9/13/2009

いざ、いざ

N姉さんにはご機嫌宜しく今日までお世話頂きましたが、アッシはカカアの賃金で家徳を賄うのは男一匹が廃るというもの、隣町にアッシの弟子が助っ人を待ち望んでいて、そこの猟場ではアッシが身内のT兄さんのこの猟場よりも活躍して行けそうに思いますんで、そちらに行かせて貰います。
どうか、アッシの後釜のC女親分を宜しくお引き立ていただき、この場の繁栄が更なるものとなさって下さいまし。
アッシ独りの身ですと、これからもN姉さんと一緒にこの場を栄え、行く行くはT兄さんからこの場を貰い受けると聞かされていたのが、大親分交代にあたってはそうも行かなくなったのが事情でござんす。
アッシの働きが多かったのが、さして認められなくなり、内情を知るT兄さんはアッシに対するN姉さんの働きを少し妬んでいたのも事実でござんした。
N姉さんからの思い入れもあって、アッシは家族を何より大事に思い、餓鬼3人を一生懸命に育てる事にも専念の意を表したのが、アッシの仕事に手抜かりが多くなったと勘違いしたのやもしれませんが、N姉さんの仰るとおり家族あってのアッシであると思いながら今日まできたのが、裏目に出たのでござんしょうか。

「可愛い弟子達、そして皆々様、ご機嫌宜しゅう。また隣町で合う事もあろうかと思いやすが、その時まで達者にお暮らしなせェ。これまでで、あばよ。」
と、吾が親分は別れの途に就いたのであった。
残された弟子達は泣く者あり、場を離れる者あり、ふてくされる者あり、陰で新親分を落とす戦略を腑に持つ者あり、後を追う者あり、後ろを向いて涙拭く者あり、嬉々として新親分におべっかを使う者ありと、それは様々なのであります。
この私めにしましては、今のところはじっとして廻りの様子を伺っているのでございます。
人生には色々な事が起きて当たり前なのでございましょうから。
自分の身丈に合った暮らしをいつもの時も心せねばいけませぬ。
背伸びや暴走は決してしてはならぬ禁じ事と戒めて、しかし努力は惜しむ事無く、回りと相まって無理からなる日々を暮しましょうぞ。これからも。いざ、いざ。

ってな具合なんですね、もし時代劇で表現したとしたらの最近の私の勤務先ドラッグストアの支店長交代劇であります。
N姉さんとは無論、この私の事であります。自分を当店の活躍の中心に見立てた図々しいやつと皆様はお考えかと思いますが、Well,そうでも思って毎日を暮らしていないと、雀の涙ほどの賃金でのこの年での労力が慰められないのであります。まあ、お許しあれ。
新支店長は指しての引継ぎがなされている訳では無く、それがこの大チェーン店Wの特徴でもあるのですが、各支店長は会社基本販売支持にしたがっていれば特有のあり方でその販売力を上げれば好成績店として認められる訳で、そこは各支店長の力に寄るのです。
L支店長が私に耳打ちをしたのです。
「この地帯は兄Tの配下になったので、私はここの長には成れなかった。私は兄の下で働く訳にはいかないんだ。隣の地帯には数人の長が選ばれるらしいから、そちらの方が自分には良い機会をもたらしてくれると思う。」
そうですよね。
ちなみにL支店長のワイフは当店大地区の薬局部の主任部長で、先月には南アメリカ地区に薬局部員薬局研修講師として講演に出かけたりする優れた職員です。
賢明な年上女性に憧れて結婚して最強の家庭を築く事を誓ったL支店長、今は自分の立場がいまいちスッキリこないのは、彼自身が誇り高く、活動的な人間であり、そして彼独自の人生期に於いては仕事をこなすには一番良好時期である事を承知しているからなのでしょう。
今の時期どのようなチャンスを逃す訳にはいきません。

私にとっては当店で、3人目の支店長のC女史。
さて、これからの私の勤務状態、生活サイクルにどのような変化が訪れるのでしょうか。
ちょっぴり不安もあり、刺激もあり、楽しみでもあり、今の私の心境は複雑なのです。
還暦を過ぎた私の年令で、若いボス達と色々な経験をもっていける事は私にとってはとても善い事に違いはありません。
人生は一生勉強です。人生に完全完璧なんて在り得ない、ただそれから眼を逸らさずに、向っていくのみと自分にいつも言い聞かせる私の今日の日々なのです。
いざ、いざであります。

9/06/2009

今日をありがとう -メラニーという職場仲間

当年22才のメラニーが私の勤務先ドラッグストアへ市政活動の一環として週一で出勤して来るようになってもう一年以上になります。
小学校は公教育特別クラスを卒業後、市の生活教育保護協会を通して今に至り、このドラッグストアが全国的に身体障害者協力プログラムの社会生活一環雇用者を採る企画から彼女が選ばれて当店に雇用者として迎えられたのでした。
私は最近までダウン症の彼女が中国2世アメリカ人であるのを知りませんでした。
両親が共に中国人で、家庭では中国語で会話をしているので彼女はそれを使い分けるのが上手です。
彼女を受け入れるに当たり、初めは古参のアメリカ人女性の下に就いたのは、会社が彼女がアジア系人間であり、学校と同じ感覚で、普通の英会話を難なく聞き取れるようにとの配慮だったかもしれません。
しかし、私達ドラッグストアに勤務の者が特別に身障者受け入れのトレーニングがなされているわけではなく、「普通の雇用者の取り扱いでお願いします」と言われたところで、そうはいかないのが当たり前のなりゆきでしょう。
彼女の出勤には必ず市の生活教育保護員が付き添うので、この保護員が彼女と一体となって社会生活教育に携わるとの契約が、その保護員が変わる度に、彼女の労力や意気込みや全ての精神面、体力面で変化が多いと私は感じており、しかも、受け入れ側の社員にしても、自分の仕事のノルマを抱えており、彼女を我々同様の仕事をさせるのは無理な事であるために、つい彼女への「教える」という立場がおざなりになってしまっていたのだと、彼女の出勤日が来るたびに私は感じ取っておりました。

彼女は記憶力や学習力には高い評価を見せたのですけれど、その精神力や体力にはかなりの限界があるように私には見えたのは事実です。
22才のこの彼女が時折5才児のように駄々をコネ、仕事を放棄し、何かに不満があるとイライラしても言葉にその不満を言い表せないもどかしい気持ちが彼女を更にを怒らせ、憤懣やるかた無い表情が現れ出したのは、ドラッグストアの誰もが忙しく自分達の仕事と、私生活にいっぱいで、彼女に特別に注目する事も無く慣れの状態になった頃だったように思います。
週一の勤務も彼女の出勤が当たり前になって特別に注目する事柄でもなく、慣れと言う形で彼女の存在はある意味に無視されつつあり、それに彼女自身が皆といまいち職場仲間という輪から浮き上がっており、しかもその存在が忘れ去られつつあると彼女は感じていたのに違いないのです。

或る日、その古参社員がヴァケーションに入ったと同時に私の所に彼女の勤務パートナー役が廻ってきました。
私は支店長に彼女の経歴を尋ね、彼女の受け入れが安易なものでは人間独り、一個人に対してあまりにも軽率な安請け合いにならないよう、そのプログラムの趣旨と合いまるように、勉強させて欲しいと率直な気持ちを話し、家でそれらの資料本などを読み漁ったのです。
彼女が私に発した台一声は「貴女は私の友達ですか。Are you my friend?」でした。
私は一瞬その言葉の意味を考え、彼女が私と職場での繋がりを求めているものと思い、とっさに応えたのでした。「そうですとも。私達はお互いが大事な仕事の仲間です。」
彼女は周りから個人として認めてもらいたいという様子がその態度の何処にも現われていて、その為には気持ちを一斉に導入するけれど、誰もが「あ、そう」的おざなりな態度を見せると落胆し、体も心も動きを止めてしまいストライキ状態に入るのが解るので、私は今回同席の教育保護員のコーチと相談の上、彼女の精神衛生を一番に取り上げて、それが体力アップにも繋がるよう協力してもらう事にしたのでした。
コーチの話によると、彼女は周一の出勤がとても楽しみなのだそうだ。
今現在は私は自分の立場や他社員達のしがらみも含め、職場における自分の立場を確立しつつある彼女の勤務は自由に選ばせているのですが、それでも「この仕事をヘルプしたい」と私の所に必ずやって来る彼女です。
そして、出勤一日の終わりに彼女は必ず私に「今日をありがとう。また来週」と挨拶し、私も「こちらこそ、今日をありがとう。また来週」と応えるのです。
こうして、私たちは職場仲間として一緒にどこまで行けるのか、今の私には皆目検討がつきませんが、少なくとも少しは彼女が一個人として社会に受け入れられていると感じて生きている事に彼女の将来が明るいものとなっていって欲しいと考える私です。