。
その様に選んだ名ゆえ、その名の事で、円子が将来に於いて災いを受けるなどとは考えにも及ばなかった祖父母であり、円子が名前の事でからかわれると、いつも「これは、本当に良い名前なのだよ」と皆が言うだけで、円子には多くの事情を語ることなく、その祖父も命名の意図を円子に知らせる事無く、この世を去ってしまったのであった。

満は何時の時も円子の成長を陰から応援していたつもりでもあった。
ところが、或る日から満が会社経営に奔放している合間に、親子共々、満の前から姿を消してしまうという事件が起きたのだ。
保志加円子が満と同じ血液型であるという単純な理由と、更に円子の誕生前の或る時期を境に満が円子の実母の住居を追われた事とが、円子を満の子であるに違いないとの誤解を生み出して坂下輝美に報告されたのであった。
それこそが、保志加可憐、円子親子が第一の殺傷沙汰に巻き込まれるという事件を生み出す要因となったのであった。
輝美の弁護士という男性が円子を坂下家養子縁組の交渉にの話をもちかけた、それが為にその弁護士が左目を損じるということになったあの日の事件である。
そしてそれよりももっと円子の母親と祖父母に打撃を増したのは、あの日の事件以来、彼等、円子家族が円子を母親から取り上げようとしていると張本人は満に違いないと勘違いした事でもあったのだ。
それは円子家族は坂下家の事情を知らなかった事と、坂下満となって一躍実業家として名を世に知らしめる事となった満が保志加の家を出て、円子誕生に於ける時期の彼が起こした傷害事件と、その過去のスキャンダルを何らかの力で封じようとしているのではないかと考えたのだった。
無論、それは事実無根の考えであったのだが、円子の祖父は自分の弟夫婦の信頼を裏切って満を他県へ追いやってしまったという無念さもあって、満が保志加の人間に好意をもってはいなくても仕方が無いと思っていたのだ。
しかし、実際はそうではなかった。
実のところ、祖父母の所に毎月見舞金と称して多額の金額が預金振込みがあるのは、あの忌まわしい可憐に起きた事件の示談金だと信じていたのだが、それは満が密かに行っていた善行であるのに、保志加の誰もが気がついてはいなかったのだった。

拓哉は満の全てを母親からの話で理解しており、そして満を母親と自分の生活を支えてくれた大きな支えとして心からの尊念を持っており、成人してからは坂下満の秘書として満の良きアドバイザーとなったのである。
「社主、いえ、拓哉さん。私が見たあの女の子。あれは私自身ですね。あの幼い頃の事件が独り暮らしを始めた私の生活の中にフラッシュバックとなって、よみがえってきていたのですね。でも、それが何故、私の記憶喪失とオーバーラップしたのでしょう。」と円子は頭に浮かんだままの質問をした。
「実は、あの日、円子さんの様子を調べて、その上で会長に報告したら、ゆっくりと会長の意思を円子さんに伝えておきたいと、そう思ったのですよ。」
満の妻輝美が円子の存在を誤解したまま病死し、その遺書に坂下家の家徳一切の権利を保志加円子のものとする意の遺書が作られていたのだ。
そして、それは坂下満として個人名以外の、坂下財団関連全ての資産を動かせなくなる満を含め、拓哉とその母親ばかりか、今後の会社経営やその関連会社に属する多くの家族に不都合が起きるものであった。
坂下満は円子が坂下の資産を継ぐことには賛成であったが、それが妻輝美直下の一団が円子を盾に他財団と合併吸収されるのを恐れた。
坂下家直下の者達はそれを全ての関連会社を含めて、坂下満の名を無しには運営が不可となる事を恐れ、誰もが坂下満が、この先の会社運営や他もろもろの財産贈与をどのように考え、誰が坂下財閥の事実上の後継者となるものなのかと、皆が満とその養女円子の動きに注目していたのであったのだ。

そうだ、あの日私は自分の幼い頃の私自身を見たという確信にショックでめまいを覚え、サエに支えられて部屋に戻ったのだった。
円子はその日に思考の焦点をあわせようと目を閉じた。
そこへ、男性が現われて円子の様態に驚き「如何しました。円子さん、大丈夫ですか!」と顔を出した。
ふと、見上げた円子の顔の前に男の顔があり、、側にいた小さな女の子、血がその目からしたたり落ちている昔の幼い自分自身がそこにいた。
そしてその子-幼少時代の私自身が咄嗟に側にあった鋭い刃物を私に手渡してくれたのだ、、そして、私は夢中で彼を切りつけ、いや、刺したのだと思う、、。あァ、あれは私の自分の心の中に潜んでいた幼かった私自身が、とった行動だったのですね。
私自身が私を恐ろしい何かから私を守ろうとして、、私が母親を守りたいと思ったその時の私のように、あの時の私自身が私を守ろうとした、、、。
そして、私はあの幼い頃と同じように、その恐ろしい記憶を心の奥にまた仕舞い込んでしまった、、。

拓哉はただ優しい目を円子に向けてうなずいただけであった。
そして、私はそのまま記憶を失ってしまった。あの時のように。
でも今度はあの時と違って、その時の記憶ばかりか自分の人生のそのものをも忘れてしまっていた、、。
入院を御世話下さったのは、やはり拓哉さんでしたか。
あァ、そして、私の母はついに私が坂下満に捕らわれの身となったと勘違いして、私を助け出そうと病院に現われたのですね。私の名を狂ったように呼び続けていました。それで、私は自分の名を思い出した。
今、母はどうしていますか。そして、坂下さんをずっとお見かけしていないのですけれど、彼は私の母と話が出来たのでしょうか。
二人と会って、話がしたいです。
でも、私は保志加円子です。坂下満氏の子ではありません。それに坂下家とは養女縁組を取り交わしてはおりません。
これで、私は坂下の家とは何の繋がりが無いのは皆さんにもお解かり頂けた事と思います。
ですから、この家に居る理由はもう、ありません。もう、ありません、、。

円子が話の一息を付く頃、側に立って事の成り行きを見守っていたものか、お世話役の栄子さんが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、庭のアチラを指差し泣き声で云った。
「あら、猫ちゃんですよ。また遊びに来ましたよ、今日も飛び跳ねるんでしょうね、円子さま、ご覧下さい。」
本当だ。楽しそうだ。この間私を助けてくれたのと同じ猫ちゃん。
自由に飛び跳ねるといいわ。いつでもこの庭が気に入ったら、飛び跳ねに寄せてもらうといい。
私も、そうします。自分で自分の跳ね方をしっかり身につけよう。
何度も同じ跳ね方じゃ、駄目なんだよね。その時、その時を自分で判断をして、過去に留まってちゃ次の楽しみが逃げてしまう、ね、猫ちゃん。
この時の円子が猫を見るその瞳の奥には虹色に輝いていたかもしれない。
もうこれからは、黒い血を目の中に見ることはないだろう。
「私の人生とは、こんなもんかな。」円子の言葉に応えて「こんなもんだね」と言ったのは、円子自身であって、それはもう幼い頃のあの少女のものではなかった。