7/06/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(11)


その(11)核心

確かに見た事のある街並み風景であった。
タクシーのウィンドーから住所最寄バス停が見えた。そうだ、あのバス停で何度か見知った顔の女の子を見かけたんだった。
2連のアパートが細長い花壇のようなものの向かい合わせになっている、その建物を見上げ、円子の住所録にあった部屋番号に目を追いやった時、最初の建物の窓に猫が外を眺めている。
サエさんの猫だ。その窓を通して、奥にも白い猫の姿が見えた。すると、そこはサエさんの住む部屋らしい事が察しられ、はやる気持ちを落ち着けるために一深呼吸した後、その戸を軽くノックした。
猫達がその来客の出す音に戸口まで寄ってきているのだろう。「はい、どちら様?ショウちゃん、ちょっとそちらに動いてちょうだい。外に出ないでちょうだいよ。はい、いま戸を開けますので、、」と声が聞こえ、戸口が開かれた所に、2匹の猫を控え、一匹を胸に抱いた女性が立っていた。
「サエさん、、ですよね」と円子が言うのと、その女性が声高に叫んだのが同時であったかもしれない。「保志加さん、円子さん、、一体貴女は何処で、どうしておられたの!」

驚き興奮の涙さえ浮かべ、サエの片手はまだしっかりと猫を胸に抱いていながらも、もう片方の手を円子の肩に廻し、強い力で部屋の中に招き入れた。
子供のいないサエは猫を可愛がっていて淋しく暮らしているのではないと云いながらも、当時は久方ぶりの寂しい独り身である円子の入居が嬉しく思えていたのだったらしい。円子はその時、サエが彼女を可愛がってくれていたアパートのオーナーである事を少しは頭の端に残っていたものか、彼女に随分世話をして貰ったように感じたのであった。
「私は、ここで、小さな女の子を度々見かけたようにおもうのですけれど、、」と円子の頭の中に知り合いとしていたのだろう手ががりを口に出してみた。
「あァ、その事よ。円子さん。貴女、あの日の事は何も覚えてないのね。貴女が同じ質問をした日の事、、。そして、その直後に事故というか、大変な事が起きて、、貴女は何処かへ連れ去られてしまったの。でも、その後直ぐに貴女の家族の方が弁護士さんを連れて、ここを引き払っていかれたのよ。ちゃんと、証明証やその他の書類もあって、貴女が入居の際に話した祖父母の事故死の事も知っておられて、、」でも円子からは何の挨拶も、連絡も受けなかったことですくなからず、気を害していた、というより、自分の気持ちが通ずるものを持っていると思っていた円子に裏切られたような気持ちが恨めしく、落胆していたサエであったのだ。
サエの当時の話に耳を傾けながら、頭ではその時の様子を再現して見る事で全てが明らかになるはずだと円子は考え、話すほうも、聞く方も自然と体中の力をそこに集中しているかのような迫力さがあった。
サエの話はこうであった。

或る日曜日、近くのスーパーで買い物をしてきた円子にであったのがアパート前だった。そしてその時円子はいつも中庭で遊んでいる女の子は誰なのかとサエに聞いたのだが、当時は小さな女の子を持つ家族の入居者はなかったので、そう伝えると、円子には暫く不思議がっていたが、貧血か何かで急に気分が悪くなってきたものか崩れ倒れてしまい、救急車を呼ぼうと管理事務所に入って電話を取ろうとしながら窓から円子の様子を伺うと、円子は気が戻ったらしくて、頭を垂れて座り込んでる上半身を男性の体が支えており、円子に声を掛けていたという。
それで、救急車は呼ばずに、その男性が円子を抱えるようにして、部屋に連れて行く後にサエも付いていき円子をべっどに横にすると「私、もう大丈夫です。でも、どうしてここに来られたのですか」とその男性に向かって、云ったので、彼が円子の知り合いである事を感じたサエは円子に大事な話でもしに来たのかもしれないとその場を去ったのだ。「何かあったら、また直ぐ連絡下さいね。私の部屋は管理事務所と続き間ですから、非常ベルを押していただけば、日中夜を問わず、私が留守の時でも非常連絡用の携帯にも繋がりますから」
が、それから1時間も経たないうちに、円子が裸足で二階階段を走り降りる姿が見え、それを追うように、男性が走り降りてきて、その男性の腕に血が吹き出ていてサエを驚かせた。
そして、その血が吹き出たままの男性の腕が円子にとどいた時、円子は走るのを止め、小さな声で童謡の様な歌を唄い出した。
他の窓から見ていたアパートの隣人が通報したらしい、警官が現われ、その男性と、そしてサエにも事情調書を取る事を要請したのだが、男性はそれがほんのかすり傷であり、円子を訴える訳でもないのでと、その場を収めた。
円子はと云えば、その時もずっと小声で歌を唄い続けていて、その男性が自分の傷の手当てと、円子のショック状態を診てもらいたいので、その場から、病院に行く事にして、サエがタクシー会社に連絡して二人を乗せ送ったという。
「今、思うと、その時私も一緒に円子さんについていけば良かった。でも、あの時の騒ぎで、ウチのこのショウが、外に出ちゃったもので、その帰りを待ってやらねば、なんて考えてて、それに、円子さんがそのまま連れ去られるなんて、考えもしてなくって、、、。ごめんなさい」とサエは円子の目を正面から見てから、頭を下げたのだった。
「それで、あの時、ショウは直ぐに戻ってきて安心したのだけれど、、。あら、そうだ、円子さんの所に来た男性の名はずっと聞かず終いでしたけれどね、円子さんがその男性にショウとかシュンとか云ったので、ウチの猫のショウの事を思った記憶にあるわけ。結局はやはり円子さんのご家族が円子さんを引き取って、今の幸せな生活があるのでしょうから、これで全てがハッピーエンドと云う事でしょう。良かった。」サエの笑顔は心から円子の今ある生活を喜んでくれているようだった。

又時々は顔を見せて頂戴ねというサエの言葉を笑顔で受けて、そのアパートを去った円子には、まだ解らない事が頭の中で渦を巻いているようであった。
その私が切りつけたという男性は誰なのだ。何故そんな事を私はしたのだろう。
それに、小さな女の子は何処?病院でチラと見た私の実母はどうしたのだろう。
サエに話を聴いたあとでも、数々の疑問が円子を苦しめる事となった。

家に戻るとお世話人栄子が飛んで来て、円子に向かえ云う「何処へお出掛けだったのですか。もう、私は心配で、堪りませんでしたよ。会長にも強くお叱りを受けたのですよ。これからは、私に必ずお出掛け先連絡くださいませね。私はいつでもお供いたしますから。お願い致します。お聞き入れくださいませね。円子様、円子お嬢様、、お願いですから、、」
円子は栄子の小言をそれ以上聞きたくなかった。
頭の中で考えをまとめようとしている時には不要な事柄で頭能力を使いたくないなどと、勝手に思っていたのだ。子供じゃないんだから、私が何しようと、栄子さんに何故知らせなくちゃならないの。
でも、一応彼女に謝っておいた方が、いいかな、、と円子が思った時、携帯にメッセージの点滅があるのに気が付いた。
『香織です。そちらでは何か解りましたか。こちらは松谷さんがちょっとした情報を提供してくれましたのでお知らせします。松下満氏の実家、母方の姓を保志加というそうです。松下会長は円子さんの血縁者らしいです。もう少し調べて、後日また連絡しますね。』
と云う事は坂下満が私の実父ではないと云う事だ。そうなると、円子は満の妻の坂下輝美が何故円子を養女に望んだのかが、もっと解らなくなってしまう。
しかし、自分の人間関係も知らない事には私に課せられた役目が何なのかもわからない事になる。
推力観点をもっと広げてみた方が良いと云う事なのか、それとも、今現在自分の中にくすぶる不審人間を調べてみた方が近道なのか、、円子は迷っていた。
「私という人間を盗んだ本人は誰なのか、、」更なる困惑の壁にぶち当たった。
まったく、私という人間は自分の意思で生活をしてはいなかったのだろうか、と円子は過去の全てが自分という一個人を翻弄し続けていたのだと感じていたのだった。
しかし、その過去の全てを繋ぎ、保志加円子が今あることを突然に知る日が、もう、足元までやってきている事にその時の円子には知る由もなかった。
そして、それはある訪問者によって円子にその日をもたらせたのであった。
「あァ、貴方は、、」円子の口が彼女の思惑より先に声を発したのだった。

続く。