7/26/2009

番狂わせと命引換券


我々家族に付属する人間ではあったのだが、何という番狂わせを我が家に持たせてくれた事か、M君。
貴方はたった21歳、成人になって間もない若さでこの世を後にするなどとは、誰が考えた事だろう。
あまりにも突発的事故によるその死は、多分当のM君自身もまだ納得せずに、事の成り行きを不思議がっているやもしれない、と私は思ったのだよ。
哀しみに打ちひしがれて、泣き叫ぶ我が孫娘を貴方は、きっと「どうしたの、僕がここにいるじゃないか。泣かないでおくれよ。綺麗な自慢の髪も涙に濡れてグシャグシャだよ。僕にどうして欲しいの、言ってご覧」と彼女の頬にキスをしたかもしれない。
でも、もう彼女には君の姿が見えないの。もう彼女には君の声が聞こえないのよ。
君がフロリダ州大会個人入賞をした、そのトランペットの音色さえ、もう届かない。
心の優しい君は、いつも人の手助けをしようとするのだけれど、今回ばかりは全く予期せぬ事故に君が会う事になり、皆が「そんなに他人にも優しく、いつでも手助けを一生懸命やる事ないのに!」と思ったかもしれない。
雷に打たれる死亡者は、この州では珍しい事ではないけれど、君の場合は嵐による市の電圧が地を伝っていき、車故障に困っている人を助ける為に車からおり、その場で電線排除を試みた君の体に感電したという。
その日のローカルニュースでも君の事故死を何度も放映したんだってね。
私達はとてもそのニュースを見る勇気がありませんでしたが。
天災と人災が一辺に君の身に起きるなんて、、誰がそれを予期したことだろう。

もしもこの世に命のクーポン引換券なるものがあるとしたら、私は何のこだわりも無く、私のクーポンと君のを取り替えてあげる事が出来ただろう。
本当に本当だよ。
孫娘の大事な、大事な人だもの。
君のご家族も皆自分の命と代わりたいと思っているのは知っているけれど、皆それぞれがまだこれからやはりしなければならない責任の様なものを背負っておられると思います。
とても暖かいご家族ですものね。君のような青年が育ったのが納得するような方々です。
そして孫娘は君のご家族皆に、それは可愛がられて何と幸せな娘だと、いつも感謝していましたよ。
私も私の家族にとても愛されているのは承知です。
でも、私は今までにもう沢山の良い思いをし、やる事はやってきたし、私の一応のお役目も済んだように思っているの。
それこそ次の番待ちに控えている私の夫は、彼の命の炎が細りきって今にも消えそうな状態なんだけれども、彼にはまだまだ孫達の保護者として頑張ってもらっているから、彼のクーポンは誰にも取り替えられないの。
それにしても、どこをどう視た所で、君の他界は番狂わせの以外の何ものでもないでしょう。

私の母が姑と舅の同時葬儀の後(この私の祖父母はアルツハイマーを長く患って他界した祖父の葬儀に集まった人達にm祖母は夫の世話役として一応の仕事を終えたと皆に挨拶をしてから、その同日祖母は息を引き取るといった典型的な夫婦の形としてダブル葬儀になったのでした)私に言いました。
「この二人の人を弔った後の私の思いは、さて、次は私達の代があの世への番だと思っただけ。」
そして、数年後、その母は出番待ちどおりとばかりに逝き、暫くして父が逝った時、私は母の思いと同じに「次は私の出番だ。」と思ったのでした。

夫が余命数ヶ月と言われた8年前には、私は思ったのです。
『いえ、まだ貴方の出番ではありません。やって貰わなければならない事が沢山あります。』そして駄目モト的手術に於いて「貴方、手術から必ず目覚めて、その様子を私に全部報告する事を忘れないで下さいね」と言った私の言葉に彼は賢明に『手術室やその様子を覚えておいて妻に知らさねばならない』と思ったそうで、大逆転ミラクルを起こしたというウソのような本当の話です。
その時は私は私の命の引換券を彼に渡そうとは思わなかったのは、その時は私も彼同様、まだ私達の人生に於ける責任の様なものは果し終えていないと思っていたからです。
孫達の責任者としてまだ子供達の成長が心配の原因でした。

今はあの時とは違います。
今は、子供達も成長し、一応の私の役目は終わり、今の私は母がいった出番を命クーポン券を手に、ちぎり天使を待っている日常です。
しかし、たった一枚きりの引換券、無駄にこの命クーポンを使う訳にはいきません。
私の本音としては、夫の命引き換えクーポンを取り上げてしまって、破り捨て、彼にはいつの時までも生きながらえて欲しいのです。
家族皆が彼を、その彼の思考力と、生産力をまだまだ必要にしているのです。
「そんな命引き換えクーポン券なんて、実際には無いのだから、ナンセンスを愚痴るのは善くない!」と息子に怒られてしまったけれど、私の本心を言ったまでの事。
もしも、私にその命引換券が実際にあったとしたら、私はこれを今、使いたいと心から思います。
M君に戻ってきてもらいたい。
何よりも私には孫娘の将来が大事なのです。
M君、兎に角君の急死は番狂わせなのですよ。
私は逝ってしまった君を責めているのではないのです、M君。
私は君を家族の一員として迎える日を見たかった、そして孫娘の笑顔を何時の日も願っているだけなのです。
私達が出番のその時は命引換券を天使に渡す時、君のトランペットが高々と鳴るのが聞こえるのでしょうか。

7/19/2009

円子の「こんなもんかい」物語り その(14)


(14)再会と目の中の血

「あの、、。あ、やはり、ミツ君。いえ、保志加さん。どうしたんですか。あ、手に傷が、、」
声に顔を上げると、朝日の中に女性が屈んで満の顔の前に黒い影を作っていた。
どうして自分がそこ、アパートらしき建物の階段に座っているのか解らない満の頭がスローに始動し出した。
「私、解る?やっぱり変わって、すっかりオバサンになってしまったものね。こんなところで会えるなんて。まさか、私を探し当ててくれたのじゃないのはわかってても、会えて嬉しい。私の家、そこなの、どうぞいらして。朝ごはんまだだったら、私すぐ用意しますから」
「あァ、朋、、。」満の頭がの中で昨日の出来事を反復しながらも、居酒屋での独り酒盛りから今、どうしてこの学生時代の恋人であった朋子に出会う事となったのかは空白のままであった。
朝の食卓を昔のように朋子と一緒に過ごしているというのが、何だか出来すぎたお話のようで、満には天は自分の敵なのか、味方なのかが計り知れないでいた。
昔と違うのはお互いの容姿が青年のそれから目に見えて年月をへだった後の事であるのが一目瞭然で或る事と、二人の側に賢そうな小学生位の男の子がきちんと正座して一緒に食事をしている事である。
「雑誌や新聞などで、ミツ君の報道があると、随分活躍しているんだなァと本当に嬉しく、私には自慢の人なのよ。ね、拓君にも良く聞かせたりして。」と萌子は笑った。
萌子は満と別れてから故郷に返り、そこで大きな農業をやっている男性と見合い結婚をし、その間に設けられたのが今一緒に生活をしている拓哉であるという。
農家の経営は彼女の夫と夫の兄、そして父親が手広くやっていて、裕福で楽しい時代が数年あったのだが、その父親が亡き後を長男の兄と兄嫁一家が引き継ぐにあったって、次男の夫には歩が合わない生活を強いられ、最終的には夫がそれを萌子とその実家の助けの及ばなさを不満に思うようになり、家を追い出され、縁を切る事となってしまったそうだ。
何も子供まで追い出す事はなかったのだが、夫が再婚する相手に子供がおり、その子供と相手一家に気を使っての事だったのだろうと萌子は言う。
ここでも欲と得と因果の関係がしがらみをつくりあげていたのだ。
そして、満は自分勝手に萌子が自分と似ているのだと、認識すると共に、自分にはやはりこのような女性が自分の理解者としては最良であるのだと思い、萌子との再会を心から喜んだのであった。
こうして、満の生活は萌子家族の世話をする事で、今の自分の現実をどの様に自分のもとのとして取り入る事が出来るかと、新しい生きる闘志のような念さえ燃やしてくれたのであった。
「自分も萌子も家系一族という大きな目に見えぬ力に負けてなるものか!」と自分のその家族乗っ取り作戦を善巧に摩り替えてしまったその時の満であった。

輝美は満には子種が無い事を知らなかった。
養子縁組の件で、妻の輝美が満を許す様子が無い事は彼女が別宅に移り住んだ事でも明白であったが、それでいて、輝美が未だに満の血を坂下家に継がさせたいという考えを断ち切ったというわけではなかった。
その狂信的思考が故なのか、満にはどこか他にも子を設けているに違いないと輝美とその使いの者達が長年の調査を続けた結果が、保志加円子にたどり着いたというわけであり、満はその輝美一族の誤報を驚きの気持ちで受け入れ、それを逆手に取る事にとっさの判断をしたのであった。

「何なのアンタ達。人の家に来て、私の子供を何処に連れて行くっていうのよ。
坂下満?知らないわよ、それ誰なのさ。何をいってるのか私にはまるで解らない。
知らないってば。なんで、その坂下だか何だか知らない所に円子をくれてやるのよ。金持ち?誘拐じゃァ、無いって云っても、現に何だか解らない事、云ってるじゃないのアンタ達!」
母親が叫んでいた。
外で土を掘って遊んでいた円子が小さなボタンのような貝がそこに混じっていたのが嬉しくて、それを拾って走って母親に知らせようと家に入ったところだった。
母親が話している相手はスーツに眼鏡と言った、いつか見たセールスマンのようだと幼い円子の目には映った。相手の低い口調に対し、母親の剣幕が圧倒的で何か異様な光景であり、円子はそのままあわてて、母親の後ろに廻った。
「円子ちゃんですね。円子ちゃん、叔父ちゃんね、円子ちゃんのお父さんに頼まれてお迎えに来たんだよ。玩具や小さな動物達も沢山そこで円子ちゃんが来るのを待っているんだよ」とその男は鼻にかかった猫なで声で母親の後ろ肩から覗いている円子に向かって言った。
「勘違いもいい加減にしなさいよね。この子の父親はもうこの世にはいないんですよ。バイク事故で、、。そんな事アンタに説明する必要もないでしょう。帰って下さい。なんだか知らないけど、訳のわからない事グダグダ言わないで、帰ってっ。変な人なんだから、、。」と母親が云い、円子はそれに続けて「変な人なんだから。」と繰り返した。
その時、男は立ち上がり、「私は、ちゃんとした書類だって持ってきているんですよ。ここに、署名してくださいよ、保志加可憐さん、」と側へ寄ってきたのと円子が母親に手に持っていた竹の棒を御用に渡そうと咄嗟にした事が同時で、母親の肩上に突き出たその鋭い先が男のずり落ち気味眼鏡の合間から、屈み様のその顔面を真向かいに向けた左目を突いた。 あっと、云う間の3者のイミングであったのだ。
男はぎゃっと叫び声を上げ、のぞけながらも左膝を床についた。母親はその声に驚いて横によけ、円子の小さな体がその男と向かい合わせになった。
そう、あっとい間の出来事であったのだが、円子にはそれが、大きく、モノクロ映画の一シーンをスローに観ているような感じがあり、次に真紅の血の色だけが鮮やかな色でその棒を伝って流れ出したのを見たと思った時、その先の赤い雫がポタリと円子の額に落ちて、その小さなつぶらに生ぬるいネットリ感と黒い色合いが広がった。
円子の体は恐怖で固まり、動く事も声も出す事もその場では到底無理な状態で、ただ、ただ、呆然とな立っていた。 そしてそれからは男も血も母親の背中もが全て白く煙のように円子の視界から遠のいていったのだった。
その後、どうなったものか、円子には解らなかった。翌朝目覚めた時、少なくとも円子はその時が翌朝なのだと思っただけの事ではあるが、病院のベッドに寝せられており、側にあの、じいちゃんとばあちゃんがいて、優しく円子を見下ろしていた。
円子の記憶には母親に見せようと遊びで見つけた小さな貝の思い出までしか留めておらず、そしてそれを大人達が最善策であったかのように胸を撫ぜ下ろしていたのだった。
そして、その後円子は老夫婦二人に連れられて、母親の実家に住む事となったらしく、母親の可憐は時々様子を見に来るといった生活がはじまったのだった。 

その事件の男は、輝美のお付の弁護士の一人であったのだが、その事件が満の知るところとなったは、そのご数年も後の事であり、当の保志加可憐とその家族には何時までも、それが誰であったのかは確かではなく、しかもその男はそんな事件が実際に起こったのかどうかさえ夢の中の出来事かのように煙の様に消えてしまっていたのである。
そのような皆の口に昇らない、又は、口に出して話すことがはばかれるといった想いがあってなのか、保志加可憐とその両親には、ただそれが一時の悪夢を見た思いに無理やり忘れる事に勤めもした。
大人達にとっては、その部屋の状況から事件が起きた事は事実であると知り得たのだが、男の姿は消え、どこからもそのような事件が起きたとの被害届けも、警察沙汰になる様子も丸で無く、円子の精神状態をも考えて、事を見分ける事などはせず、何事もなかったかのように振舞う事で、日が過ぎていったのであった。
可憐の人生を見守ってきた、円子の祖父母には、この事件が起きた事で、古傷をかきむしるように一人娘の可憐を哀れと思い、陰で涙せずにはいられなかっただろう事が、円子にとっては痛いほど解る日が来るのは、ずっとまだ先の人生の一端の出来事であったのだ。

以来、輝美は円子を養子に迎えるのをひとまず、考え直してみたものか、それ以上には円子を養女に迎える活動を表立てて行うのを止めた物か、静かな生活状態が営まれているかのようであった。
その時から円子の幼少時代の悩みと言えば、自分のからかわれ易い名についてだけであり、時々顔を見せる母親の訪問にも特別親しみも無い変わりに、淋しいとも思わずに暮らして行けたのは、祖父母の大きな愛情を円子が常に感じていたからなのだろう。
しかし、その優しい祖父母の悲しくもあっけない事故死によって、円子の母親が実家に戻る事になったのだが、その時には円子は大学生として、人との付き合いなどには馴染まないまでも、それはそれなりに自分に納得をしつつ大学寮生活を過ごしており、ついには卒業後は母親の希望もあって、親子で同居する事にはならなかったのであった。
円子が大学卒業と共に母親がサッサとその実家を閉めたのは、その後、円子が思うに、独り立ちさせる事が、またあの昔のような忌まわしい事件を思い起こしては円子の精神に傷が一生涯残ってしまうとの思いが二人が別々に個々で暮らしていくのが唯一の道であるかのように、可憐が信じていたからであった。
「私と一緒に暮らすと、円子にはろくな事が起きない」と愚かにも、信じきってしまった可憐であったのだ。彼女にとっては哀しい愛情の裏返しであった。
そして、母親可憐は山奥の温泉女中となり移り住み、円子は独り社会生活をする事になったのだった。

が、年月を経て、加齢とともに輝美の病状が悪化の途によって、あの、円子を再び事件へと巻き込む事態がまた起きようとしていたのだった。
天はその時もまだ、円子の運命を定かにしてくれようとはしていなかったわけであった。
そして、それは最終的に円子の記憶の全体をリセットする事件へと事が運んでいったのであった。


続く。

7/18/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その (13)

その(13) あがき

坂下満は多いに頭を悩ませていた。
妻の輝美が満に二人の仲に子を設ける事は出来なくなった事態の再策として、満に外で付き合いの或る女との間に出来た子供を、坂下家の養子として認知して欲しいと申し出たからであった。
その申し出がなされた直後は満も妻を哀れと思い、その策には大いに寛大に受け止め、内心は自分が坂下家を完全に取り込めたことで天にも感謝したい思いの満であった。
しかし、天は決して満のその黒い腹を見逃すことなく、悪性を罰する事に目を閉ざしていた訳ではなかった事に満が気がつく日も直ぐの間にやってきた。

当時の満が通い詰めていた店は数多くあったが、そのなかでも源氏名を篠という蝶を可愛がっており、その彼女がある日満の耳元で「産んでもいいでしょう、この子」と自分の腹部に両手を当てて彼にささやいたのであった。
その頃はまだ、坂下家に養子を入れる話が起きていなかったので、満は大慌てで篠の堕退を強要したのだが、篠はそんな満の言葉を受け入れず、ついには人の口沙汰に上るのを伏せるために、満が彼女にマンションを買い与えてそこに住まわせ生活の面倒を見る事になったのであった。
が、篠が男児を生んだ後は、時には顔を見せる事はあっても、満の弁護士を通してそれなりの手切れ金を渡し、坂下満の名が表にでないようにとの念書を書かせたりもしたのである。
そして、その後に及んで、妻の輝美が満に下した養子縁組の要望条件に、満はこの時真っ先に篠に産ませた男児を頭に思い浮かべたのはいうまでもなかった。
篠の子の名、それが保志加円子が先輩と呼んでいたあの啓真に他ならない。
念書まで書かせて、自分との繋がりを拒否した満であったのが、今度は弁護士を通して、それなりの財と地位を約束すべく啓真を坂下家に認知したいと言い出したのだ。
篠は自分の子を手放す事を嫌だと初めは拒否の態度であったけれど、満が彼女も含めて引き取りたいと言い出した事で、子供と別れることにはならないのなら、と一応の納得を示したのであった。
しかし、しかしである。
2日ほど出張会議で家を空けて、帰宅した満に妻の輝美はそれまでに見た事も無い形相を浮かべて満を向かえ、開口一番に彼をなじり始めた。
「一体、貴方と言う方は、、。誰の子か解らない者をよくも坂下の家に迎えようとは。私を騙して、その母親の女とこの家を取り込もうとしたって、そうはいきません。貴方の悪巧みはここまでにして下さい。坂下を一番大事に思って、ここまで盛り上げてくださった貴方の努力には充分感謝しておりますけれど、私はまだ、坂下の者です。貴方に全面をおまかせしたわけではありません。」
当時はまだDNA鑑定のような確定的に親子関係を調べる方式は発見されてはおらず、血液の型でしかその関係を証明するのは困難であった。
そして、そのある意味には単純な血液鑑定に於いてさえ、それが満の子供では在り得ないと証明されたのだと輝美は云う。
満の驚きは輝美のそれよりも、もっと衝撃だった事は言うまでも無い。
満はその子が自分の子であると、疑っても見なかったのだ。篠は満が通い詰めた店のナンバーワン人気の蝶であり、廻りの男達の中でも自分が篠の心をしとめた男として満の自尊心は舞い上がっていたものと思われる。考えの甘さに満は自分を蹴り、殴り倒したいほどの憤りを感じた。
『雌キツネめ!この自分をまんまと騙して来たのか』満は自分の自己中心的考えを棚に上げて、篠にその怒りをぶつけようとしていた。

目の前の当の篠に到っては、私にはこれ以上失うものは無いとと開き直った。
「何をおっしゃてるの貴方。私はこれは貴方の子ですとは今までに一度だって口に出した事はありませんでしたよ。貴方だってそうじゃありませんか。そして私に口外無用と念書まで書かせたではありませんか。ほら。」と、満自記書の紙を目の前でひらひらさせたのであった。
この事態に及んでも、篠を怒らせて、これ以上に事をこじらせるのは適切な処置では無い事は満自身にも感じられた
念のためと、篠と啓真を病院に半ば強引に再検査に出かけた満は、そこで、又、更なる事態を知る事になり、唖然となったのである。
それは、彼自身には子を産む機能がとうに失われているとの医師からの言葉であった。
満にはそれがダブルのショックとなって自分の前に立ちはだかる運命に頭をかきむしったのであった。

満は泥酔していた。もともと夜遊びは好きで、夜の街には一応の幅を利かせていたのは彼が酒に強くて、口上手、商談上手、そして人扱いに長けているというところであったのが、その夜の満の姿は敗北者そのものといった感じで、どの面もが成功者や優者としての満の面影のひとかけらも見られなかった。
独りで、どうしてその酒場に行ったものやら、そこがどこなのかも満には解らなかったが、そんな事はどうでも良いという気になっていた。
篠達と別れてから、独りで考えようと暫くは街中をふらふら歩いてみた。
彼は山奥の農村出身者には独特の根強さがあり、どんな時にも巧く周りを適用し、弱者となる事を拒否する基盤を心に植えつけていたので、思いあぐねるたった今でも、何か自分に出来る策は無いものかと、頭の計算機が動いていた。
と、ある小さな居酒屋があるのが目に入り、初めて、商談抜きで自分の為だけに酒を体に入れてみたいという気分が持ち上がり、のれんをくぐったようだ。
それこそ、いままでにたった独りで酒を友に飲んだ事があっただろうか。いや、無かった。黙って独り飲む酒は決して悪いものではなかった。
所詮、人間なんて独りで産まれて、独りでこの世を去っていくのではないか、と意味の無い理屈を頭の中で捏ねていただけかもしれない。
「人生なんて、こんなもんかい。こんなもんさ。」自問自答した満であった。




続く。

7/16/2009

円子の「こんなものかい」物語 その(12)


その(12)ある秘密

円子は自室に戻るまで、後ろに栄子の小言が耳に届いていたが、ドアの中に入ると外の音が締め出されたように静かになった。
どうして満が自分では何も円子の質問には答えてくれないのに、私を独りで外出する事で、監視の目を栄子に厳しく言いつけたりしてるのだろう。
円子は父の満が実父では無い情報を得て、急に彼に対する対抗攻撃のような意識がつのるのを覚えていた。
香織に連絡しておかねばならない、と携帯をバッグから出して椅子に腰掛けた時、
窓の庭向こうにシルバーのスポーツカーが木々の合間を正面玄関に向かって見え隠れしているのが目に入った。
庭門前のゲートが開けられたのだから、知り合いや、関係者以外の物売りとは考えられなかった。
高級車らしいその車に見覚えがないと言うわけでもないが、こういった車は街中には沢山ある。現に私の友人の一人にもこの種の車に乗っていたと、「あっ」と円子の頭がその考えを急速にまとめにかかったかのような、衝撃を受けた。
その車と同じのを持つ私の友人?いや、私は友人を持っていたなどとは思えないけれど、香織さんがいってた私のボーイフレンドかもしれないと云う人物、その人の車の種類と同じなのだろうか。
落ち着け、落ち着いてよく考えてみよう。何故、サエさんのアパートからU安堵I街編集会社に通う事になったのか、何故サエさんの所で記憶が途切れてしまったのか、その時私を病院に連れて行ったという、私が切りつけたという男性は、、。もし、今ここに来ている男性がその私のボーイフレンドならば、彼は決して私には悪意を持っていないだろうから、彼に会って話を聴くのが一番手っ取り早いに違いない、、。そうだ。大丈夫、会ってみよう。

「あァ、貴方は、、、」円子の声に階段下のフォーャーで栄子と話していた男性が顔を上げた。
「円子お嬢様、今お声を掛けに参ろうとしていたのですよ。丁度いらして下さって良かった。会長秘書の高田栄哉さんです。何度もお越しいただいているのですが、いつもお嬢様はお休み中だったり、お庭散策中だったりで、ご挨拶できないでいらして、、」
栄子がそう云い終らない内にも高田が白い歯をみせて円子に笑いかけていた。

今日こそ円子に誤解を受けずに、話を最初から聴いて欲しいと高田は言った。
「会長を或る企画の会議会場に送ったその足で、貴方とゆっくり話ができるかもしれないとこちらに参上したのです。」
無論円子の頭は混乱し、さて、この男は私にとっては見方なのか、それとも今までの私の過去を打ち消そうとした原因を造った悪魔の見方なのかと、目を凝らして高田を見下ろしていた。
どちらにせよ自分の身を明かす鍵を握っている人間である事にはまちがいないと思う気持ちが優先権と握ったかのように、そろそろと、しかし、高田からは目をはなさずに、彼に引き込まれるかのように近寄っていった円子であった。
高田は円子の手をとり、静かにダイニングのフレンチドアを開けて、庭パティオの椅子に円子を座らせ、その手前にあるもう一つの椅子を円子の真正面に置いて自分も座り、前に屈む様な仕草をして両手を合わせ、少しばかり頭を垂れて思考をまとめる様な感じに目を先に宙に浮かせたのちに、思惑顔のまるこの顔を直視して話を始めた。
そして、夢遊病者のように高田に連れられてそこに来た時、急に円子は自分の解らない事を質問したいはやる気持ちが湧くのと、高田の話を全部話を直ぐにでも聴きたいと思う気持ちが同時に起きて円子の口を開かせていた。
「高田社主、いったい如何云う事なのですか。私は、、」と言いかけたのを、高田が合わせていた彼の両手を開いて掌を円子の言葉を受けるかに柔らかく制し、「大丈夫、話の後で、また解らない事が出来たら、説明するとして、今はまず、私の話を聴いてください」と言った。

事の次第はこうして高田栄哉の出現により、記憶を取り戻す大きな力として円子の頭脳にいとも急激にその形をあらわにした。
それは円子が確実に自分が誰なのかと云う事を解らせ、過去の自分が現存していた事を知らしめたのである。「私は確かに保志加円子と云う名を持つ、一個人です」と円子は声に出してそう云ったのは、それまでの人生を反復しての感慨でもあった。
始まりは、全てが坂下満の一つの計画から円子の人生が変わる事に繋がる。
坂下満がまだ坂下という姓を受ける以前の名は保志加満という。そうなのだ、満は円子にとっては伯父にあたる。
どちらかといえば野心に燃える、が、饒舌で、良い意味にも、悪い意味にも活動的な青年であった満は当時長年に渡って付き合っていた恋人と簡単に別れたのは、その野心の為であった。
富豪の娘坂下輝美の一族が経営する会社に採用されて、輝美と共に会社運営の手助けをする身となったからであった。世間にはよくある話である。
その時経営不振気味であった坂下一族を新しい改革に燃えた満が別会社を企画経営する事で景気の波に乗り、満は誰の目にも輝美には相応しい伴侶として映り、順風満帆の経営者として坂下家に迎え入れられたのであった。
しかし、その昔から一族には呪われた血と呼ばれる得体不明の病状が輝美一家を襲い、最期の輝美までにもその悪魔の手が及んだ事と、満が経営活動お遊びに飽きてきていた事もあって、結婚後数年のうちに満の夜の街に魅せられ、女から女と夜遊びに余念がない時期となった。
当時は坂下満として実業経営者青年ともてはやされ、雑誌や週刊誌などにも取り扱われ、満にとっては有頂天の最中でもあった。
重役達が満の女沙汰であちら、こちらを奔放する中、ついには病身の輝美の耳にもその満の火遊びの件が及ぶ事となった。
輝美は彼女なりに、病身の身が二人の間に坂下家を継ぐ子供を設けられない事に負い目を感じ、願わくは、せめてその満の血を継ぐ子供を養子縁組をしたいと申し出たのであった。
当初の満は、そんなバカバカしい養子縁組など出来るものか、と考えていたので、いつもその話になると、のらいくらりと逃げ足で真剣に輝美の思いを汲み取ろうとは思ってもいなかったのだが、そんな満も或る日彼の弁護士から坂下家の経営に関しては今現在には輝美が全面権を握っており、その事で輝美から坂下家を満が今後に渡って経営をし続つけるのは困難になる事を告げられた。
輝美が代々続く悪しき血により、最期に自分も病身に倒れた事で、満との間には子供が設けられないのだと知ったその時、彼女はそれを坂下と養子縁組した満に彼の血を新しく継ぐことで忌まわしい病から坂下家が逃れるたった一つの希望としたのである。
輝美は病身であるが上に、満が自分以外の女性と密接な仲になる事を知っていた。
そして彼女はそのような満の行動を、忌まわしくも思いながらも、満がその女から子を設けて、坂下家に迎えてくれるのを期待もしていたのであった。
他人が坂下家を継いで行く事は、何とも口惜しくもあったが、輝美にはその方法でしか坂下家に新しい血に変える事は不可であるとそう決心していたのである。
確かに、満は青年時代からの遊び癖が坂下家に養子縁組をする事でおさまったわけではなく、一時はおとなしく坂下家の婿を勤めていた彼も、彼の腕で会社を立ち上げ成功の途に再建を成し遂げた事で、多いにその業を認められ、彼自身も自分を坂下満として世に知られるようになってきてからは、それまでの遊び好きな面が表にも出して人はばかる事もなくなったものか、夜の街では商談と称して大手をふって豪遊していたのであった。
自分の血筋を継ぐ事を嫌った輝美ではあったが、全くの他人を坂下家の子供として養子縁組をすることには全面的に抵抗があったのは、満が下降の途を止め、坂下家を元の財を超えるほどの成功を収める幸運の男児と信じたからであり、そしてその血筋に坂下家の財脈を変えてもらえるとの希望が輝美にそのような覚悟の計画を決心したという事自体、ある意味には単純極まる哀しい女の業でもあった。

幼少の時期から輝美は坂下家を継ぐ最後の人となり、満との婚姻で子を設ける事が自分に架された重大な任務であると頑なに信じていたのだが、二人の間にはそれらしき兆候が現われず、少なからず不安におののいていた輝美の期待は彼女が病に於かされた事により、忌まわしい悪魔はやはり輝美をも逃してはくれないとはっきりと悟ったのだった。
それを期に、それからの彼女は自分が坂下家を継続していくすべを考えあぐね、悪魔の手によって葬られる前に何とかせねばならないと、苦肉の策を企てたのが、前に述べた、満が外で生ませた子供を引き取る事で、坂下家が栄える力の備わった血を迎え入れて、その悪魔にしっぺ返しをしてくれようというものであったのだ。
ところが、満にはその様な輝美に対して云う事をはばかる重大な秘密を抱えており、輝美の望みをかなえるべくその宣言は、満の腹の中で黒い固まりを生んでいたのである。
満を脅かす黒い固まり‐それは、満には子を孕ます要因を保持してはいないという事実である。
満自身がそれを知ったのも偶然の皮肉な事の成り行きと云わねばならない。
満の大きな秘密、そしてそれが、保志加円子という一人の人間の人生を大きく変える事となった原因に他ならないのであった。

続く

7/06/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(11)


その(11)核心

確かに見た事のある街並み風景であった。
タクシーのウィンドーから住所最寄バス停が見えた。そうだ、あのバス停で何度か見知った顔の女の子を見かけたんだった。
2連のアパートが細長い花壇のようなものの向かい合わせになっている、その建物を見上げ、円子の住所録にあった部屋番号に目を追いやった時、最初の建物の窓に猫が外を眺めている。
サエさんの猫だ。その窓を通して、奥にも白い猫の姿が見えた。すると、そこはサエさんの住む部屋らしい事が察しられ、はやる気持ちを落ち着けるために一深呼吸した後、その戸を軽くノックした。
猫達がその来客の出す音に戸口まで寄ってきているのだろう。「はい、どちら様?ショウちゃん、ちょっとそちらに動いてちょうだい。外に出ないでちょうだいよ。はい、いま戸を開けますので、、」と声が聞こえ、戸口が開かれた所に、2匹の猫を控え、一匹を胸に抱いた女性が立っていた。
「サエさん、、ですよね」と円子が言うのと、その女性が声高に叫んだのが同時であったかもしれない。「保志加さん、円子さん、、一体貴女は何処で、どうしておられたの!」

驚き興奮の涙さえ浮かべ、サエの片手はまだしっかりと猫を胸に抱いていながらも、もう片方の手を円子の肩に廻し、強い力で部屋の中に招き入れた。
子供のいないサエは猫を可愛がっていて淋しく暮らしているのではないと云いながらも、当時は久方ぶりの寂しい独り身である円子の入居が嬉しく思えていたのだったらしい。円子はその時、サエが彼女を可愛がってくれていたアパートのオーナーである事を少しは頭の端に残っていたものか、彼女に随分世話をして貰ったように感じたのであった。
「私は、ここで、小さな女の子を度々見かけたようにおもうのですけれど、、」と円子の頭の中に知り合いとしていたのだろう手ががりを口に出してみた。
「あァ、その事よ。円子さん。貴女、あの日の事は何も覚えてないのね。貴女が同じ質問をした日の事、、。そして、その直後に事故というか、大変な事が起きて、、貴女は何処かへ連れ去られてしまったの。でも、その後直ぐに貴女の家族の方が弁護士さんを連れて、ここを引き払っていかれたのよ。ちゃんと、証明証やその他の書類もあって、貴女が入居の際に話した祖父母の事故死の事も知っておられて、、」でも円子からは何の挨拶も、連絡も受けなかったことですくなからず、気を害していた、というより、自分の気持ちが通ずるものを持っていると思っていた円子に裏切られたような気持ちが恨めしく、落胆していたサエであったのだ。
サエの当時の話に耳を傾けながら、頭ではその時の様子を再現して見る事で全てが明らかになるはずだと円子は考え、話すほうも、聞く方も自然と体中の力をそこに集中しているかのような迫力さがあった。
サエの話はこうであった。

或る日曜日、近くのスーパーで買い物をしてきた円子にであったのがアパート前だった。そしてその時円子はいつも中庭で遊んでいる女の子は誰なのかとサエに聞いたのだが、当時は小さな女の子を持つ家族の入居者はなかったので、そう伝えると、円子には暫く不思議がっていたが、貧血か何かで急に気分が悪くなってきたものか崩れ倒れてしまい、救急車を呼ぼうと管理事務所に入って電話を取ろうとしながら窓から円子の様子を伺うと、円子は気が戻ったらしくて、頭を垂れて座り込んでる上半身を男性の体が支えており、円子に声を掛けていたという。
それで、救急車は呼ばずに、その男性が円子を抱えるようにして、部屋に連れて行く後にサエも付いていき円子をべっどに横にすると「私、もう大丈夫です。でも、どうしてここに来られたのですか」とその男性に向かって、云ったので、彼が円子の知り合いである事を感じたサエは円子に大事な話でもしに来たのかもしれないとその場を去ったのだ。「何かあったら、また直ぐ連絡下さいね。私の部屋は管理事務所と続き間ですから、非常ベルを押していただけば、日中夜を問わず、私が留守の時でも非常連絡用の携帯にも繋がりますから」
が、それから1時間も経たないうちに、円子が裸足で二階階段を走り降りる姿が見え、それを追うように、男性が走り降りてきて、その男性の腕に血が吹き出ていてサエを驚かせた。
そして、その血が吹き出たままの男性の腕が円子にとどいた時、円子は走るのを止め、小さな声で童謡の様な歌を唄い出した。
他の窓から見ていたアパートの隣人が通報したらしい、警官が現われ、その男性と、そしてサエにも事情調書を取る事を要請したのだが、男性はそれがほんのかすり傷であり、円子を訴える訳でもないのでと、その場を収めた。
円子はと云えば、その時もずっと小声で歌を唄い続けていて、その男性が自分の傷の手当てと、円子のショック状態を診てもらいたいので、その場から、病院に行く事にして、サエがタクシー会社に連絡して二人を乗せ送ったという。
「今、思うと、その時私も一緒に円子さんについていけば良かった。でも、あの時の騒ぎで、ウチのこのショウが、外に出ちゃったもので、その帰りを待ってやらねば、なんて考えてて、それに、円子さんがそのまま連れ去られるなんて、考えもしてなくって、、、。ごめんなさい」とサエは円子の目を正面から見てから、頭を下げたのだった。
「それで、あの時、ショウは直ぐに戻ってきて安心したのだけれど、、。あら、そうだ、円子さんの所に来た男性の名はずっと聞かず終いでしたけれどね、円子さんがその男性にショウとかシュンとか云ったので、ウチの猫のショウの事を思った記憶にあるわけ。結局はやはり円子さんのご家族が円子さんを引き取って、今の幸せな生活があるのでしょうから、これで全てがハッピーエンドと云う事でしょう。良かった。」サエの笑顔は心から円子の今ある生活を喜んでくれているようだった。

又時々は顔を見せて頂戴ねというサエの言葉を笑顔で受けて、そのアパートを去った円子には、まだ解らない事が頭の中で渦を巻いているようであった。
その私が切りつけたという男性は誰なのだ。何故そんな事を私はしたのだろう。
それに、小さな女の子は何処?病院でチラと見た私の実母はどうしたのだろう。
サエに話を聴いたあとでも、数々の疑問が円子を苦しめる事となった。

家に戻るとお世話人栄子が飛んで来て、円子に向かえ云う「何処へお出掛けだったのですか。もう、私は心配で、堪りませんでしたよ。会長にも強くお叱りを受けたのですよ。これからは、私に必ずお出掛け先連絡くださいませね。私はいつでもお供いたしますから。お願い致します。お聞き入れくださいませね。円子様、円子お嬢様、、お願いですから、、」
円子は栄子の小言をそれ以上聞きたくなかった。
頭の中で考えをまとめようとしている時には不要な事柄で頭能力を使いたくないなどと、勝手に思っていたのだ。子供じゃないんだから、私が何しようと、栄子さんに何故知らせなくちゃならないの。
でも、一応彼女に謝っておいた方が、いいかな、、と円子が思った時、携帯にメッセージの点滅があるのに気が付いた。
『香織です。そちらでは何か解りましたか。こちらは松谷さんがちょっとした情報を提供してくれましたのでお知らせします。松下満氏の実家、母方の姓を保志加というそうです。松下会長は円子さんの血縁者らしいです。もう少し調べて、後日また連絡しますね。』
と云う事は坂下満が私の実父ではないと云う事だ。そうなると、円子は満の妻の坂下輝美が何故円子を養女に望んだのかが、もっと解らなくなってしまう。
しかし、自分の人間関係も知らない事には私に課せられた役目が何なのかもわからない事になる。
推力観点をもっと広げてみた方が良いと云う事なのか、それとも、今現在自分の中にくすぶる不審人間を調べてみた方が近道なのか、、円子は迷っていた。
「私という人間を盗んだ本人は誰なのか、、」更なる困惑の壁にぶち当たった。
まったく、私という人間は自分の意思で生活をしてはいなかったのだろうか、と円子は過去の全てが自分という一個人を翻弄し続けていたのだと感じていたのだった。
しかし、その過去の全てを繋ぎ、保志加円子が今あることを突然に知る日が、もう、足元までやってきている事にその時の円子には知る由もなかった。
そして、それはある訪問者によって円子にその日をもたらせたのであった。
「あァ、貴方は、、」円子の口が彼女の思惑より先に声を発したのだった。

続く。

7/05/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(10)


その(10)情報

円子が邸内に迷い込んだ猫から自分の過去の生活を少しずつなりにも、思い出す糸口となったのは多いに歓迎する出来事と思われた。
以前にコンピューター使用をよくしていたのかも知れないという思いはあったのだがこの家に来て以来、部屋に置かれているパソコンを触る事は無かった。
それが、猫を見た連想からか、また何やら急に思い当たるものが出来、あれこれと情報を詮索しだした事は、あの迷い猫のお陰だと感謝したい気持ちになった。
パソコンの知識はどうやら人並みか、それ以上にあるらしい。
過去にパソコンを日常で使う環境にいたのだろうと再認識できた。

まず、ここへ来る前に入院していた病院名からと、父親という初老男性名から、その会社や関連会社も解り、自分がどのようにしてここに住む事になったというのが、まるで推理小説の応え解きのように、あちら、こちらと情報を繋ぎ合わせて、広い範囲に渡っての情報を得る事が出来、もっと早くにパソコンサーチに気が付かなかった自分が悔やまれた。
栄子が話してくれた、父親の妻、円子を養女に望んだその人は坂下輝美という。
明治時代に皇室御用達商家としても名のある船会社でもあり、海外貿易の様な政府機関で富を作り上げた一族で、その後視察やら商業取引やらで海外を行き来するうちに、その時代の疫病に多くの使用人や当の主人までもが悲惨な病死を遂げ、その親族一家の生き残りの子供が輝美というわけであるらしい。
そして、当時、貿易関係から別会社を次々に起こした野望の青年として輝美の養子婿に白羽の矢が立てられたのが今の坂下満であり、奇しくも最期となった坂下家の一人、輝美までもが病身の身となった時から満が坂下家の運営を当然ながら続けて行く事となったとその各社歴代期に記されていた。
坂下家の歴史は一応解ったとしても、何故、坂下家に自分が養女に迎えられたのか、そこの経過が今ひとつ円子には解らなかった。
と、円子と自分の名を詮索に叩き込んでみた。
すると、どうだ。画面中ほどの一つのブログに過去の記述として『一体、どうしちゃったの、円子さん。あんなに一生懸命に仕事をしていたのに、やっぱり、社主の紹介だったから、コネ入社先輩の私としては、自分の将来にも不安を感じています。保志加円子さんを誰か見かけたら、私に連絡下さいね。お願い‐-』というのが載せられていた。
驚いた。
そうだ、病院のカルテにも本名で書かれていた私の名。
名前ばかりか、苗字でも虐めの対象になった事もあった、保志加だ。確かに。
そして、そうだ、確かにサエさんが私を抱えるようにして「大丈夫?しっかりして、円子さん!」と私を呼んだのだ、あの時。
それで、その後はどうなったのだったか、ああ、あの時小さな女の子が私に何かを手渡してくれたのだった。
木で出来た棒のような、、、あっ、そして血が、、男性の腕に血が、、。
私がその男性の腕を切りつけたのだ。何故。その男性は誰なのか。
病院でも私が殺傷事件を起こしたショックで記憶を失くしたと案に知らせてくれたけれど、それはほんの些細な事故程度のもので、その傷を負った人は私を捕らわれの身にするのには至らないものだと立証したのだという。
でも、だったら、どうして私はその後それほどのショックを受け、記憶さえ遠くに押しやってしまったのか。
あの時、女の子が私の側にいたのは何故。いや、違う、どうやら私はその女の子を知っていたようだ。だって、あの時私の目を見て意味ありげに笑ったと思う。
そして私も、その子に目配せで応えた、、。 
ここまでは解ったけれど、サエさんなる女性に、会って事情を聞かねばならない。
それに、このブログの発行人は本名が乗せられていないにせよ、私の名を名乗って問い合わせてみれば、もっと何か私の個人情報を詳しく知っていそうだ。
そんなに遠い昔の話では無いもの。きっと色々な事が解るに違いない。
どうか、まだこのブログを継続していますよう。
そして私という人間の過去の生活状況を説明してくれますよう。
もうすぐ、何もかもが私に納得がいくものとなるに違いない。
円子は今、自分が興奮の真っ只中に身を置いているのを意識していた。

「円子さん!本当に円子さんなのね!」会う約束の時間より早くその場にきていたのにも関わらず、その女性は円子の姿を見つけて、小走りに走り寄ってきた。
もう、どうしちゃったのかと、随分心配したのよォ、急に長期病気欠席だなんて云われたって、誰も、何にも知らないって云うし、あの社主にしても「いや、そうじゃない。他の会社に呼ばれて、長期滞在許可証を出してやったのだよ」と云ったって、その会社名も何の情報も私の課に廻っても来なければ、誰も何も聞かされてないってのは一体如何云う事なのか、私にはどうしても納得がいかなくて、、。社内の皆の個人情報は私が把握しているとばっかり思っていたから、もう、円子さんの休職には本当に驚いたし、何か犯罪にでも巻き込まれてしまったのかと、随分気をモンだのよ、これでも私。
円子の向かいの椅子に座る間も惜しいようにまくし立てる、その女性の名は喜多波香織と自分を名乗り、「私の名前も憶えてないって、、何故?如何して、、?」と目を丸くして見せた。何故、如何しては、円子の方が聞きたい質問である。
円子と一緒に勤めた仲間だという香織は、情報管理課での経験を活かして、というか、それを理由にして、各社員、役員達の私生活情報にも精通しているのだが、何故か円子の私生活についてはあまり知らないらしい。
ただ、円子が社長、いや、社長ではなく、社主というのだそうだが、その人の親類の男性が私の元彼なのだとかで、最初の一日には彼が一緒に社に来たのだそうだ。
そう説明をされても、何だか本当にそれが私だったのかとちょっと疑いたくなるような身に覚えの無い話を聞いているような円子であった。
「私ね、あれから松谷さん、あ、貴女のトレーニング期間の係りというか、社則や色々お世話係というか、その彼と相談して貴女の事を探した時期があるのよ。社主の右腕と云われている、私のハトコの京子さんも何故か貴女の事に関しては何も聞いて無いらしくて、彼女も貴女の消息は解らなかったの。妙な話でしょう?で、今はどうしていらっしゃるの?」
せわしく口を動かしていた彼女だが、ふと口を閉ざし、目が宙に浮いたかと思うと、天井を指差して云う。「この、音楽、、私この歌手の大ファンなの。ほら、いつか一緒にコンサートに行こうって言ったら、円子さんも『いつか是非』と言ったの覚えてるかしら?」
そうだ、そうだった。そこのところは私も覚えていると円子は思った。
円子の事が気になって、あれこれ社中の噂や情報集めに忙しい思いをした或る日、そんな状態を松谷康成とそのコンサートにもでかけたりで、香織と松谷は以前よりも近親間を覚える仲となり、ついには婚約を交わす仲になったそうである。
「円子さんが私たちの仲を取り持つキューピッドだったの」と鼻の上に少し皺を寄せて笑う顔に円子は覚えがあった。

高田栄哉、たかだえいや、、何度か心の中で呼んでみた。香織は、どうも社主の高田が円子の過去を知る人間に違いないと言ったのを頭で反復したからである。
円子にはその姿にも名前にも何も知るところが無いと感じていた。
香織が見せてくれた社員一覧表と顔写真にも、そして社主の言葉を題して高田の姿が写されている「U安堵I街」のタウン誌を見ても、自分の過去に関わりがありそうな思いはどこにも感ずるところは無かったからである。
しかし松谷が書いたという新入社員紹介の円子の記事から、何となく自分という人間がそこに一時期いたという証明には充分でもあり、そして、旧住所のところには円子がバス出勤しているとの補足もあって円子はそれらの情報を聞かせてくれた香織に対して、多いに感謝したのであった。
お互いの連絡先を知らせ合い、必ずまた連絡し合う事を約束して香織と別れたその足で、円子は過去に住んでいたという住所を尋ねて見る事にしたのである。
「迷い猫さん、香織さん、松谷さん、ありがとう、少しずつだけれど、私は私探しの核心に近ずいて来てる様だから、、」
円子の心は自分を見つけ出す事が、自分を知らない事での不安の闇に光をかざすものに違いないと確信を持って、更なる興奮が波のように押し寄せるのを覚えていた。

7/04/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(9)


その(9)迷い猫

父親の目は笑っているようだったが、その面影は円子にとっては親しみのある物ではなかった。父親というより、彼女の年令の娘にとっては、祖父としてもおかしくない年令に思える、その人物は確かに彼女の過去にかかわりのあった人であると思ったのだが、それ以上の事は皆目解らなかった。
太い腕を円子に伸ばすように広げて「円子、さあ帰ろう。」と言った声は、確か何処かで以前聞き覚えはある、、と円子は改めて、その父親だという初老の男性の顔に見入った。

車は一体どの位乗っていかねばならねばならないのだろ。
病院は随分山深い場所にあるに違いない。もう小一時間は病院へ途の為だけに舗装されたのだろう道路を緩やかなカーブが右へ、左へと曲がりを付けて走り続けている。その間、誰もが何も言わず、世話人だという栄子と父親に挟まれて座っている円子が何か話し出すのを待つかのように、時々「何か?」といった風な視線を投げかけてくるのが、少し息苦しさを感じさせるためか、時間が映画化何かのシーンのようにスローに動いているかの錯覚さえ覚えてくる。
実際には感じているほどには、遠い道のりではないのかもしれないと、円子が新ためてその錯覚を振り解く意味でも、周りを見回そうと少しばかり体を起こしたと同時に道路両脇の木々がまばらになり、視界が広がり、家屋や商店街の賑やかさが見え出した。
そして、街中を通り、その商店街の賑やかさが車の後方になった後は、また林が見え、その中ほどに門構えが目前となった時、奥に一軒の家屋が静かにたたずんでいるのが見えた。
「さあ、お嬢様、」と既に車から降りて、円子が降りるのを待っている父親がいる事を察するように栄子が微笑みを浮かべながら伝えたのだが、円子は自分がい何処に来た物やら、いったい自分は何を如何しようとしているものやら、益々困惑するばかりであった。
円子の部屋は二階階段廊下の突き当たりにあり、その門四方に大きな窓が張り巡らせた明るい部屋であった。
何かを思い出せるかもしれないと、隅から隅まで目を凝らして視界を巡らせたのだが、円子には目新しい調度品、家具ばかりであり、しかも自分の過去人生にかつてこのような生活環境で暮らしたとは想像だに出来ないものであった。
紅茶を運んできた栄子に向かって円子は聞いてみた。
「父は何をしている人なのですか。それと、私の母と言う人にはまだあっていないのですけれど、、他に、兄弟か姉妹はいないのでしょうか。」
この質問は病院でも医師や看護婦にも、聞いたのだが、「徐々に環境に慣れた時、自分の力で思い出すでしょうから、今は急激に全てを想像力だけで作り上げない事です。」と教えてもらえなかったのが、円子を苛立てていたのだ。
「私は家事お世話人で、会長のお仕事関係にはかかわっておりませんし、はっきりした事を知らされてはおりませんの。それに、私は奥様がお亡くなりになった後にここに入った者ですから、新米世話人なんですよ。あ、そのお亡くなりになった奥様はお嬢様のお母さまではないと聞かされておりますけれど、そこの事情は私にも解りません。」
栄子の話によると、父と長年病床に臥していた妻の間に子はおらず、円子が養女として血筋親族から承諾を得て、移り住む事となったという。
それを妻が大いに喜んで一緒に暮らすのを楽しみにしていたのにもかかわらず、話が持ち上がったその後、その喜びを親子として生活を分かち合う事を待たずして他界し、同時に彼女のお世話役であった夫婦同居人が、お役目終了とばかりにこの家を出て行ったそうである。
父は妻の死を悲しみ、妻の意思を継いで、円子と暮らしを共にする事にしたという。
今は父の会社関係の秘書のような男性がこの家の全般世話人の責任者として出入りしていて、その人物と栄子とでこの広い屋敷を管理しているそうだ。
何だか、人事としか聞こえない栄子の話に円子は何の感慨も覚えず、又どれ一つをとって考えたところで、円子には自分の脳の奥から湧く様な衝動感の波動も感じられず、しっかり聞いておこうと心していたはずの円子の頭を話が素通りしていくような肩透かし感に落胆したのであった。

そんな何の新しい進展もみられない或る日の朝、部屋でぼんやり外庭を眺めていると、栄子がかがんで丸い後ろ姿をみせ、何かをしている。
花瓶に添える花でもあつらえようとしているのか、楽しそうに時々その丸い後ろ姿が笑っているのか肩が上下して震えたりもしている。
と、その右肩からゆらり、ゆらりと振られる尾が見えた。
あ、あれは猫、犬の尾じゃないはね。どうしたのかしら、あの猫。
猫が栄子の右脇から跳び出し、それを目で追いながら栄子が振り返って円子が窓辺に立っているのに気が付き、笑いながら手を振る。
「このところ、毎日この猫ちゃんこの庭に遊びに来るんですよ。どちらのお家の猫ちゃんなんでしょうけれど、人馴れして、仕草が可愛くって、私もついこの猫ちゃんが来るのが楽しみになってしまいましてね、、。ほら、可愛いですよねェ。お嬢様も猫お好きでしょう。でも、この家ではご病人がいらしたから、動物は家に入れないようにと云われてますもの。」
窓を見上げて栄子が声を上げて、細窓を開けた円子に向かって話している間もその猫は、ぴょんと2,3歩跳び上がって前足を上げたままで、栄子が見上げた方を一緒に見上げている。
可愛い。猫を見るのは久しぶりだ。円子は笑顔を作りながら猫と栄子の方に手をふった。
「猫さん、お名前は何かしら、どちらからいらしたのォ」と円子にしては始めての大声、といっても普通より少し声を大きくして猫に向かって云った。
-あまり遅くまで遊んでいたら、サエさんが心配するでしょう-
頭の中で、円子は思った。
え、今何て?サエさんの猫、、。そうだ、あの猫に良く似た猫をサエさんと云う人が子供のように可愛がっていた、、あれは、どこでだったのか。
私が側を通ると、いつも側まで寄ってきて、でも触ろうとすると、丸い目を私に向けたままピョンと跳びはねて、、それを見て、サエさんは笑ったんだった、、。
そうだ、私はそのサエさんと知り合いだったはず。
体に小さな震えが起き、体を窓辺から側の壁に預けなければ立っている事が出来ないほどの衝撃が円子の脳天を貫いた思いにかられた。
まだ外庭で見上げている栄子の視界から円子の姿が見えなくなっていた。

続く。