7/19/2009

円子の「こんなもんかい」物語り その(14)


(14)再会と目の中の血

「あの、、。あ、やはり、ミツ君。いえ、保志加さん。どうしたんですか。あ、手に傷が、、」
声に顔を上げると、朝日の中に女性が屈んで満の顔の前に黒い影を作っていた。
どうして自分がそこ、アパートらしき建物の階段に座っているのか解らない満の頭がスローに始動し出した。
「私、解る?やっぱり変わって、すっかりオバサンになってしまったものね。こんなところで会えるなんて。まさか、私を探し当ててくれたのじゃないのはわかってても、会えて嬉しい。私の家、そこなの、どうぞいらして。朝ごはんまだだったら、私すぐ用意しますから」
「あァ、朋、、。」満の頭がの中で昨日の出来事を反復しながらも、居酒屋での独り酒盛りから今、どうしてこの学生時代の恋人であった朋子に出会う事となったのかは空白のままであった。
朝の食卓を昔のように朋子と一緒に過ごしているというのが、何だか出来すぎたお話のようで、満には天は自分の敵なのか、味方なのかが計り知れないでいた。
昔と違うのはお互いの容姿が青年のそれから目に見えて年月をへだった後の事であるのが一目瞭然で或る事と、二人の側に賢そうな小学生位の男の子がきちんと正座して一緒に食事をしている事である。
「雑誌や新聞などで、ミツ君の報道があると、随分活躍しているんだなァと本当に嬉しく、私には自慢の人なのよ。ね、拓君にも良く聞かせたりして。」と萌子は笑った。
萌子は満と別れてから故郷に返り、そこで大きな農業をやっている男性と見合い結婚をし、その間に設けられたのが今一緒に生活をしている拓哉であるという。
農家の経営は彼女の夫と夫の兄、そして父親が手広くやっていて、裕福で楽しい時代が数年あったのだが、その父親が亡き後を長男の兄と兄嫁一家が引き継ぐにあったって、次男の夫には歩が合わない生活を強いられ、最終的には夫がそれを萌子とその実家の助けの及ばなさを不満に思うようになり、家を追い出され、縁を切る事となってしまったそうだ。
何も子供まで追い出す事はなかったのだが、夫が再婚する相手に子供がおり、その子供と相手一家に気を使っての事だったのだろうと萌子は言う。
ここでも欲と得と因果の関係がしがらみをつくりあげていたのだ。
そして、満は自分勝手に萌子が自分と似ているのだと、認識すると共に、自分にはやはりこのような女性が自分の理解者としては最良であるのだと思い、萌子との再会を心から喜んだのであった。
こうして、満の生活は萌子家族の世話をする事で、今の自分の現実をどの様に自分のもとのとして取り入る事が出来るかと、新しい生きる闘志のような念さえ燃やしてくれたのであった。
「自分も萌子も家系一族という大きな目に見えぬ力に負けてなるものか!」と自分のその家族乗っ取り作戦を善巧に摩り替えてしまったその時の満であった。

輝美は満には子種が無い事を知らなかった。
養子縁組の件で、妻の輝美が満を許す様子が無い事は彼女が別宅に移り住んだ事でも明白であったが、それでいて、輝美が未だに満の血を坂下家に継がさせたいという考えを断ち切ったというわけではなかった。
その狂信的思考が故なのか、満にはどこか他にも子を設けているに違いないと輝美とその使いの者達が長年の調査を続けた結果が、保志加円子にたどり着いたというわけであり、満はその輝美一族の誤報を驚きの気持ちで受け入れ、それを逆手に取る事にとっさの判断をしたのであった。

「何なのアンタ達。人の家に来て、私の子供を何処に連れて行くっていうのよ。
坂下満?知らないわよ、それ誰なのさ。何をいってるのか私にはまるで解らない。
知らないってば。なんで、その坂下だか何だか知らない所に円子をくれてやるのよ。金持ち?誘拐じゃァ、無いって云っても、現に何だか解らない事、云ってるじゃないのアンタ達!」
母親が叫んでいた。
外で土を掘って遊んでいた円子が小さなボタンのような貝がそこに混じっていたのが嬉しくて、それを拾って走って母親に知らせようと家に入ったところだった。
母親が話している相手はスーツに眼鏡と言った、いつか見たセールスマンのようだと幼い円子の目には映った。相手の低い口調に対し、母親の剣幕が圧倒的で何か異様な光景であり、円子はそのままあわてて、母親の後ろに廻った。
「円子ちゃんですね。円子ちゃん、叔父ちゃんね、円子ちゃんのお父さんに頼まれてお迎えに来たんだよ。玩具や小さな動物達も沢山そこで円子ちゃんが来るのを待っているんだよ」とその男は鼻にかかった猫なで声で母親の後ろ肩から覗いている円子に向かって言った。
「勘違いもいい加減にしなさいよね。この子の父親はもうこの世にはいないんですよ。バイク事故で、、。そんな事アンタに説明する必要もないでしょう。帰って下さい。なんだか知らないけど、訳のわからない事グダグダ言わないで、帰ってっ。変な人なんだから、、。」と母親が云い、円子はそれに続けて「変な人なんだから。」と繰り返した。
その時、男は立ち上がり、「私は、ちゃんとした書類だって持ってきているんですよ。ここに、署名してくださいよ、保志加可憐さん、」と側へ寄ってきたのと円子が母親に手に持っていた竹の棒を御用に渡そうと咄嗟にした事が同時で、母親の肩上に突き出たその鋭い先が男のずり落ち気味眼鏡の合間から、屈み様のその顔面を真向かいに向けた左目を突いた。 あっと、云う間の3者のイミングであったのだ。
男はぎゃっと叫び声を上げ、のぞけながらも左膝を床についた。母親はその声に驚いて横によけ、円子の小さな体がその男と向かい合わせになった。
そう、あっとい間の出来事であったのだが、円子にはそれが、大きく、モノクロ映画の一シーンをスローに観ているような感じがあり、次に真紅の血の色だけが鮮やかな色でその棒を伝って流れ出したのを見たと思った時、その先の赤い雫がポタリと円子の額に落ちて、その小さなつぶらに生ぬるいネットリ感と黒い色合いが広がった。
円子の体は恐怖で固まり、動く事も声も出す事もその場では到底無理な状態で、ただ、ただ、呆然とな立っていた。 そしてそれからは男も血も母親の背中もが全て白く煙のように円子の視界から遠のいていったのだった。
その後、どうなったものか、円子には解らなかった。翌朝目覚めた時、少なくとも円子はその時が翌朝なのだと思っただけの事ではあるが、病院のベッドに寝せられており、側にあの、じいちゃんとばあちゃんがいて、優しく円子を見下ろしていた。
円子の記憶には母親に見せようと遊びで見つけた小さな貝の思い出までしか留めておらず、そしてそれを大人達が最善策であったかのように胸を撫ぜ下ろしていたのだった。
そして、その後円子は老夫婦二人に連れられて、母親の実家に住む事となったらしく、母親の可憐は時々様子を見に来るといった生活がはじまったのだった。 

その事件の男は、輝美のお付の弁護士の一人であったのだが、その事件が満の知るところとなったは、そのご数年も後の事であり、当の保志加可憐とその家族には何時までも、それが誰であったのかは確かではなく、しかもその男はそんな事件が実際に起こったのかどうかさえ夢の中の出来事かのように煙の様に消えてしまっていたのである。
そのような皆の口に昇らない、又は、口に出して話すことがはばかれるといった想いがあってなのか、保志加可憐とその両親には、ただそれが一時の悪夢を見た思いに無理やり忘れる事に勤めもした。
大人達にとっては、その部屋の状況から事件が起きた事は事実であると知り得たのだが、男の姿は消え、どこからもそのような事件が起きたとの被害届けも、警察沙汰になる様子も丸で無く、円子の精神状態をも考えて、事を見分ける事などはせず、何事もなかったかのように振舞う事で、日が過ぎていったのであった。
可憐の人生を見守ってきた、円子の祖父母には、この事件が起きた事で、古傷をかきむしるように一人娘の可憐を哀れと思い、陰で涙せずにはいられなかっただろう事が、円子にとっては痛いほど解る日が来るのは、ずっとまだ先の人生の一端の出来事であったのだ。

以来、輝美は円子を養子に迎えるのをひとまず、考え直してみたものか、それ以上には円子を養女に迎える活動を表立てて行うのを止めた物か、静かな生活状態が営まれているかのようであった。
その時から円子の幼少時代の悩みと言えば、自分のからかわれ易い名についてだけであり、時々顔を見せる母親の訪問にも特別親しみも無い変わりに、淋しいとも思わずに暮らして行けたのは、祖父母の大きな愛情を円子が常に感じていたからなのだろう。
しかし、その優しい祖父母の悲しくもあっけない事故死によって、円子の母親が実家に戻る事になったのだが、その時には円子は大学生として、人との付き合いなどには馴染まないまでも、それはそれなりに自分に納得をしつつ大学寮生活を過ごしており、ついには卒業後は母親の希望もあって、親子で同居する事にはならなかったのであった。
円子が大学卒業と共に母親がサッサとその実家を閉めたのは、その後、円子が思うに、独り立ちさせる事が、またあの昔のような忌まわしい事件を思い起こしては円子の精神に傷が一生涯残ってしまうとの思いが二人が別々に個々で暮らしていくのが唯一の道であるかのように、可憐が信じていたからであった。
「私と一緒に暮らすと、円子にはろくな事が起きない」と愚かにも、信じきってしまった可憐であったのだ。彼女にとっては哀しい愛情の裏返しであった。
そして、母親可憐は山奥の温泉女中となり移り住み、円子は独り社会生活をする事になったのだった。

が、年月を経て、加齢とともに輝美の病状が悪化の途によって、あの、円子を再び事件へと巻き込む事態がまた起きようとしていたのだった。
天はその時もまだ、円子の運命を定かにしてくれようとはしていなかったわけであった。
そして、それは最終的に円子の記憶の全体をリセットする事件へと事が運んでいったのであった。


続く。