6/08/2009

円子の「こんなものかい」物語


円子の「こんなものかい」物語
昔、随分昔になりましたが、自作の連載小説を記したノートを発見しました。
また読んで見て、さて、この話はどんな理由から書いたものかとあらためて考えていますが、その状況はちょっと不明であります。


これは或る一人の女性のちょっと振り返り生活日誌と云いましょうか、この物語はこのように誰もが少なからずそれに似た体験をしたか、または回りにそういった人間がいるのを知っているとかの、極々単純な生活感日誌と云えます。
ここに語る主人公は、ストーリー的には主人公であっても、日常での人生生活を基準とするなら、いつも脇役として、否、エキストラ的背景の一部として人生を通行人の様な役割をしているいる様な女性です。
どんな人間でも、廻りからは忘れられた人間でさえも、その一個人にスポットを当てた場合、俄かに脇役が主人公に早変わりするのが世の慣わしなのです。言い換えると、どの様に影として生きている人でも全体の世を構成する一つ一つのストーリの主人公に成り得るとの例題のようなものでしょうか。

その(1)
円子は時々思うのだ。
何故なんだ。何故私の名前は円子(まるこ)なのだ、よりによって。
せめてマリコとか蘭子とか、マリリンとかもっと格好いい名前を思いつかなかったものかと恨めしくてならない。
幼い頃はその字読みから「ヤーイ、えんこ、お前の名前は臭いぞー。えんこ、えんこ~。口惜しかったらエーン、エーンこと泣いてみな~」とウンコ呼ばわりされて口惜しい思いをして泣いたものだ。
泣いて母親に訴えると、「いい名じゃないか。お金が沢山入ってくるようにってじいちゃんが考えたのさ。それこそ、じいちゃんの時代からして銭子でなくてよかったとおもわなきゃァ」と繰り返す。
名前と姿が女優気取りの母親の言葉にはどう慰めくれてもそれほどの説得力がななかった。
自分はモダンなばあちゃんがつけた可憐(かれん)というアメリカ人にだって通用しそうな名前だから私の名前に対する口惜しさなんて解るはずがないのだ。
でも、母親が自分の名を活かしてスナックを経営するにあたっては「私の名は将来そういう事もあろうかと、選んでくれたのよ」と云い、それなら、お金が全てじゃないって云ったのもじいちゃんじゃなかったのかと私が反発すると、「だから、円は園でもあり、宴でもあって要するに縁起が良いのよっ」とその場限りの取ってつけたようないい加減な説明を真顔で云ったりする。
私にすれば生涯付きまとうこの名前、せめて苗字が違えばもっと違う人生が待っていたような気もするのだが、この苗字も劣らず負けずで、私の悩みを更に合う方向に向かわせたのも確かなんだ。
苗字が保志加なんだもの。ほしかまるこ、この苗字でも中学生の頃はホシイカだとか、「欲しか貯まるコ」だとか、「惜しかったまXこ」、とかはやされて散々な目にあっている。
名前のせいが多いに影響して私はなるだけ目立たないよう、影にかくれるように生きる癖ができてしまっていたので、最寄の公立校、そして短大に進学してからも、青春を謳歌すべきその時代を、いつからか誰からも忘れ去られ、取り残されたような存在感ゼロの学生生活を送ったものだが、それはそれで名前の事でとりたてて騒がれる事無きを得たのに密かに喜んでもいた。
他の集まってはキャーキャーと意味の無い奇声を上げてはオーバーなリアクションで人気を集めている女史等とは無関係で、会話を共にする友人と呼べる人間もおらず、いつも一人浮いているような存在で、いや、存在感というものも無かったから、影のようなとでも云うべき私は周りと距離を持ち、そして回りの人間達は私という一個人を無視するといった生活でこの時まで暮らしてきたのである。

短大時代の寮生活では回りの学生達が仕送りとアルバイト分の資金を充分にコンサートだ、デートだと忙しく、そして楽しそうに生活している中でも円子は一人部屋でその大半を暮らし、外出といえば、登校通学と下校時に近くの本屋で数時間を過ごすといっただけで、母親からの仕送りは殆ど手元に残っていた
そんな彼女であるから、単に通学して単位を取り、一応の学生生活が過ぎたその後に社会も彼女自身にも将来を期待すべくものも無く、世間に出て、自活生活をいかにしたらよいものかも考える事なくきてしまったのであった。
短大卒業間間近になった年の明けに、母親と自分の卒業後の生活を相談しようかと考えて実家へ戻った彼女の目に、店じまいをして引越しの仕度に忙しい母親の疲れ顔があった。
その頃には商店街のバス旅行に出かけた爺ちゃんとモダン婆ちゃんが旅行中のバス墜落事故であっけなく世を去った後に、外遊びを続けていた母親の可憐がそのスナックを引き続き受け継いでみたのだが、商才の無い母親の事、直ぐに生活に窮する状態となっていたのであった。
もの心付く頃から円子の家族といえば母親の頑固な父親、当の円子と名つけた本人がサラリーマン時代の退職金で経営を始めた小さなスナックで、生まれながらにそのスナックでママ役をしていたみたいに、明るくてモダンな婆ちゃんが「営業上にさしつかえるから、私をママと呼びなさいね」と、まだ若くて、たまにこずかいをせびりに戻っては、またちゃらちゃらと出かけてゆく円子の母親の事を「カレンちゃん」と呼ばせていて、実際に円子を育ててくれたのは、その二人の祖父母に他ならず、父親というものの影さえも知らず、誰もがこれが普通家庭生活であるがごときの暮らしに円子自身も父親の存在をあまり考えた事もなかった。

もともと事業などには不向きな母親は、そのちっぽけなスナックもとうに客足が耐えて閑古鳥が鳴いていたのがそのきちんと整頓されていない店内の様子にも見て取れ、短大を卒業する円子への仕送りも、やっと借金を重ねてしていたと言う。
少しはその予想はしていたものも、やはりその訪ねた日に急に切り出されては叶わないと驚いて立ちすくむ円子に、母親は精一杯の明るい笑顔で「アンタも一人前にたったことだし、私の責任はここまででということで、ね。」
別れる愛人に手切れ金を渡すかのように封筒に入った数枚かの札を円子の手に握らせて「移り住む場所の住所がはっきりしたら、千葉のオバちゃんの所に連絡しておくから、アンタも新しい住む所が決まったらオバちゃんに連絡して、私の方の連絡先も聞いておくれよね。」との言葉を残して、母親は他県山奥の温泉旅館の下働きとして移り住んでしまった。
なんだか気抜けするあっけらかんとした母親の態度に円子は彼女の幼少時代の母親の姿がよみがえっていた。
少しのお金とお菓子袋を握らせて、「じゃ、またね。爺ちゃんと婆ちゃんの云う事を聞いて、いい子でいるんだよ。また直ぐ戻ってくるからね。」と言った頃の母親の姿である。

当座の生活費は寮生活時代の蓄えのお陰でなんとか賄えそうだが、どんなに小さなアパートにしても数ヶ月の家賃にしかならない。
まずは職探しでもして手っ取り早くきめなくては、、。
自分の人生の半分、いやまだ4分の1なのかも知れなかった過去の生活が名前のせいで将来のハードルを高くしてしまった、と円子は自分の名前のせいにすることで努力責任などとは程遠い排他的生活をしていた事をも自認せずして、前に立ちはだかる将来を恨めしく思うばかりであった。
そして、この時が彼女にとって始めて自分の置かれた立場を真剣に将来の先行きを、社会人として世に交えなくてはならない事を思うと、それまでが自分の存在を無くして生きてきただけに、自分をどうやったら世間に自分という人間がいる事を知らすべく行動を起こしていけばいいのかと思うだけで胸が苦しくなり、前途霧中に呆然となったのであった。
こうして円子の社会人としての幕開けであり、保志加円子が一個人としてスポットを浴びて生きていかねばならないと感じた初めての日でもあった。
タウン誌を見てまず小さなアパートを探した。
数々或る中で人の良さそうなオーナーのオバサンが「あら、何だかお目出度い気にさせられる良いお名前ねェ」と云ったのが自分を認めてくれる心温かい社会人として映り、円子が名前の事で誉められた始めての経験に何だか心が満たされる思いがして、そのアパートを住むところと決めた円子の独り生活が始まろうとしていた。
さて、その次はと。職探しもしなければならないが、前のアルバイト先でも取りあえず掛け合ってみておかねば。
円子は自分の名前のコンプレックスなどは頭のほんの一部に押しやった思いで人生に勝ったような気分に少しばかり酔っていたのであった。

続く。