4/25/2009

私的心と体の天気図 その報告1


ある一時期私はかなりの両手の痺れに悩まされていました。
朝起床時には、冷たい感覚があり両手が痺れ、掌の開閉運動も思いのままとはいかず、冷凍食品でもお湯で戻すがごとく毎朝の解凍時間を必要としていたのです。
血のめぐりが悪い事や、一定悪姿勢を持続してのPC作業や、運動不足や、持病のアレルギー体質やら、それは沢山の原因があるのでしょうが、自力で何やらと原因を突き止めて回復は望めない事かと色々トライして今日に到るのです。
心臓には欠陥が無い事が先日の診療で確認され、医療機関での検査はあと神経科に行って診察をうけるのみとなりました。
主治医からは「加齢と共にB12が減少します。毎日B12を補給して下さい。試して自分にあっていると思ったら、サプリメントを利用したり、ヴィタミンの調整をして見て下さい。そして一週間で、少しでも良い変化を認めたら私にもその都度報告して下さい」との事でした。
幸い勤め先がドラッグストアで、サプリやヴィタミン剤は各種揃っていて売るほどある。(当たり前だ)
販売人気も見合わせて、何種類かのサプリメントを試してみた結果私的健康方の概要のような物ができあがりつつあります。

まず、キトサンやカルシウム不足を補給しようとFish Oilの錠剤を試したのですが、これは私の魚介類アレルギー症状をもたらす結果となり辞めることに。
代わりにキャラメルの感覚で口に美味しいカルシウム飴を(DとKも一緒に配合されている)これは甘党の私にはおやつ代わりにぴったりです。

ニンニクはなるべく家で料理して頂く様にしていたのが、買い物嫌いの私は直ぐに切らしてしまうので、これも無臭錠剤のを毎日摂取する事にした。
無臭といっても飲む時にはやはり強い匂いがあるのだが、これが体の中ではどのように活躍するものか排出物に大きな違いが出、汚物臭処理をしてくれるのがちょっとばかり洒落ている。(違うか)

各種木の実をおやつとして食していた私だが、この不景気に食品値上げが大幅で、木の実を購入するのが少なくなった。今はたまに錠剤嫌いな子供達に為に購入するくらいで、私はサプリを利用する事に。
ブルーベリーの錠剤は飲み始めて直ぐに効果が見え(目ですから直ぐに見えた?)メガネの度合がちょっとボケてきた。
コンタクトのモノで(左目を老眼視、聴き右目は遠力用)以前はちょっと調整に手間取った感があったのですが、今や小さな字が良く見えて、回りの若者達から「これ、見えないんだけれど、なんて書いてある~?」なんて質問も回答OK。

問題のB12については即座の有効性が見えずに取ったり、取らなかったりしていたのが大きな間違いだと最近気付く事件がありました。
長く駐在員として来られ、今は退職してご家族共にこちらに住まわれている薬局常連日本人のお客様に暫く振りに対面した時の事。
「B12の不足病で顔面麻痺になったのです」との驚きの発言です。見ると、顔左半面の表情が無く右半分の唇が笑って話を続けます。
何の痛みも無く、ある朝起きたらそうなっていたそうで、これは心臓病の特徴とは別の麻痺だとすぐ主治医にも判断で来たのだそうです
ヴィタミン剤補給するには錠剤では受け付けない体型になってしまったらしく、注射で血管に直接摂取する事で数ヶ月で回復をみるだろうとの主治医のお話なのだそうです。
家に帰ってネット辞書ウィキペデイァでB12不足病を調べると、これがとても怖い。舌や手や体の痺れや麻痺がおきるのですね、B12が体内に減少すると。
私の両手の痺れはこれとはちょっと違うようですが、合併症状があってもおかしくは無い、と俄かに慌てた私です。
先日テストの結果で心臓病の心配は無いと言われたばかりに、尚の事、痺れが脳細胞欠陥から来るものだとしたら、B12は重要役割を持っているに違いない。
真面目に毎日B12を摂取する事にしましょうっと。反省。

仕事場ではエネルギッシュに動く私ですが、周りは私がもしかしてやはり年令相応の健康問題を抱えているのが見て取れるようになったのかもしれません。
最近ちょっと不満顔が表に表れ、そして言葉にも棘のように出てきているのが自分でも感じています。
それが先週の支店長の私への誤り言葉「貴方の健康状態を考えずに仕事を押し付ける事になった事は申し分けないと思っています」に繋がってるのでしょうね。
この年になっても未だなかなか人生終業の薬は見つけていない私です。

私の夕食献立に好き嫌いをあらわにする子供達の栄養補給はせめて果物や野菜のおやつをふやしたり、最近は飴がわりに美味しいビタミンCを棚の上に置いてあり、彼等が毎日それを取っているのを確認したりしています。
子供から移る風邪が私達夫婦にとっては一番恐れるところでもあるわけです。
何せ彼等は日頃からエネルギーに満ちていて、その元の風邪の種までが強力なわけで、一日、2日でケロリと直る彼等を見ながら何週間もダウンの年寄りの私達夫婦がいるわけで「あ~、老いるという事はこういう事でもはっきりしてるね」と精神的にもまた年を増す結果となるわけであります。(うん、そうだと思い当たる人が大勢いるかも。)

4/05/2009

I am a Japanese


**「やー、おめでとう!」と接客から声をかけられて「え?何がおめでとうなんでしたっけ?」と応える私に笑顔のキューバ人(だと思う)が云う。
「ほら、WBC。日本チームがすごかったねェ。とても良い試合を見せてもらって皆とても喜んでいるところさ。」
私の名札を見ると殆どの来客が「貴方は何人ですか」と問われる。
こちら米東海岸南部はニューヨーク近辺とは違い、日本人が少ないようで、私個人では沢山の日本人と出会っているのですが、他国の人達には少し珍しがられる日常です。戦時中に日本にマッカーサーなどと連れ立って行った事があるとその老人が戦争の悲惨さを言えずに、「私は最新興国日本という国にとても尊敬の念を持っています。」と戦後生まれの私に握手を求めたりする。
しかし、なかにはこの地に住むフィリピン人の一家族がつい最近にも「日本人は悪党だ」と私の側で耳打ちしたのが忘れられない。
我が孫達の学友からも仲間意識を壊された事もあるのが、人種問題というものがいかに歴史上に根強く実生活にも及んでいるのが伺えます。
私がこの地に住んで、自分を日本人と意識しないで生活する事は在米40年経てさえ無理な事であり、それは人間の本能的な感覚であると思っています。
将来は世界中の人間が何人種と言う枠は無く、何処が生地である事がその基点本能となるのでしょう。
今、私の孫達は「自分はアメリカ人」だと言います。
そしてこの地の各家庭では「アメリカ人だけれども、その基盤人種は、XXXX」と伝えていくのですがもう先何年かには実際のルーツなどごちゃごちゃになってしまうのです。
私の夫のルーツがダッチ、スコッチ、そして、、もう当に解りません。
こういうと、何故か私自身がはっきり云えるのが、誇らしい気がする「私は日本人」です。**


** 私は内心の怒りを抑え平然と会話を進めていた。いや、実際のところは私の言葉の端々にとげとげしい響きを放っているのは相手にも充分伝わっていたに違いない。
何十年もの知り合いである友人との電話での会話であった。
彼との会話の後味の悪さは何なのか、私には充分理解し得ない物なのだが、それは陰のエネルギーというものをいつも体に感じ取るところとなり、いつの日からか彼との連絡情報交換を避けるところとなりつつあったのだ。
根本的に思想感や生活感もにズレが生じているのをお互いに知りながらも、ただ古い義巳としての付き合いであり、この国を出生地としていない事と自国語で話せる気安さという助けだけが私達の双方に理解者としての仲間意識と勘違いさせていたのだと今私は感じていた。
『どうして同胞なのに、こんな簡単で心理的な事に共感をしてもらえないのだろう』と彼の私を攻める声質がその会話にはいつも聞いて取れた。
そして、それは私が和の精神を忘れ、この他国の人間の一人になったと彼の言葉の中には秘められていると少なからず思われた。**

私は日本人です。私は主婦です。しかも還暦を過ぎた今もって、子育て中です。私は雇用者です。私は芸術を愛し、美術を愛し、私は夢想家です。
私は時には哲学者にもなります。
時には嬉々として事をかたずけ、そして多くの難事に低迷落胆します。
極、それは極普通の一般人だと私は自分を思います。
私は日本人です。日本で生活した時期より倍以上に在米生活の方が永くなった今でも日本の言葉で物を考えそれを言葉で表します。
今もいつの時も、この世を離れるその時までも日本に懐かしい想いを馳せます。
アメリカ人の夫とアメリカ生まれの息子を愛し、その息子の3人の孫の母親代わりです。
僅かな雀の涙程の給金を貰っているパートではきっちりと仕事をこなします。
律儀だと、馬鹿正直だと言われ、時には仕事が体力的にはキツイと愚痴もこぼします。
しかし、今の現状を誰に何と云われても、それは変わりようの無い事実であり、私という人間の基盤なのです。
日本にいる私の義姉が「貴女は昔から何かとてもドライというか、西洋式というか二人の兄を兄弟にもったせいなのか男の子のような考え方をする人だと家族の皆が言っていたのだけれど、アメリカ人になった今を知ると、こちらにいる日本女性とは違って、それから比べると古い日本人のようなところがあるわね。」と言った事があります。
この多種民族の集まりである、しかもより保守的な米東海岸南部に住む日本人というのは私とその生活環境やその個々の体験が異なっていても、多かれ少なかれ皆が私と似たような極普通一般的な和の精神を忘れて生活をしているわけではないのだと私は思っています。
人を指して『私の意に反して、貴方はそういう人だったのですか』と簡単に判断するのはある意味で軽率極まりない事だと自分に戒めるようにせねばなりません。
どの人種と、どの会話に於いてもこの世界に陽エネルギーを発する自分でいたいものだと今改めて思う日本人の私です。