3/03/2009

誰の命


3人の孫達は今のところは私達の教えを守って育っているようだ。
アメリカの教育が世界水準から遅れているのか、どうかは別として、3人共に成績優秀者としての場を保っており、教育上での問題児では決して無い彼等は一応に「素直で良い子」として扱われている。
彼らの母親は同じ街に住んでいながら、彼らと過ごす時間は月1-2日程で、その母親役を降りてしまっており、その心理を問うにも応えは未だ私の理解の半内では無い。
同居の我が息子にしても、養育費としての支払いは私達に出すのみが、またその父役を勘違いして暮らしているのである。

Ⅰ-死んでなんかない

「早く洗濯物を引き出しに入れてしまいなさいね」携帯電話で話中のDavidに私が告げる。
「え?違うよ。グランマさ。違うってば。そうさ、参観日に来たのもグランマだよ。本当だってば。嘘はついてないよ。グランマだってば。・・・・・・」彼が多分彼のガールフレンドらしき相手に言っている。

通話を終えたらしく、Davidが階下の私がPCを打っている側に立って私の様子を伺っている。「ン?どうしたの?何か用?洗濯物かたずけた?」と私。
しばらくあって、「何とも無い。だったら、いいよ。」と何がだったらなのか私には不明のまま彼はまた二階の自分の部屋へ戻った。
その後の2,3日、彼の目が私を注目している風であったのが、何を意味してるのかか解らない私であった。
暫く、ママの迎えが無いのが寂しいのだろうと私は勝手にそう思い込んでいたのである。
その夜から、2日後の事である。毎日の山の洗濯物の中から、Davidが先日の会話相手らしき女の子との筆談らしき丸められたノートの紙切れが彼のジーンズポケットから転げ落ちた。
切れ切れになった筆談でもその内容は直ぐに読み取れた。

“何を怒ってるの?どうして、もう電話しないでって?”
“話したくない。2度と電話してこないで!”
“私が貴方のグランマをママと勘違いした事で怒ってるの?”
"向こうへ行って、ほっとてよ”
“貴方のグランマはもうとうに死んでるんでしょうと私が云ったのが悪かったのね。だって貴方前にグランマが病気だって云ってたから”
“話したくないって云ったろう!”
“だったら、ごめん。だって本当にあの人は貴方のママだと思ってたんだもの。”“グランマに私が『貴方のグランマは死んだのでしょう』と云ったのをきかれてしまったのね。で、叱られたの?ごめんね。本当にごめん。”
“OK. だったらいいよ。また電話しても。でも、グランマの話はしないでよ!”

と、いう事なのである。
あの夜、Davidは私が彼等の携帯での会話を聞いてしまったのだろうと思って、私の行動が気になったものらしい。
そしてあれ以来、Davidは私にもっと気を使っているかのようだ。
だんだん大きくなって、私が母親代わりを勤めている事がいかに大変である事や、また、年令や体力的にいかに3人もの子育てが私の命を削っているものやと徐々に理解してきての、彼の思いやりが私の行動に注目してきた理由なのであろう。
そう思うと、また我が孫達の心情を想い不憫でならなく、私の命が私一人だけのもので無いと思わされ、涙が心に満杯になるのである。