12/12/2009

狂気と真意の合い間ー中間報告



暫くこのブログ更新を大サボリしていたので、最後の記事からして、皆様が私の体調にやはり変事が起きたかと思われると心配されるといけないと考えての更新となりました。
多分私という一個人の性格をあまり解せ無い方々にとっては、時として私の行動を奇異と思われるでしょうが、私はたったこの現在に於いても、いたって真面目、自由思考、紙の上のダンサーであります。
勤務先のドラッグストアでは、今や勤続7年となり、古参扱いに一目置かれる様になったのも、私の拙い英語力で書き続ける、勤務報告とその他、面白ニュースなどを記したブログを読んで何らかの勤務状況に合わせて、参考にしようと待ち構えておられるマネージャー連の娯楽を少しばかり受け持ってあげているからかもしれないと自負する今日この頃です。
ですから、幻聴の時をもったり、ふと身近な人間生活模様が見えたり、私のイマジネーションはリアリズムといつも紙一重、狂気と真意との合間を行ったり来たり、、なのです。
今日の土曜日は入荷日早朝出勤で、今日も気のアンテナを全体に張り、手早く一日の仕事をかたずけながら、明日からの定休日の3日間でどの様な記事をそれぞれのブログに載せようかなどと考える一日がやってきました。
では、行って参ります。
皆様、私は今現在はまだ大声で言える状態にありますので、ご安心くださいね。
ヤッホ~、こちら大丈夫で~す。

10/03/2009

私的心と体の天気図 -その報告2




この2,3日、私もとうとう、どこかが壊れてしまってきているらしい、という体験をしています。
らしい、という小さい感覚的なものにしか今は云えないのですけれど。
それは本当に数回なのですけれど、このところ幻聴が起きています。
空気の流れか何かの都合なのかもしれませんが、誰かが離れたところで話している言葉がふと、あたかも私の後ろ、又は真横で話しているかのように聞こえてくるのです。長い話と言うのではなくて、大抵は一言だけです。

先日は私が棚の整理をしている勤務先での事。向こう遠くで買い物をしているらしい女性の声が「これは、きれいに見えるわね」と後ろに聞こえたので、「ありがとうございます」と後ろを振り返ると誰もいなくて苦笑したのでした。
その同日、プリンターのインクが切れていたので勤務から帰宅時に文房具店に寄りプリンターインクを購入して出口のドアの外に出て、盗難防止の為に二重ドアになっているその外ドアを出ると同時に優しい女性の小声で「それらを買ったのですか」と耳に聞こえ、ふと目をあげて周りを見ても誰もいません。
で、帰宅すると、あっ、しまった。間違えたインクカートリッジでした。
孫の宿題の書類をプリントしておいてあげると約束していたので、慌てて折り返しその文房具店に戻り、正しいカートリッジに変換してもらいました。
ひょっとしてあの声は「それ、間違った品じゃないかしら」と言いたかったのかなと後で又もや苦笑の私でした。
又、或る日は「元気なんでしょうね」と言う男性の声がして、知らず知らず自分で『何か私の知らない事でも知ってるのかしら、貴方は』なんて声に出して返答したりして、、。オッと、危ない危ない、とうとう私も見えぬものを相手に会話をはじめたか、と妙な気分です。
これ等の声は今のところ英語のみなのですが、昨日の夜はPCで少しばかり勤務先の書類の書き直しをしている私の後ろに我が家の老猫が来て「みゃ~」と云う声に、「あら、起きてきたのね。ハイハイ、今新しい食べものをあげますよ~。」と椅子から立ち上がって後ろを向くと、当の猫がおりません。アレッ、どこへいったのかしらん、と名前を呼びながら餌の用意を仕上げてからあちらこちらを探したのですが、出てきません。
と、居間のソファの上で乱雑に置いてある人形やら造花やらの中で丸くなってまだ爆睡中の猫がおりました。
なんだ、私の空耳だったのか。
ところが今朝も息子が勤務から帰宅すると猫を部屋に連れて行って何やら遊び相手をしていた時も、私がPCでメールを書いていると、「みゅ~~」とウチの猫独特の鳴き声が足元でしたので「あら、もうお遊びはすんだの。なに、何か食べたいの?」と目をPCから離してその声の方を見やるのですが、そこに猫はいません。そこで、息子の部屋の前に立って、「猫はこちらにまた戻ったの?」と声を張り上げると中から息子が「いや、ずっとここで寝てるよ」と言います。
これらの現象はどうなのでしょうね。私の周りに人がいない時に起こるので、これは確かに私の脳波に問題があるのやもしれませんからその物音が現実的なものかどうかの立証はまるで無いわけで、私の音波の採り間違えというか、聞き間違えが起こってのことなのか、まるで現実性のないものなのかというものは私にも検討がつきかねます。
それに、最近は残聴というのも多くて、PCのサイトから音楽を取り出して楽しんだりした後は、まるで違うサイトに移ってからも同じ音楽がスクリーンを通して聞こえたり、側にある冷蔵庫のモーター騒音に混じって聞こえ出したり、はたまた皿洗い機の運行に合い待ったりしてバックグランドニュージックの様に聞こえてきます。
これ等の残聴は脳波が他の音を取り違えて、前に聴いた音内部でリピートしてその時聞こえている音にかぶせているのではないかと、私は勝手に思っています。
私は精神的にちょっと危ない状態なのでしょうかね。

でも、これ等の声が聞こえると、精神的にはとても落ち着いて、決して不安や恐怖心のようなものはまるで感じられませんから、なにが聞こえても、平気ですし、むしろまたこの現象が起きてくれるのを心待ちさえしているのです。
ただ、これを読んだ方、どなたかが、「いやー、気味の悪い女性ですね、貴女という人は」と思われる方がおられるやもしれませんね。
でもですね、今現在の私は、到って普通、平常人間でありますので、ご安心ください。まァ、この先の事は保証できませんが、それはそれで、また後日、ぼちぼちとある事や、あらぬ事も、その度にお知らせする事にしましょうね。

9/13/2009

いざ、いざ

N姉さんにはご機嫌宜しく今日までお世話頂きましたが、アッシはカカアの賃金で家徳を賄うのは男一匹が廃るというもの、隣町にアッシの弟子が助っ人を待ち望んでいて、そこの猟場ではアッシが身内のT兄さんのこの猟場よりも活躍して行けそうに思いますんで、そちらに行かせて貰います。
どうか、アッシの後釜のC女親分を宜しくお引き立ていただき、この場の繁栄が更なるものとなさって下さいまし。
アッシ独りの身ですと、これからもN姉さんと一緒にこの場を栄え、行く行くはT兄さんからこの場を貰い受けると聞かされていたのが、大親分交代にあたってはそうも行かなくなったのが事情でござんす。
アッシの働きが多かったのが、さして認められなくなり、内情を知るT兄さんはアッシに対するN姉さんの働きを少し妬んでいたのも事実でござんした。
N姉さんからの思い入れもあって、アッシは家族を何より大事に思い、餓鬼3人を一生懸命に育てる事にも専念の意を表したのが、アッシの仕事に手抜かりが多くなったと勘違いしたのやもしれませんが、N姉さんの仰るとおり家族あってのアッシであると思いながら今日まできたのが、裏目に出たのでござんしょうか。

「可愛い弟子達、そして皆々様、ご機嫌宜しゅう。また隣町で合う事もあろうかと思いやすが、その時まで達者にお暮らしなせェ。これまでで、あばよ。」
と、吾が親分は別れの途に就いたのであった。
残された弟子達は泣く者あり、場を離れる者あり、ふてくされる者あり、陰で新親分を落とす戦略を腑に持つ者あり、後を追う者あり、後ろを向いて涙拭く者あり、嬉々として新親分におべっかを使う者ありと、それは様々なのであります。
この私めにしましては、今のところはじっとして廻りの様子を伺っているのでございます。
人生には色々な事が起きて当たり前なのでございましょうから。
自分の身丈に合った暮らしをいつもの時も心せねばいけませぬ。
背伸びや暴走は決してしてはならぬ禁じ事と戒めて、しかし努力は惜しむ事無く、回りと相まって無理からなる日々を暮しましょうぞ。これからも。いざ、いざ。

ってな具合なんですね、もし時代劇で表現したとしたらの最近の私の勤務先ドラッグストアの支店長交代劇であります。
N姉さんとは無論、この私の事であります。自分を当店の活躍の中心に見立てた図々しいやつと皆様はお考えかと思いますが、Well,そうでも思って毎日を暮らしていないと、雀の涙ほどの賃金でのこの年での労力が慰められないのであります。まあ、お許しあれ。
新支店長は指しての引継ぎがなされている訳では無く、それがこの大チェーン店Wの特徴でもあるのですが、各支店長は会社基本販売支持にしたがっていれば特有のあり方でその販売力を上げれば好成績店として認められる訳で、そこは各支店長の力に寄るのです。
L支店長が私に耳打ちをしたのです。
「この地帯は兄Tの配下になったので、私はここの長には成れなかった。私は兄の下で働く訳にはいかないんだ。隣の地帯には数人の長が選ばれるらしいから、そちらの方が自分には良い機会をもたらしてくれると思う。」
そうですよね。
ちなみにL支店長のワイフは当店大地区の薬局部の主任部長で、先月には南アメリカ地区に薬局部員薬局研修講師として講演に出かけたりする優れた職員です。
賢明な年上女性に憧れて結婚して最強の家庭を築く事を誓ったL支店長、今は自分の立場がいまいちスッキリこないのは、彼自身が誇り高く、活動的な人間であり、そして彼独自の人生期に於いては仕事をこなすには一番良好時期である事を承知しているからなのでしょう。
今の時期どのようなチャンスを逃す訳にはいきません。

私にとっては当店で、3人目の支店長のC女史。
さて、これからの私の勤務状態、生活サイクルにどのような変化が訪れるのでしょうか。
ちょっぴり不安もあり、刺激もあり、楽しみでもあり、今の私の心境は複雑なのです。
還暦を過ぎた私の年令で、若いボス達と色々な経験をもっていける事は私にとってはとても善い事に違いはありません。
人生は一生勉強です。人生に完全完璧なんて在り得ない、ただそれから眼を逸らさずに、向っていくのみと自分にいつも言い聞かせる私の今日の日々なのです。
いざ、いざであります。

9/06/2009

今日をありがとう -メラニーという職場仲間

当年22才のメラニーが私の勤務先ドラッグストアへ市政活動の一環として週一で出勤して来るようになってもう一年以上になります。
小学校は公教育特別クラスを卒業後、市の生活教育保護協会を通して今に至り、このドラッグストアが全国的に身体障害者協力プログラムの社会生活一環雇用者を採る企画から彼女が選ばれて当店に雇用者として迎えられたのでした。
私は最近までダウン症の彼女が中国2世アメリカ人であるのを知りませんでした。
両親が共に中国人で、家庭では中国語で会話をしているので彼女はそれを使い分けるのが上手です。
彼女を受け入れるに当たり、初めは古参のアメリカ人女性の下に就いたのは、会社が彼女がアジア系人間であり、学校と同じ感覚で、普通の英会話を難なく聞き取れるようにとの配慮だったかもしれません。
しかし、私達ドラッグストアに勤務の者が特別に身障者受け入れのトレーニングがなされているわけではなく、「普通の雇用者の取り扱いでお願いします」と言われたところで、そうはいかないのが当たり前のなりゆきでしょう。
彼女の出勤には必ず市の生活教育保護員が付き添うので、この保護員が彼女と一体となって社会生活教育に携わるとの契約が、その保護員が変わる度に、彼女の労力や意気込みや全ての精神面、体力面で変化が多いと私は感じており、しかも、受け入れ側の社員にしても、自分の仕事のノルマを抱えており、彼女を我々同様の仕事をさせるのは無理な事であるために、つい彼女への「教える」という立場がおざなりになってしまっていたのだと、彼女の出勤日が来るたびに私は感じ取っておりました。

彼女は記憶力や学習力には高い評価を見せたのですけれど、その精神力や体力にはかなりの限界があるように私には見えたのは事実です。
22才のこの彼女が時折5才児のように駄々をコネ、仕事を放棄し、何かに不満があるとイライラしても言葉にその不満を言い表せないもどかしい気持ちが彼女を更にを怒らせ、憤懣やるかた無い表情が現れ出したのは、ドラッグストアの誰もが忙しく自分達の仕事と、私生活にいっぱいで、彼女に特別に注目する事も無く慣れの状態になった頃だったように思います。
週一の勤務も彼女の出勤が当たり前になって特別に注目する事柄でもなく、慣れと言う形で彼女の存在はある意味に無視されつつあり、それに彼女自身が皆といまいち職場仲間という輪から浮き上がっており、しかもその存在が忘れ去られつつあると彼女は感じていたのに違いないのです。

或る日、その古参社員がヴァケーションに入ったと同時に私の所に彼女の勤務パートナー役が廻ってきました。
私は支店長に彼女の経歴を尋ね、彼女の受け入れが安易なものでは人間独り、一個人に対してあまりにも軽率な安請け合いにならないよう、そのプログラムの趣旨と合いまるように、勉強させて欲しいと率直な気持ちを話し、家でそれらの資料本などを読み漁ったのです。
彼女が私に発した台一声は「貴女は私の友達ですか。Are you my friend?」でした。
私は一瞬その言葉の意味を考え、彼女が私と職場での繋がりを求めているものと思い、とっさに応えたのでした。「そうですとも。私達はお互いが大事な仕事の仲間です。」
彼女は周りから個人として認めてもらいたいという様子がその態度の何処にも現われていて、その為には気持ちを一斉に導入するけれど、誰もが「あ、そう」的おざなりな態度を見せると落胆し、体も心も動きを止めてしまいストライキ状態に入るのが解るので、私は今回同席の教育保護員のコーチと相談の上、彼女の精神衛生を一番に取り上げて、それが体力アップにも繋がるよう協力してもらう事にしたのでした。
コーチの話によると、彼女は周一の出勤がとても楽しみなのだそうだ。
今現在は私は自分の立場や他社員達のしがらみも含め、職場における自分の立場を確立しつつある彼女の勤務は自由に選ばせているのですが、それでも「この仕事をヘルプしたい」と私の所に必ずやって来る彼女です。
そして、出勤一日の終わりに彼女は必ず私に「今日をありがとう。また来週」と挨拶し、私も「こちらこそ、今日をありがとう。また来週」と応えるのです。
こうして、私たちは職場仲間として一緒にどこまで行けるのか、今の私には皆目検討がつきませんが、少なくとも少しは彼女が一個人として社会に受け入れられていると感じて生きている事に彼女の将来が明るいものとなっていって欲しいと考える私です。

8/07/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その15


その(15)保志加円子の1つの終わり

ベランダの椅子に向かい合った二人に朝日が高くから明るい光を投げかけ、木々や芝生に新しい息を吹きかけているような爽やかさが広がっている。
拓哉は続ける。
「会長は円子さんのお母さん、可憐さんの叔父様にあたりますので、本来の意味に於いては貴女のの大叔父に当たる方です。」
正しくは、円子の祖父の弟が戦死したのを期を同じくして病死した弟嫁の意を継いで、満を祖父が自分の子としてひきとったのだという。
満は年の離れた義妹の可憐を可愛がっていたのだが、可憐が高校入学も間もないの頃、田舎道を通学中にその田舎にたむろしていた不良達に乱暴を働かれてしまい、それに大いに憤りを感じた満がその独りの少年に攻撃を掛けて怪我をさせてしまい、満はそれを期に円子の祖父母の家を出て、円子の祖母方の親類を頼って県外へ移り住む事となったのであった。
その乱暴を受けた可憐が身重になったのだ。廻りの皆が可憐を哀れに思い、そしてやがてその子が生まれた時、一番に彼女の心配をしていた満であり、その子がどの様な事情であれ、皆から祝福を受けてこの世に生まれ出たのだと思うようにとの願いを込めて祖父はその子を「円子」と命名したのであった。
円子、それは満も哀れであると思う気持ちを断ち切る為もあり、満の上に丸い人生を築く意味の「円満であれ」という思いの名であったのだ。
その様に選んだ名ゆえ、その名の事で、円子が将来に於いて災いを受けるなどとは考えにも及ばなかった祖父母であり、円子が名前の事でからかわれると、いつも「これは、本当に良い名前なのだよ」と皆が言うだけで、円子には多くの事情を語ることなく、その祖父も命名の意図を円子に知らせる事無く、この世を去ってしまったのであった。

満は何時の時も円子の成長を陰から応援していたつもりでもあった。
ところが、或る日から満が会社経営に奔放している合間に、親子共々、満の前から姿を消してしまうという事件が起きたのだ。
保志加円子が満と同じ血液型であるという単純な理由と、更に円子の誕生前の或る時期を境に満が円子の実母の住居を追われた事とが、円子を満の子であるに違いないとの誤解を生み出して坂下輝美に報告されたのであった。
それこそが、保志加可憐、円子親子が第一の殺傷沙汰に巻き込まれるという事件を生み出す要因となったのであった。
輝美の弁護士という男性が円子を坂下家養子縁組の交渉にの話をもちかけた、それが為にその弁護士が左目を損じるということになったあの日の事件である。
そしてそれよりももっと円子の母親と祖父母に打撃を増したのは、あの日の事件以来、彼等、円子家族が円子を母親から取り上げようとしていると張本人は満に違いないと勘違いした事でもあったのだ。
それは円子家族は坂下家の事情を知らなかった事と、坂下満となって一躍実業家として名を世に知らしめる事となった満が保志加の家を出て、円子誕生に於ける時期の彼が起こした傷害事件と、その過去のスキャンダルを何らかの力で封じようとしているのではないかと考えたのだった。
無論、それは事実無根の考えであったのだが、円子の祖父は自分の弟夫婦の信頼を裏切って満を他県へ追いやってしまったという無念さもあって、満が保志加の人間に好意をもってはいなくても仕方が無いと思っていたのだ。
しかし、実際はそうではなかった。
実のところ、祖父母の所に毎月見舞金と称して多額の金額が預金振込みがあるのは、あの忌まわしい可憐に起きた事件の示談金だと信じていたのだが、それは満が密かに行っていた善行であるのに、保志加の誰もが気がついてはいなかったのだった。

拓哉は満の全てを母親からの話で理解しており、そして満を母親と自分の生活を支えてくれた大きな支えとして心からの尊念を持っており、成人してからは坂下満の秘書として満の良きアドバイザーとなったのである。
「社主、いえ、拓哉さん。私が見たあの女の子。あれは私自身ですね。あの幼い頃の事件が独り暮らしを始めた私の生活の中にフラッシュバックとなって、よみがえってきていたのですね。でも、それが何故、私の記憶喪失とオーバーラップしたのでしょう。」と円子は頭に浮かんだままの質問をした。
「実は、あの日、円子さんの様子を調べて、その上で会長に報告したら、ゆっくりと会長の意思を円子さんに伝えておきたいと、そう思ったのですよ。」
満の妻輝美が円子の存在を誤解したまま病死し、その遺書に坂下家の家徳一切の権利を保志加円子のものとする意の遺書が作られていたのだ。
そして、それは坂下満として個人名以外の、坂下財団関連全ての資産を動かせなくなる満を含め、拓哉とその母親ばかりか、今後の会社経営やその関連会社に属する多くの家族に不都合が起きるものであった。
坂下満は円子が坂下の資産を継ぐことには賛成であったが、それが妻輝美直下の一団が円子を盾に他財団と合併吸収されるのを恐れた。
坂下家直下の者達はそれを全ての関連会社を含めて、坂下満の名を無しには運営が不可となる事を恐れ、誰もが坂下満が、この先の会社運営や他もろもろの財産贈与をどのように考え、誰が坂下財閥の事実上の後継者となるものなのかと、皆が満とその養女円子の動きに注目していたのであったのだ。

そうだ、あの日私は自分の幼い頃の私自身を見たという確信にショックでめまいを覚え、サエに支えられて部屋に戻ったのだった。
円子はその日に思考の焦点をあわせようと目を閉じた。
そこへ、男性が現われて円子の様態に驚き「如何しました。円子さん、大丈夫ですか!」と顔を出した。
ふと、見上げた円子の顔の前に男の顔があり、、側にいた小さな女の子、血がその目からしたたり落ちている昔の幼い自分自身がそこにいた。
そしてその子-幼少時代の私自身が咄嗟に側にあった鋭い刃物を私に手渡してくれたのだ、、そして、私は夢中で彼を切りつけ、いや、刺したのだと思う、、。あァ、あれは私の自分の心の中に潜んでいた幼かった私自身が、とった行動だったのですね。
私自身が私を恐ろしい何かから私を守ろうとして、、私が母親を守りたいと思ったその時の私のように、あの時の私自身が私を守ろうとした、、、。
そして、私はあの幼い頃と同じように、その恐ろしい記憶を心の奥にまた仕舞い込んでしまった、、。

拓哉はただ優しい目を円子に向けてうなずいただけであった。
そして、私はそのまま記憶を失ってしまった。あの時のように。
でも今度はあの時と違って、その時の記憶ばかりか自分の人生のそのものをも忘れてしまっていた、、。
入院を御世話下さったのは、やはり拓哉さんでしたか。
あァ、そして、私の母はついに私が坂下満に捕らわれの身となったと勘違いして、私を助け出そうと病院に現われたのですね。私の名を狂ったように呼び続けていました。それで、私は自分の名を思い出した。
今、母はどうしていますか。そして、坂下さんをずっとお見かけしていないのですけれど、彼は私の母と話が出来たのでしょうか。
二人と会って、話がしたいです。
でも、私は保志加円子です。坂下満氏の子ではありません。それに坂下家とは養女縁組を取り交わしてはおりません。
これで、私は坂下の家とは何の繋がりが無いのは皆さんにもお解かり頂けた事と思います。
ですから、この家に居る理由はもう、ありません。もう、ありません、、。

円子が話の一息を付く頃、側に立って事の成り行きを見守っていたものか、お世話役の栄子さんが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、庭のアチラを指差し泣き声で云った。
「あら、猫ちゃんですよ。また遊びに来ましたよ、今日も飛び跳ねるんでしょうね、円子さま、ご覧下さい。」
本当だ。楽しそうだ。この間私を助けてくれたのと同じ猫ちゃん。
自由に飛び跳ねるといいわ。いつでもこの庭が気に入ったら、飛び跳ねに寄せてもらうといい。
私も、そうします。自分で自分の跳ね方をしっかり身につけよう。
何度も同じ跳ね方じゃ、駄目なんだよね。その時、その時を自分で判断をして、過去に留まってちゃ次の楽しみが逃げてしまう、ね、猫ちゃん。
この時の円子が猫を見るその瞳の奥には虹色に輝いていたかもしれない。
もうこれからは、黒い血を目の中に見ることはないだろう。
「私の人生とは、こんなもんかな。」円子の言葉に応えて「こんなもんだね」と言ったのは、円子自身であって、それはもう幼い頃のあの少女のものではなかった。



8/03/2009

人生のバランス-マイルズ・ディヴィスス(21才)の葬儀の向こうに

ご家族のご意向により下記の画面クリックする事でマイルズ君のメモリアルサービスにご一緒に参加くださいますよう。

Myles Davis Memorial Service from Cooper City Church of God on Vimeo.


彼が若くして、この世を去った事を嘆き下さいますな。私の大事な、最愛の息子は多くの人々を愛し、そして愛され、かくも大勢の人々の心の中に、このように若くして触れることが出来たのを、神はその力、あっぱれと誉め讃えて、ご自分の側にお呼びになったのです。私は固くそう信じております。彼の母親、そして彼の妹も思いは同じです。』
フロリダ州クーパーシティ・神の教会の牧師を務める、彼の父は穏やかな声でその教会講道館に、外までも溢れる数の葬儀参列者に向い、言いました。
そうなのかもしれない。
入室した私の目がオープン棺の彼の付属陸軍オーケストラ部の制服に身を包み、制帽を胸に横たわる、若きマイルズ・ディヴィスの白い顔を捉えた時、滝のような涙が勝手気ままに放出し、家族の一員とし参列するわが孫娘の姿が哀れで、思わず嗚咽を抑える事が出来ないでおりました。
マイルズ君は付属陸軍オーケストラのトランペット奏者としている他、地元高校吹奏マーチングバンドのコーチをしたり、又、ジャズバンドでブルーズ作曲を手掛けて多他の地元開催会場でもコンサートを受け持ったりしていました。
彼は幼少6才頃から演奏を初め、その音楽に対するタレントは数々の賞をもって讃えられ、それは孫娘の音楽に関してはタレント性は丸でないものの、他の競技で大いに活躍して賞を受けるという彼とはそのタレント性ではバランスの取れたカップルといえると思うのです。
今最愛の人を亡くした孫娘、クリスティーナは心広い彼のご家族の元を訪れ、そこに寝泊りをして彼の今までの人生を感じ取る事で、今の現時点に自分の焦点を合わせ、そしてそこから将来を見て進むという人生のバランスを見つけ出そうとしています。
そして、私達個々もそれぞれの中に喪ったものをこの先のバランスをとるべく行動に気持ちの整理と配慮をしようと試みているのです。

私自身について言えば、こうして思いや回顧論を記す事で、そしてクリスティーナを今までどおりに見守る事で、平常生活を何気なく、しかもある事、ある事を一つ一つ受け入れかたずけて終日を無事に暮らす事で、私の人生に於けるバランスをとって生きているのです。ただ、ただ、当たり前に、そして平凡にあるがまま、その日の一日を迎え、送ることで私の人生をそうもズレること無く廻りと自分のバランスをとりながら、、、。
何かが、どちらかに大きく傾き、私の不均等が回り全ての不均等に繋がっているわけですから尚の事、心と体のバランスも崩さないよう心してこの先暮らしていけたら幸いとは思いながらも、自分には計り知れない不均等条件がいつ目前に現れるかも解らないのが、人生というものです。
であるからこそ、安易に人生をあなどるなかれと賢志達は私達に教えを給うのでしょうが、いかせん、凡人の私は、その突発災難時にはそんな教えも頭には浮かばず、その時を慌てふためき、嘆き哀しみ、自分と周りをバランスを崩してしまうのです。
凡人である私は、その凡人であるが為に廻りから色々と学びながら、この先もずっと私の一生を終えるその時までを、人生に於けるバランスを取りながら生きていく使命なのだと心しながら暮らすのが私という一個人なのだとこの場に於いても改めて感じたのでした。

マイルズ君、今の私の人生のバランスの教えをもたらせてくれた事に感謝します。
いつか向こうでお会いする日まで、さようなら。

8/02/2009

お役目ありがとう


心がつぶれるとは今の私達の孫娘、彼女の状態をいうのかもしれない。
哀しみの重さでつぶれた心はひび割れて、その修復は如何したらよい物かと廻りはオタオタとするばかりで、実際のところは何も出来ないで、その哀しみに暮れる姿を見ているしかない。
最愛の恋人と死という形で別れなければならないこの状態を、どの様な世のルールと教訓とを以て、彼女に納得せよとしようものか、私にはそのすべを知らない。
18才間近のこの夏は、彼女にとっては悪魔が来たりて、彼女の目前から彼を奪い去ってしまったとしか言えなかったのだ。
が、その彼のご家族が神の場所としての教会で神の愛を教え伝える人達であった事が、その暖かい心に救われて、今はその一人子の息子が神の思し召しを真っ先に受けたのだと知る事で、彼女の心は少しずつ癒えていっているようなのが、私には何よりもの救いなのだ。
悪魔に連れ去られたのではなく、神が彼の善業を讃え、そしてたった21才という若さで彼を神のホーン奏者としてその腕を高く表し、迎え入れたのだと彼の両親、そして祖父母、親族一同がそう信じているという。
無宗教者の私達にはその理解にかなりの辛い物を感じてはいるものの、愛に満ち溢れるこのご家族が、彼女を娘同様に迎え入れてくれている事が、私達が彼女に与えられない何か、その欠けた一部を満たしてくれているのであると感謝する気持ちこそあれ、何ら不都合や迷惑を感じている訳ではないのだ。
交際中は一夜とて彼等がどちらかの家に寝泊りするなどという事が全く無かった二人であったが、彼亡き後の一週間程を彼のベッドで寝起きする彼女が、今は哀れと思う私なのである。
彼のご両親は言ったという。「貴女の気が済むまで彼とお話なさい。そして彼が今、心安らかに貴女を見守っているという事を感じたら、将来に向って明るく先を進むのですよ。過去の思い出に縛られる事なく、自分の幸せに向って、哀れみや哀しみが貴女の将来の道を曇らせる事がないよう。貴女の幸せを願って彼が空からラッパを吹いてガイドしてくれるに違いありませんから。それが私達の息子なのです。愛とは過去に留まる事ではありませんよ。愛は今、現在、その時、その時をどうやって将来に繋げていくかと云う事だと思います。」
もし、この言葉を私が彼女に言ったとしたら、彼女の思いはまるで違う受け止めをしただろう。
自分達の最愛の息子を喪った、そのご両親の言葉だからこそ、彼女の心の痛みはそのご両親の痛みと同化して、それを超えた大きな広い心と愛情に包まれたに違いないと私は確信したのだ。
「家族皆が私を愛し、心配してくれているのは充分に解っているのに、何故か家にいると、独りぽっちになった気がしてとても哀しいの。なのに、学友達と一緒だったり、彼のご家族と一緒にいてまるで日常生活での無駄話をしているとしても、心が少し楽になるようで、哀しみが薄れていくような気がする。」
新学期が始まるのは3週間先だ。その時までは、好きにして、自分の心の整理が出来る事を願っている私達である。
私と夫が彼女の誕生から今までを親代わりとして暮らしてきたから尚の事。
この世ではご縁が短かったマイルズ君、しかし貴方のあちらでのご活躍を貴方のご家族、そして私達の孫娘の将来を通して知る事となる事でしょう。
私がこの世を去る時が来ても、大丈夫、その時は彼のラッパ音色が高々鳴り渡るのがこの私にも解り、そして私は微笑んで天に昇って往くのだろうと、孫娘はその時、慌て哀しむ事無く、事を迎え得る事ができるはずだと、思うのです。
その事に於いても彼女の亡き恋人のマイルズ君、貴方の大事なお役目に心からありがとうと言わせてください。どうぞ、その時には宜しくお願い致しますね、と私は心で彼に手を合わせたのである。

7/26/2009

番狂わせと命引換券


我々家族に付属する人間ではあったのだが、何という番狂わせを我が家に持たせてくれた事か、M君。
貴方はたった21歳、成人になって間もない若さでこの世を後にするなどとは、誰が考えた事だろう。
あまりにも突発的事故によるその死は、多分当のM君自身もまだ納得せずに、事の成り行きを不思議がっているやもしれない、と私は思ったのだよ。
哀しみに打ちひしがれて、泣き叫ぶ我が孫娘を貴方は、きっと「どうしたの、僕がここにいるじゃないか。泣かないでおくれよ。綺麗な自慢の髪も涙に濡れてグシャグシャだよ。僕にどうして欲しいの、言ってご覧」と彼女の頬にキスをしたかもしれない。
でも、もう彼女には君の姿が見えないの。もう彼女には君の声が聞こえないのよ。
君がフロリダ州大会個人入賞をした、そのトランペットの音色さえ、もう届かない。
心の優しい君は、いつも人の手助けをしようとするのだけれど、今回ばかりは全く予期せぬ事故に君が会う事になり、皆が「そんなに他人にも優しく、いつでも手助けを一生懸命やる事ないのに!」と思ったかもしれない。
雷に打たれる死亡者は、この州では珍しい事ではないけれど、君の場合は嵐による市の電圧が地を伝っていき、車故障に困っている人を助ける為に車からおり、その場で電線排除を試みた君の体に感電したという。
その日のローカルニュースでも君の事故死を何度も放映したんだってね。
私達はとてもそのニュースを見る勇気がありませんでしたが。
天災と人災が一辺に君の身に起きるなんて、、誰がそれを予期したことだろう。

もしもこの世に命のクーポン引換券なるものがあるとしたら、私は何のこだわりも無く、私のクーポンと君のを取り替えてあげる事が出来ただろう。
本当に本当だよ。
孫娘の大事な、大事な人だもの。
君のご家族も皆自分の命と代わりたいと思っているのは知っているけれど、皆それぞれがまだこれからやはりしなければならない責任の様なものを背負っておられると思います。
とても暖かいご家族ですものね。君のような青年が育ったのが納得するような方々です。
そして孫娘は君のご家族皆に、それは可愛がられて何と幸せな娘だと、いつも感謝していましたよ。
私も私の家族にとても愛されているのは承知です。
でも、私は今までにもう沢山の良い思いをし、やる事はやってきたし、私の一応のお役目も済んだように思っているの。
それこそ次の番待ちに控えている私の夫は、彼の命の炎が細りきって今にも消えそうな状態なんだけれども、彼にはまだまだ孫達の保護者として頑張ってもらっているから、彼のクーポンは誰にも取り替えられないの。
それにしても、どこをどう視た所で、君の他界は番狂わせの以外の何ものでもないでしょう。

私の母が姑と舅の同時葬儀の後(この私の祖父母はアルツハイマーを長く患って他界した祖父の葬儀に集まった人達にm祖母は夫の世話役として一応の仕事を終えたと皆に挨拶をしてから、その同日祖母は息を引き取るといった典型的な夫婦の形としてダブル葬儀になったのでした)私に言いました。
「この二人の人を弔った後の私の思いは、さて、次は私達の代があの世への番だと思っただけ。」
そして、数年後、その母は出番待ちどおりとばかりに逝き、暫くして父が逝った時、私は母の思いと同じに「次は私の出番だ。」と思ったのでした。

夫が余命数ヶ月と言われた8年前には、私は思ったのです。
『いえ、まだ貴方の出番ではありません。やって貰わなければならない事が沢山あります。』そして駄目モト的手術に於いて「貴方、手術から必ず目覚めて、その様子を私に全部報告する事を忘れないで下さいね」と言った私の言葉に彼は賢明に『手術室やその様子を覚えておいて妻に知らさねばならない』と思ったそうで、大逆転ミラクルを起こしたというウソのような本当の話です。
その時は私は私の命の引換券を彼に渡そうとは思わなかったのは、その時は私も彼同様、まだ私達の人生に於ける責任の様なものは果し終えていないと思っていたからです。
孫達の責任者としてまだ子供達の成長が心配の原因でした。

今はあの時とは違います。
今は、子供達も成長し、一応の私の役目は終わり、今の私は母がいった出番を命クーポン券を手に、ちぎり天使を待っている日常です。
しかし、たった一枚きりの引換券、無駄にこの命クーポンを使う訳にはいきません。
私の本音としては、夫の命引き換えクーポンを取り上げてしまって、破り捨て、彼にはいつの時までも生きながらえて欲しいのです。
家族皆が彼を、その彼の思考力と、生産力をまだまだ必要にしているのです。
「そんな命引き換えクーポン券なんて、実際には無いのだから、ナンセンスを愚痴るのは善くない!」と息子に怒られてしまったけれど、私の本心を言ったまでの事。
もしも、私にその命引換券が実際にあったとしたら、私はこれを今、使いたいと心から思います。
M君に戻ってきてもらいたい。
何よりも私には孫娘の将来が大事なのです。
M君、兎に角君の急死は番狂わせなのですよ。
私は逝ってしまった君を責めているのではないのです、M君。
私は君を家族の一員として迎える日を見たかった、そして孫娘の笑顔を何時の日も願っているだけなのです。
私達が出番のその時は命引換券を天使に渡す時、君のトランペットが高々と鳴るのが聞こえるのでしょうか。

7/19/2009

円子の「こんなもんかい」物語り その(14)


(14)再会と目の中の血

「あの、、。あ、やはり、ミツ君。いえ、保志加さん。どうしたんですか。あ、手に傷が、、」
声に顔を上げると、朝日の中に女性が屈んで満の顔の前に黒い影を作っていた。
どうして自分がそこ、アパートらしき建物の階段に座っているのか解らない満の頭がスローに始動し出した。
「私、解る?やっぱり変わって、すっかりオバサンになってしまったものね。こんなところで会えるなんて。まさか、私を探し当ててくれたのじゃないのはわかってても、会えて嬉しい。私の家、そこなの、どうぞいらして。朝ごはんまだだったら、私すぐ用意しますから」
「あァ、朋、、。」満の頭がの中で昨日の出来事を反復しながらも、居酒屋での独り酒盛りから今、どうしてこの学生時代の恋人であった朋子に出会う事となったのかは空白のままであった。
朝の食卓を昔のように朋子と一緒に過ごしているというのが、何だか出来すぎたお話のようで、満には天は自分の敵なのか、味方なのかが計り知れないでいた。
昔と違うのはお互いの容姿が青年のそれから目に見えて年月をへだった後の事であるのが一目瞭然で或る事と、二人の側に賢そうな小学生位の男の子がきちんと正座して一緒に食事をしている事である。
「雑誌や新聞などで、ミツ君の報道があると、随分活躍しているんだなァと本当に嬉しく、私には自慢の人なのよ。ね、拓君にも良く聞かせたりして。」と萌子は笑った。
萌子は満と別れてから故郷に返り、そこで大きな農業をやっている男性と見合い結婚をし、その間に設けられたのが今一緒に生活をしている拓哉であるという。
農家の経営は彼女の夫と夫の兄、そして父親が手広くやっていて、裕福で楽しい時代が数年あったのだが、その父親が亡き後を長男の兄と兄嫁一家が引き継ぐにあったって、次男の夫には歩が合わない生活を強いられ、最終的には夫がそれを萌子とその実家の助けの及ばなさを不満に思うようになり、家を追い出され、縁を切る事となってしまったそうだ。
何も子供まで追い出す事はなかったのだが、夫が再婚する相手に子供がおり、その子供と相手一家に気を使っての事だったのだろうと萌子は言う。
ここでも欲と得と因果の関係がしがらみをつくりあげていたのだ。
そして、満は自分勝手に萌子が自分と似ているのだと、認識すると共に、自分にはやはりこのような女性が自分の理解者としては最良であるのだと思い、萌子との再会を心から喜んだのであった。
こうして、満の生活は萌子家族の世話をする事で、今の自分の現実をどの様に自分のもとのとして取り入る事が出来るかと、新しい生きる闘志のような念さえ燃やしてくれたのであった。
「自分も萌子も家系一族という大きな目に見えぬ力に負けてなるものか!」と自分のその家族乗っ取り作戦を善巧に摩り替えてしまったその時の満であった。

輝美は満には子種が無い事を知らなかった。
養子縁組の件で、妻の輝美が満を許す様子が無い事は彼女が別宅に移り住んだ事でも明白であったが、それでいて、輝美が未だに満の血を坂下家に継がさせたいという考えを断ち切ったというわけではなかった。
その狂信的思考が故なのか、満にはどこか他にも子を設けているに違いないと輝美とその使いの者達が長年の調査を続けた結果が、保志加円子にたどり着いたというわけであり、満はその輝美一族の誤報を驚きの気持ちで受け入れ、それを逆手に取る事にとっさの判断をしたのであった。

「何なのアンタ達。人の家に来て、私の子供を何処に連れて行くっていうのよ。
坂下満?知らないわよ、それ誰なのさ。何をいってるのか私にはまるで解らない。
知らないってば。なんで、その坂下だか何だか知らない所に円子をくれてやるのよ。金持ち?誘拐じゃァ、無いって云っても、現に何だか解らない事、云ってるじゃないのアンタ達!」
母親が叫んでいた。
外で土を掘って遊んでいた円子が小さなボタンのような貝がそこに混じっていたのが嬉しくて、それを拾って走って母親に知らせようと家に入ったところだった。
母親が話している相手はスーツに眼鏡と言った、いつか見たセールスマンのようだと幼い円子の目には映った。相手の低い口調に対し、母親の剣幕が圧倒的で何か異様な光景であり、円子はそのままあわてて、母親の後ろに廻った。
「円子ちゃんですね。円子ちゃん、叔父ちゃんね、円子ちゃんのお父さんに頼まれてお迎えに来たんだよ。玩具や小さな動物達も沢山そこで円子ちゃんが来るのを待っているんだよ」とその男は鼻にかかった猫なで声で母親の後ろ肩から覗いている円子に向かって言った。
「勘違いもいい加減にしなさいよね。この子の父親はもうこの世にはいないんですよ。バイク事故で、、。そんな事アンタに説明する必要もないでしょう。帰って下さい。なんだか知らないけど、訳のわからない事グダグダ言わないで、帰ってっ。変な人なんだから、、。」と母親が云い、円子はそれに続けて「変な人なんだから。」と繰り返した。
その時、男は立ち上がり、「私は、ちゃんとした書類だって持ってきているんですよ。ここに、署名してくださいよ、保志加可憐さん、」と側へ寄ってきたのと円子が母親に手に持っていた竹の棒を御用に渡そうと咄嗟にした事が同時で、母親の肩上に突き出たその鋭い先が男のずり落ち気味眼鏡の合間から、屈み様のその顔面を真向かいに向けた左目を突いた。 あっと、云う間の3者のイミングであったのだ。
男はぎゃっと叫び声を上げ、のぞけながらも左膝を床についた。母親はその声に驚いて横によけ、円子の小さな体がその男と向かい合わせになった。
そう、あっとい間の出来事であったのだが、円子にはそれが、大きく、モノクロ映画の一シーンをスローに観ているような感じがあり、次に真紅の血の色だけが鮮やかな色でその棒を伝って流れ出したのを見たと思った時、その先の赤い雫がポタリと円子の額に落ちて、その小さなつぶらに生ぬるいネットリ感と黒い色合いが広がった。
円子の体は恐怖で固まり、動く事も声も出す事もその場では到底無理な状態で、ただ、ただ、呆然とな立っていた。 そしてそれからは男も血も母親の背中もが全て白く煙のように円子の視界から遠のいていったのだった。
その後、どうなったものか、円子には解らなかった。翌朝目覚めた時、少なくとも円子はその時が翌朝なのだと思っただけの事ではあるが、病院のベッドに寝せられており、側にあの、じいちゃんとばあちゃんがいて、優しく円子を見下ろしていた。
円子の記憶には母親に見せようと遊びで見つけた小さな貝の思い出までしか留めておらず、そしてそれを大人達が最善策であったかのように胸を撫ぜ下ろしていたのだった。
そして、その後円子は老夫婦二人に連れられて、母親の実家に住む事となったらしく、母親の可憐は時々様子を見に来るといった生活がはじまったのだった。 

その事件の男は、輝美のお付の弁護士の一人であったのだが、その事件が満の知るところとなったは、そのご数年も後の事であり、当の保志加可憐とその家族には何時までも、それが誰であったのかは確かではなく、しかもその男はそんな事件が実際に起こったのかどうかさえ夢の中の出来事かのように煙の様に消えてしまっていたのである。
そのような皆の口に昇らない、又は、口に出して話すことがはばかれるといった想いがあってなのか、保志加可憐とその両親には、ただそれが一時の悪夢を見た思いに無理やり忘れる事に勤めもした。
大人達にとっては、その部屋の状況から事件が起きた事は事実であると知り得たのだが、男の姿は消え、どこからもそのような事件が起きたとの被害届けも、警察沙汰になる様子も丸で無く、円子の精神状態をも考えて、事を見分ける事などはせず、何事もなかったかのように振舞う事で、日が過ぎていったのであった。
可憐の人生を見守ってきた、円子の祖父母には、この事件が起きた事で、古傷をかきむしるように一人娘の可憐を哀れと思い、陰で涙せずにはいられなかっただろう事が、円子にとっては痛いほど解る日が来るのは、ずっとまだ先の人生の一端の出来事であったのだ。

以来、輝美は円子を養子に迎えるのをひとまず、考え直してみたものか、それ以上には円子を養女に迎える活動を表立てて行うのを止めた物か、静かな生活状態が営まれているかのようであった。
その時から円子の幼少時代の悩みと言えば、自分のからかわれ易い名についてだけであり、時々顔を見せる母親の訪問にも特別親しみも無い変わりに、淋しいとも思わずに暮らして行けたのは、祖父母の大きな愛情を円子が常に感じていたからなのだろう。
しかし、その優しい祖父母の悲しくもあっけない事故死によって、円子の母親が実家に戻る事になったのだが、その時には円子は大学生として、人との付き合いなどには馴染まないまでも、それはそれなりに自分に納得をしつつ大学寮生活を過ごしており、ついには卒業後は母親の希望もあって、親子で同居する事にはならなかったのであった。
円子が大学卒業と共に母親がサッサとその実家を閉めたのは、その後、円子が思うに、独り立ちさせる事が、またあの昔のような忌まわしい事件を思い起こしては円子の精神に傷が一生涯残ってしまうとの思いが二人が別々に個々で暮らしていくのが唯一の道であるかのように、可憐が信じていたからであった。
「私と一緒に暮らすと、円子にはろくな事が起きない」と愚かにも、信じきってしまった可憐であったのだ。彼女にとっては哀しい愛情の裏返しであった。
そして、母親可憐は山奥の温泉女中となり移り住み、円子は独り社会生活をする事になったのだった。

が、年月を経て、加齢とともに輝美の病状が悪化の途によって、あの、円子を再び事件へと巻き込む事態がまた起きようとしていたのだった。
天はその時もまだ、円子の運命を定かにしてくれようとはしていなかったわけであった。
そして、それは最終的に円子の記憶の全体をリセットする事件へと事が運んでいったのであった。


続く。

7/18/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その (13)

その(13) あがき

坂下満は多いに頭を悩ませていた。
妻の輝美が満に二人の仲に子を設ける事は出来なくなった事態の再策として、満に外で付き合いの或る女との間に出来た子供を、坂下家の養子として認知して欲しいと申し出たからであった。
その申し出がなされた直後は満も妻を哀れと思い、その策には大いに寛大に受け止め、内心は自分が坂下家を完全に取り込めたことで天にも感謝したい思いの満であった。
しかし、天は決して満のその黒い腹を見逃すことなく、悪性を罰する事に目を閉ざしていた訳ではなかった事に満が気がつく日も直ぐの間にやってきた。

当時の満が通い詰めていた店は数多くあったが、そのなかでも源氏名を篠という蝶を可愛がっており、その彼女がある日満の耳元で「産んでもいいでしょう、この子」と自分の腹部に両手を当てて彼にささやいたのであった。
その頃はまだ、坂下家に養子を入れる話が起きていなかったので、満は大慌てで篠の堕退を強要したのだが、篠はそんな満の言葉を受け入れず、ついには人の口沙汰に上るのを伏せるために、満が彼女にマンションを買い与えてそこに住まわせ生活の面倒を見る事になったのであった。
が、篠が男児を生んだ後は、時には顔を見せる事はあっても、満の弁護士を通してそれなりの手切れ金を渡し、坂下満の名が表にでないようにとの念書を書かせたりもしたのである。
そして、その後に及んで、妻の輝美が満に下した養子縁組の要望条件に、満はこの時真っ先に篠に産ませた男児を頭に思い浮かべたのはいうまでもなかった。
篠の子の名、それが保志加円子が先輩と呼んでいたあの啓真に他ならない。
念書まで書かせて、自分との繋がりを拒否した満であったのが、今度は弁護士を通して、それなりの財と地位を約束すべく啓真を坂下家に認知したいと言い出したのだ。
篠は自分の子を手放す事を嫌だと初めは拒否の態度であったけれど、満が彼女も含めて引き取りたいと言い出した事で、子供と別れることにはならないのなら、と一応の納得を示したのであった。
しかし、しかしである。
2日ほど出張会議で家を空けて、帰宅した満に妻の輝美はそれまでに見た事も無い形相を浮かべて満を向かえ、開口一番に彼をなじり始めた。
「一体、貴方と言う方は、、。誰の子か解らない者をよくも坂下の家に迎えようとは。私を騙して、その母親の女とこの家を取り込もうとしたって、そうはいきません。貴方の悪巧みはここまでにして下さい。坂下を一番大事に思って、ここまで盛り上げてくださった貴方の努力には充分感謝しておりますけれど、私はまだ、坂下の者です。貴方に全面をおまかせしたわけではありません。」
当時はまだDNA鑑定のような確定的に親子関係を調べる方式は発見されてはおらず、血液の型でしかその関係を証明するのは困難であった。
そして、そのある意味には単純な血液鑑定に於いてさえ、それが満の子供では在り得ないと証明されたのだと輝美は云う。
満の驚きは輝美のそれよりも、もっと衝撃だった事は言うまでも無い。
満はその子が自分の子であると、疑っても見なかったのだ。篠は満が通い詰めた店のナンバーワン人気の蝶であり、廻りの男達の中でも自分が篠の心をしとめた男として満の自尊心は舞い上がっていたものと思われる。考えの甘さに満は自分を蹴り、殴り倒したいほどの憤りを感じた。
『雌キツネめ!この自分をまんまと騙して来たのか』満は自分の自己中心的考えを棚に上げて、篠にその怒りをぶつけようとしていた。

目の前の当の篠に到っては、私にはこれ以上失うものは無いとと開き直った。
「何をおっしゃてるの貴方。私はこれは貴方の子ですとは今までに一度だって口に出した事はありませんでしたよ。貴方だってそうじゃありませんか。そして私に口外無用と念書まで書かせたではありませんか。ほら。」と、満自記書の紙を目の前でひらひらさせたのであった。
この事態に及んでも、篠を怒らせて、これ以上に事をこじらせるのは適切な処置では無い事は満自身にも感じられた
念のためと、篠と啓真を病院に半ば強引に再検査に出かけた満は、そこで、又、更なる事態を知る事になり、唖然となったのである。
それは、彼自身には子を産む機能がとうに失われているとの医師からの言葉であった。
満にはそれがダブルのショックとなって自分の前に立ちはだかる運命に頭をかきむしったのであった。

満は泥酔していた。もともと夜遊びは好きで、夜の街には一応の幅を利かせていたのは彼が酒に強くて、口上手、商談上手、そして人扱いに長けているというところであったのが、その夜の満の姿は敗北者そのものといった感じで、どの面もが成功者や優者としての満の面影のひとかけらも見られなかった。
独りで、どうしてその酒場に行ったものやら、そこがどこなのかも満には解らなかったが、そんな事はどうでも良いという気になっていた。
篠達と別れてから、独りで考えようと暫くは街中をふらふら歩いてみた。
彼は山奥の農村出身者には独特の根強さがあり、どんな時にも巧く周りを適用し、弱者となる事を拒否する基盤を心に植えつけていたので、思いあぐねるたった今でも、何か自分に出来る策は無いものかと、頭の計算機が動いていた。
と、ある小さな居酒屋があるのが目に入り、初めて、商談抜きで自分の為だけに酒を体に入れてみたいという気分が持ち上がり、のれんをくぐったようだ。
それこそ、いままでにたった独りで酒を友に飲んだ事があっただろうか。いや、無かった。黙って独り飲む酒は決して悪いものではなかった。
所詮、人間なんて独りで産まれて、独りでこの世を去っていくのではないか、と意味の無い理屈を頭の中で捏ねていただけかもしれない。
「人生なんて、こんなもんかい。こんなもんさ。」自問自答した満であった。




続く。

7/16/2009

円子の「こんなものかい」物語 その(12)


その(12)ある秘密

円子は自室に戻るまで、後ろに栄子の小言が耳に届いていたが、ドアの中に入ると外の音が締め出されたように静かになった。
どうして満が自分では何も円子の質問には答えてくれないのに、私を独りで外出する事で、監視の目を栄子に厳しく言いつけたりしてるのだろう。
円子は父の満が実父では無い情報を得て、急に彼に対する対抗攻撃のような意識がつのるのを覚えていた。
香織に連絡しておかねばならない、と携帯をバッグから出して椅子に腰掛けた時、
窓の庭向こうにシルバーのスポーツカーが木々の合間を正面玄関に向かって見え隠れしているのが目に入った。
庭門前のゲートが開けられたのだから、知り合いや、関係者以外の物売りとは考えられなかった。
高級車らしいその車に見覚えがないと言うわけでもないが、こういった車は街中には沢山ある。現に私の友人の一人にもこの種の車に乗っていたと、「あっ」と円子の頭がその考えを急速にまとめにかかったかのような、衝撃を受けた。
その車と同じのを持つ私の友人?いや、私は友人を持っていたなどとは思えないけれど、香織さんがいってた私のボーイフレンドかもしれないと云う人物、その人の車の種類と同じなのだろうか。
落ち着け、落ち着いてよく考えてみよう。何故、サエさんのアパートからU安堵I街編集会社に通う事になったのか、何故サエさんの所で記憶が途切れてしまったのか、その時私を病院に連れて行ったという、私が切りつけたという男性は、、。もし、今ここに来ている男性がその私のボーイフレンドならば、彼は決して私には悪意を持っていないだろうから、彼に会って話を聴くのが一番手っ取り早いに違いない、、。そうだ。大丈夫、会ってみよう。

「あァ、貴方は、、、」円子の声に階段下のフォーャーで栄子と話していた男性が顔を上げた。
「円子お嬢様、今お声を掛けに参ろうとしていたのですよ。丁度いらして下さって良かった。会長秘書の高田栄哉さんです。何度もお越しいただいているのですが、いつもお嬢様はお休み中だったり、お庭散策中だったりで、ご挨拶できないでいらして、、」
栄子がそう云い終らない内にも高田が白い歯をみせて円子に笑いかけていた。

今日こそ円子に誤解を受けずに、話を最初から聴いて欲しいと高田は言った。
「会長を或る企画の会議会場に送ったその足で、貴方とゆっくり話ができるかもしれないとこちらに参上したのです。」
無論円子の頭は混乱し、さて、この男は私にとっては見方なのか、それとも今までの私の過去を打ち消そうとした原因を造った悪魔の見方なのかと、目を凝らして高田を見下ろしていた。
どちらにせよ自分の身を明かす鍵を握っている人間である事にはまちがいないと思う気持ちが優先権と握ったかのように、そろそろと、しかし、高田からは目をはなさずに、彼に引き込まれるかのように近寄っていった円子であった。
高田は円子の手をとり、静かにダイニングのフレンチドアを開けて、庭パティオの椅子に円子を座らせ、その手前にあるもう一つの椅子を円子の真正面に置いて自分も座り、前に屈む様な仕草をして両手を合わせ、少しばかり頭を垂れて思考をまとめる様な感じに目を先に宙に浮かせたのちに、思惑顔のまるこの顔を直視して話を始めた。
そして、夢遊病者のように高田に連れられてそこに来た時、急に円子は自分の解らない事を質問したいはやる気持ちが湧くのと、高田の話を全部話を直ぐにでも聴きたいと思う気持ちが同時に起きて円子の口を開かせていた。
「高田社主、いったい如何云う事なのですか。私は、、」と言いかけたのを、高田が合わせていた彼の両手を開いて掌を円子の言葉を受けるかに柔らかく制し、「大丈夫、話の後で、また解らない事が出来たら、説明するとして、今はまず、私の話を聴いてください」と言った。

事の次第はこうして高田栄哉の出現により、記憶を取り戻す大きな力として円子の頭脳にいとも急激にその形をあらわにした。
それは円子が確実に自分が誰なのかと云う事を解らせ、過去の自分が現存していた事を知らしめたのである。「私は確かに保志加円子と云う名を持つ、一個人です」と円子は声に出してそう云ったのは、それまでの人生を反復しての感慨でもあった。
始まりは、全てが坂下満の一つの計画から円子の人生が変わる事に繋がる。
坂下満がまだ坂下という姓を受ける以前の名は保志加満という。そうなのだ、満は円子にとっては伯父にあたる。
どちらかといえば野心に燃える、が、饒舌で、良い意味にも、悪い意味にも活動的な青年であった満は当時長年に渡って付き合っていた恋人と簡単に別れたのは、その野心の為であった。
富豪の娘坂下輝美の一族が経営する会社に採用されて、輝美と共に会社運営の手助けをする身となったからであった。世間にはよくある話である。
その時経営不振気味であった坂下一族を新しい改革に燃えた満が別会社を企画経営する事で景気の波に乗り、満は誰の目にも輝美には相応しい伴侶として映り、順風満帆の経営者として坂下家に迎え入れられたのであった。
しかし、その昔から一族には呪われた血と呼ばれる得体不明の病状が輝美一家を襲い、最期の輝美までにもその悪魔の手が及んだ事と、満が経営活動お遊びに飽きてきていた事もあって、結婚後数年のうちに満の夜の街に魅せられ、女から女と夜遊びに余念がない時期となった。
当時は坂下満として実業経営者青年ともてはやされ、雑誌や週刊誌などにも取り扱われ、満にとっては有頂天の最中でもあった。
重役達が満の女沙汰であちら、こちらを奔放する中、ついには病身の輝美の耳にもその満の火遊びの件が及ぶ事となった。
輝美は彼女なりに、病身の身が二人の間に坂下家を継ぐ子供を設けられない事に負い目を感じ、願わくは、せめてその満の血を継ぐ子供を養子縁組をしたいと申し出たのであった。
当初の満は、そんなバカバカしい養子縁組など出来るものか、と考えていたので、いつもその話になると、のらいくらりと逃げ足で真剣に輝美の思いを汲み取ろうとは思ってもいなかったのだが、そんな満も或る日彼の弁護士から坂下家の経営に関しては今現在には輝美が全面権を握っており、その事で輝美から坂下家を満が今後に渡って経営をし続つけるのは困難になる事を告げられた。
輝美が代々続く悪しき血により、最期に自分も病身に倒れた事で、満との間には子供が設けられないのだと知ったその時、彼女はそれを坂下と養子縁組した満に彼の血を新しく継ぐことで忌まわしい病から坂下家が逃れるたった一つの希望としたのである。
輝美は病身であるが上に、満が自分以外の女性と密接な仲になる事を知っていた。
そして彼女はそのような満の行動を、忌まわしくも思いながらも、満がその女から子を設けて、坂下家に迎えてくれるのを期待もしていたのであった。
他人が坂下家を継いで行く事は、何とも口惜しくもあったが、輝美にはその方法でしか坂下家に新しい血に変える事は不可であるとそう決心していたのである。
確かに、満は青年時代からの遊び癖が坂下家に養子縁組をする事でおさまったわけではなく、一時はおとなしく坂下家の婿を勤めていた彼も、彼の腕で会社を立ち上げ成功の途に再建を成し遂げた事で、多いにその業を認められ、彼自身も自分を坂下満として世に知られるようになってきてからは、それまでの遊び好きな面が表にも出して人はばかる事もなくなったものか、夜の街では商談と称して大手をふって豪遊していたのであった。
自分の血筋を継ぐ事を嫌った輝美ではあったが、全くの他人を坂下家の子供として養子縁組をすることには全面的に抵抗があったのは、満が下降の途を止め、坂下家を元の財を超えるほどの成功を収める幸運の男児と信じたからであり、そしてその血筋に坂下家の財脈を変えてもらえるとの希望が輝美にそのような覚悟の計画を決心したという事自体、ある意味には単純極まる哀しい女の業でもあった。

幼少の時期から輝美は坂下家を継ぐ最後の人となり、満との婚姻で子を設ける事が自分に架された重大な任務であると頑なに信じていたのだが、二人の間にはそれらしき兆候が現われず、少なからず不安におののいていた輝美の期待は彼女が病に於かされた事により、忌まわしい悪魔はやはり輝美をも逃してはくれないとはっきりと悟ったのだった。
それを期に、それからの彼女は自分が坂下家を継続していくすべを考えあぐね、悪魔の手によって葬られる前に何とかせねばならないと、苦肉の策を企てたのが、前に述べた、満が外で生ませた子供を引き取る事で、坂下家が栄える力の備わった血を迎え入れて、その悪魔にしっぺ返しをしてくれようというものであったのだ。
ところが、満にはその様な輝美に対して云う事をはばかる重大な秘密を抱えており、輝美の望みをかなえるべくその宣言は、満の腹の中で黒い固まりを生んでいたのである。
満を脅かす黒い固まり‐それは、満には子を孕ます要因を保持してはいないという事実である。
満自身がそれを知ったのも偶然の皮肉な事の成り行きと云わねばならない。
満の大きな秘密、そしてそれが、保志加円子という一人の人間の人生を大きく変える事となった原因に他ならないのであった。

続く

7/06/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(11)


その(11)核心

確かに見た事のある街並み風景であった。
タクシーのウィンドーから住所最寄バス停が見えた。そうだ、あのバス停で何度か見知った顔の女の子を見かけたんだった。
2連のアパートが細長い花壇のようなものの向かい合わせになっている、その建物を見上げ、円子の住所録にあった部屋番号に目を追いやった時、最初の建物の窓に猫が外を眺めている。
サエさんの猫だ。その窓を通して、奥にも白い猫の姿が見えた。すると、そこはサエさんの住む部屋らしい事が察しられ、はやる気持ちを落ち着けるために一深呼吸した後、その戸を軽くノックした。
猫達がその来客の出す音に戸口まで寄ってきているのだろう。「はい、どちら様?ショウちゃん、ちょっとそちらに動いてちょうだい。外に出ないでちょうだいよ。はい、いま戸を開けますので、、」と声が聞こえ、戸口が開かれた所に、2匹の猫を控え、一匹を胸に抱いた女性が立っていた。
「サエさん、、ですよね」と円子が言うのと、その女性が声高に叫んだのが同時であったかもしれない。「保志加さん、円子さん、、一体貴女は何処で、どうしておられたの!」

驚き興奮の涙さえ浮かべ、サエの片手はまだしっかりと猫を胸に抱いていながらも、もう片方の手を円子の肩に廻し、強い力で部屋の中に招き入れた。
子供のいないサエは猫を可愛がっていて淋しく暮らしているのではないと云いながらも、当時は久方ぶりの寂しい独り身である円子の入居が嬉しく思えていたのだったらしい。円子はその時、サエが彼女を可愛がってくれていたアパートのオーナーである事を少しは頭の端に残っていたものか、彼女に随分世話をして貰ったように感じたのであった。
「私は、ここで、小さな女の子を度々見かけたようにおもうのですけれど、、」と円子の頭の中に知り合いとしていたのだろう手ががりを口に出してみた。
「あァ、その事よ。円子さん。貴女、あの日の事は何も覚えてないのね。貴女が同じ質問をした日の事、、。そして、その直後に事故というか、大変な事が起きて、、貴女は何処かへ連れ去られてしまったの。でも、その後直ぐに貴女の家族の方が弁護士さんを連れて、ここを引き払っていかれたのよ。ちゃんと、証明証やその他の書類もあって、貴女が入居の際に話した祖父母の事故死の事も知っておられて、、」でも円子からは何の挨拶も、連絡も受けなかったことですくなからず、気を害していた、というより、自分の気持ちが通ずるものを持っていると思っていた円子に裏切られたような気持ちが恨めしく、落胆していたサエであったのだ。
サエの当時の話に耳を傾けながら、頭ではその時の様子を再現して見る事で全てが明らかになるはずだと円子は考え、話すほうも、聞く方も自然と体中の力をそこに集中しているかのような迫力さがあった。
サエの話はこうであった。

或る日曜日、近くのスーパーで買い物をしてきた円子にであったのがアパート前だった。そしてその時円子はいつも中庭で遊んでいる女の子は誰なのかとサエに聞いたのだが、当時は小さな女の子を持つ家族の入居者はなかったので、そう伝えると、円子には暫く不思議がっていたが、貧血か何かで急に気分が悪くなってきたものか崩れ倒れてしまい、救急車を呼ぼうと管理事務所に入って電話を取ろうとしながら窓から円子の様子を伺うと、円子は気が戻ったらしくて、頭を垂れて座り込んでる上半身を男性の体が支えており、円子に声を掛けていたという。
それで、救急車は呼ばずに、その男性が円子を抱えるようにして、部屋に連れて行く後にサエも付いていき円子をべっどに横にすると「私、もう大丈夫です。でも、どうしてここに来られたのですか」とその男性に向かって、云ったので、彼が円子の知り合いである事を感じたサエは円子に大事な話でもしに来たのかもしれないとその場を去ったのだ。「何かあったら、また直ぐ連絡下さいね。私の部屋は管理事務所と続き間ですから、非常ベルを押していただけば、日中夜を問わず、私が留守の時でも非常連絡用の携帯にも繋がりますから」
が、それから1時間も経たないうちに、円子が裸足で二階階段を走り降りる姿が見え、それを追うように、男性が走り降りてきて、その男性の腕に血が吹き出ていてサエを驚かせた。
そして、その血が吹き出たままの男性の腕が円子にとどいた時、円子は走るのを止め、小さな声で童謡の様な歌を唄い出した。
他の窓から見ていたアパートの隣人が通報したらしい、警官が現われ、その男性と、そしてサエにも事情調書を取る事を要請したのだが、男性はそれがほんのかすり傷であり、円子を訴える訳でもないのでと、その場を収めた。
円子はと云えば、その時もずっと小声で歌を唄い続けていて、その男性が自分の傷の手当てと、円子のショック状態を診てもらいたいので、その場から、病院に行く事にして、サエがタクシー会社に連絡して二人を乗せ送ったという。
「今、思うと、その時私も一緒に円子さんについていけば良かった。でも、あの時の騒ぎで、ウチのこのショウが、外に出ちゃったもので、その帰りを待ってやらねば、なんて考えてて、それに、円子さんがそのまま連れ去られるなんて、考えもしてなくって、、、。ごめんなさい」とサエは円子の目を正面から見てから、頭を下げたのだった。
「それで、あの時、ショウは直ぐに戻ってきて安心したのだけれど、、。あら、そうだ、円子さんの所に来た男性の名はずっと聞かず終いでしたけれどね、円子さんがその男性にショウとかシュンとか云ったので、ウチの猫のショウの事を思った記憶にあるわけ。結局はやはり円子さんのご家族が円子さんを引き取って、今の幸せな生活があるのでしょうから、これで全てがハッピーエンドと云う事でしょう。良かった。」サエの笑顔は心から円子の今ある生活を喜んでくれているようだった。

又時々は顔を見せて頂戴ねというサエの言葉を笑顔で受けて、そのアパートを去った円子には、まだ解らない事が頭の中で渦を巻いているようであった。
その私が切りつけたという男性は誰なのだ。何故そんな事を私はしたのだろう。
それに、小さな女の子は何処?病院でチラと見た私の実母はどうしたのだろう。
サエに話を聴いたあとでも、数々の疑問が円子を苦しめる事となった。

家に戻るとお世話人栄子が飛んで来て、円子に向かえ云う「何処へお出掛けだったのですか。もう、私は心配で、堪りませんでしたよ。会長にも強くお叱りを受けたのですよ。これからは、私に必ずお出掛け先連絡くださいませね。私はいつでもお供いたしますから。お願い致します。お聞き入れくださいませね。円子様、円子お嬢様、、お願いですから、、」
円子は栄子の小言をそれ以上聞きたくなかった。
頭の中で考えをまとめようとしている時には不要な事柄で頭能力を使いたくないなどと、勝手に思っていたのだ。子供じゃないんだから、私が何しようと、栄子さんに何故知らせなくちゃならないの。
でも、一応彼女に謝っておいた方が、いいかな、、と円子が思った時、携帯にメッセージの点滅があるのに気が付いた。
『香織です。そちらでは何か解りましたか。こちらは松谷さんがちょっとした情報を提供してくれましたのでお知らせします。松下満氏の実家、母方の姓を保志加というそうです。松下会長は円子さんの血縁者らしいです。もう少し調べて、後日また連絡しますね。』
と云う事は坂下満が私の実父ではないと云う事だ。そうなると、円子は満の妻の坂下輝美が何故円子を養女に望んだのかが、もっと解らなくなってしまう。
しかし、自分の人間関係も知らない事には私に課せられた役目が何なのかもわからない事になる。
推力観点をもっと広げてみた方が良いと云う事なのか、それとも、今現在自分の中にくすぶる不審人間を調べてみた方が近道なのか、、円子は迷っていた。
「私という人間を盗んだ本人は誰なのか、、」更なる困惑の壁にぶち当たった。
まったく、私という人間は自分の意思で生活をしてはいなかったのだろうか、と円子は過去の全てが自分という一個人を翻弄し続けていたのだと感じていたのだった。
しかし、その過去の全てを繋ぎ、保志加円子が今あることを突然に知る日が、もう、足元までやってきている事にその時の円子には知る由もなかった。
そして、それはある訪問者によって円子にその日をもたらせたのであった。
「あァ、貴方は、、」円子の口が彼女の思惑より先に声を発したのだった。

続く。

7/05/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(10)


その(10)情報

円子が邸内に迷い込んだ猫から自分の過去の生活を少しずつなりにも、思い出す糸口となったのは多いに歓迎する出来事と思われた。
以前にコンピューター使用をよくしていたのかも知れないという思いはあったのだがこの家に来て以来、部屋に置かれているパソコンを触る事は無かった。
それが、猫を見た連想からか、また何やら急に思い当たるものが出来、あれこれと情報を詮索しだした事は、あの迷い猫のお陰だと感謝したい気持ちになった。
パソコンの知識はどうやら人並みか、それ以上にあるらしい。
過去にパソコンを日常で使う環境にいたのだろうと再認識できた。

まず、ここへ来る前に入院していた病院名からと、父親という初老男性名から、その会社や関連会社も解り、自分がどのようにしてここに住む事になったというのが、まるで推理小説の応え解きのように、あちら、こちらと情報を繋ぎ合わせて、広い範囲に渡っての情報を得る事が出来、もっと早くにパソコンサーチに気が付かなかった自分が悔やまれた。
栄子が話してくれた、父親の妻、円子を養女に望んだその人は坂下輝美という。
明治時代に皇室御用達商家としても名のある船会社でもあり、海外貿易の様な政府機関で富を作り上げた一族で、その後視察やら商業取引やらで海外を行き来するうちに、その時代の疫病に多くの使用人や当の主人までもが悲惨な病死を遂げ、その親族一家の生き残りの子供が輝美というわけであるらしい。
そして、当時、貿易関係から別会社を次々に起こした野望の青年として輝美の養子婿に白羽の矢が立てられたのが今の坂下満であり、奇しくも最期となった坂下家の一人、輝美までもが病身の身となった時から満が坂下家の運営を当然ながら続けて行く事となったとその各社歴代期に記されていた。
坂下家の歴史は一応解ったとしても、何故、坂下家に自分が養女に迎えられたのか、そこの経過が今ひとつ円子には解らなかった。
と、円子と自分の名を詮索に叩き込んでみた。
すると、どうだ。画面中ほどの一つのブログに過去の記述として『一体、どうしちゃったの、円子さん。あんなに一生懸命に仕事をしていたのに、やっぱり、社主の紹介だったから、コネ入社先輩の私としては、自分の将来にも不安を感じています。保志加円子さんを誰か見かけたら、私に連絡下さいね。お願い‐-』というのが載せられていた。
驚いた。
そうだ、病院のカルテにも本名で書かれていた私の名。
名前ばかりか、苗字でも虐めの対象になった事もあった、保志加だ。確かに。
そして、そうだ、確かにサエさんが私を抱えるようにして「大丈夫?しっかりして、円子さん!」と私を呼んだのだ、あの時。
それで、その後はどうなったのだったか、ああ、あの時小さな女の子が私に何かを手渡してくれたのだった。
木で出来た棒のような、、、あっ、そして血が、、男性の腕に血が、、。
私がその男性の腕を切りつけたのだ。何故。その男性は誰なのか。
病院でも私が殺傷事件を起こしたショックで記憶を失くしたと案に知らせてくれたけれど、それはほんの些細な事故程度のもので、その傷を負った人は私を捕らわれの身にするのには至らないものだと立証したのだという。
でも、だったら、どうして私はその後それほどのショックを受け、記憶さえ遠くに押しやってしまったのか。
あの時、女の子が私の側にいたのは何故。いや、違う、どうやら私はその女の子を知っていたようだ。だって、あの時私の目を見て意味ありげに笑ったと思う。
そして私も、その子に目配せで応えた、、。 
ここまでは解ったけれど、サエさんなる女性に、会って事情を聞かねばならない。
それに、このブログの発行人は本名が乗せられていないにせよ、私の名を名乗って問い合わせてみれば、もっと何か私の個人情報を詳しく知っていそうだ。
そんなに遠い昔の話では無いもの。きっと色々な事が解るに違いない。
どうか、まだこのブログを継続していますよう。
そして私という人間の過去の生活状況を説明してくれますよう。
もうすぐ、何もかもが私に納得がいくものとなるに違いない。
円子は今、自分が興奮の真っ只中に身を置いているのを意識していた。

「円子さん!本当に円子さんなのね!」会う約束の時間より早くその場にきていたのにも関わらず、その女性は円子の姿を見つけて、小走りに走り寄ってきた。
もう、どうしちゃったのかと、随分心配したのよォ、急に長期病気欠席だなんて云われたって、誰も、何にも知らないって云うし、あの社主にしても「いや、そうじゃない。他の会社に呼ばれて、長期滞在許可証を出してやったのだよ」と云ったって、その会社名も何の情報も私の課に廻っても来なければ、誰も何も聞かされてないってのは一体如何云う事なのか、私にはどうしても納得がいかなくて、、。社内の皆の個人情報は私が把握しているとばっかり思っていたから、もう、円子さんの休職には本当に驚いたし、何か犯罪にでも巻き込まれてしまったのかと、随分気をモンだのよ、これでも私。
円子の向かいの椅子に座る間も惜しいようにまくし立てる、その女性の名は喜多波香織と自分を名乗り、「私の名前も憶えてないって、、何故?如何して、、?」と目を丸くして見せた。何故、如何しては、円子の方が聞きたい質問である。
円子と一緒に勤めた仲間だという香織は、情報管理課での経験を活かして、というか、それを理由にして、各社員、役員達の私生活情報にも精通しているのだが、何故か円子の私生活についてはあまり知らないらしい。
ただ、円子が社長、いや、社長ではなく、社主というのだそうだが、その人の親類の男性が私の元彼なのだとかで、最初の一日には彼が一緒に社に来たのだそうだ。
そう説明をされても、何だか本当にそれが私だったのかとちょっと疑いたくなるような身に覚えの無い話を聞いているような円子であった。
「私ね、あれから松谷さん、あ、貴女のトレーニング期間の係りというか、社則や色々お世話係というか、その彼と相談して貴女の事を探した時期があるのよ。社主の右腕と云われている、私のハトコの京子さんも何故か貴女の事に関しては何も聞いて無いらしくて、彼女も貴女の消息は解らなかったの。妙な話でしょう?で、今はどうしていらっしゃるの?」
せわしく口を動かしていた彼女だが、ふと口を閉ざし、目が宙に浮いたかと思うと、天井を指差して云う。「この、音楽、、私この歌手の大ファンなの。ほら、いつか一緒にコンサートに行こうって言ったら、円子さんも『いつか是非』と言ったの覚えてるかしら?」
そうだ、そうだった。そこのところは私も覚えていると円子は思った。
円子の事が気になって、あれこれ社中の噂や情報集めに忙しい思いをした或る日、そんな状態を松谷康成とそのコンサートにもでかけたりで、香織と松谷は以前よりも近親間を覚える仲となり、ついには婚約を交わす仲になったそうである。
「円子さんが私たちの仲を取り持つキューピッドだったの」と鼻の上に少し皺を寄せて笑う顔に円子は覚えがあった。

高田栄哉、たかだえいや、、何度か心の中で呼んでみた。香織は、どうも社主の高田が円子の過去を知る人間に違いないと言ったのを頭で反復したからである。
円子にはその姿にも名前にも何も知るところが無いと感じていた。
香織が見せてくれた社員一覧表と顔写真にも、そして社主の言葉を題して高田の姿が写されている「U安堵I街」のタウン誌を見ても、自分の過去に関わりがありそうな思いはどこにも感ずるところは無かったからである。
しかし松谷が書いたという新入社員紹介の円子の記事から、何となく自分という人間がそこに一時期いたという証明には充分でもあり、そして、旧住所のところには円子がバス出勤しているとの補足もあって円子はそれらの情報を聞かせてくれた香織に対して、多いに感謝したのであった。
お互いの連絡先を知らせ合い、必ずまた連絡し合う事を約束して香織と別れたその足で、円子は過去に住んでいたという住所を尋ねて見る事にしたのである。
「迷い猫さん、香織さん、松谷さん、ありがとう、少しずつだけれど、私は私探しの核心に近ずいて来てる様だから、、」
円子の心は自分を見つけ出す事が、自分を知らない事での不安の闇に光をかざすものに違いないと確信を持って、更なる興奮が波のように押し寄せるのを覚えていた。

7/04/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(9)


その(9)迷い猫

父親の目は笑っているようだったが、その面影は円子にとっては親しみのある物ではなかった。父親というより、彼女の年令の娘にとっては、祖父としてもおかしくない年令に思える、その人物は確かに彼女の過去にかかわりのあった人であると思ったのだが、それ以上の事は皆目解らなかった。
太い腕を円子に伸ばすように広げて「円子、さあ帰ろう。」と言った声は、確か何処かで以前聞き覚えはある、、と円子は改めて、その父親だという初老の男性の顔に見入った。

車は一体どの位乗っていかねばならねばならないのだろ。
病院は随分山深い場所にあるに違いない。もう小一時間は病院へ途の為だけに舗装されたのだろう道路を緩やかなカーブが右へ、左へと曲がりを付けて走り続けている。その間、誰もが何も言わず、世話人だという栄子と父親に挟まれて座っている円子が何か話し出すのを待つかのように、時々「何か?」といった風な視線を投げかけてくるのが、少し息苦しさを感じさせるためか、時間が映画化何かのシーンのようにスローに動いているかの錯覚さえ覚えてくる。
実際には感じているほどには、遠い道のりではないのかもしれないと、円子が新ためてその錯覚を振り解く意味でも、周りを見回そうと少しばかり体を起こしたと同時に道路両脇の木々がまばらになり、視界が広がり、家屋や商店街の賑やかさが見え出した。
そして、街中を通り、その商店街の賑やかさが車の後方になった後は、また林が見え、その中ほどに門構えが目前となった時、奥に一軒の家屋が静かにたたずんでいるのが見えた。
「さあ、お嬢様、」と既に車から降りて、円子が降りるのを待っている父親がいる事を察するように栄子が微笑みを浮かべながら伝えたのだが、円子は自分がい何処に来た物やら、いったい自分は何を如何しようとしているものやら、益々困惑するばかりであった。
円子の部屋は二階階段廊下の突き当たりにあり、その門四方に大きな窓が張り巡らせた明るい部屋であった。
何かを思い出せるかもしれないと、隅から隅まで目を凝らして視界を巡らせたのだが、円子には目新しい調度品、家具ばかりであり、しかも自分の過去人生にかつてこのような生活環境で暮らしたとは想像だに出来ないものであった。
紅茶を運んできた栄子に向かって円子は聞いてみた。
「父は何をしている人なのですか。それと、私の母と言う人にはまだあっていないのですけれど、、他に、兄弟か姉妹はいないのでしょうか。」
この質問は病院でも医師や看護婦にも、聞いたのだが、「徐々に環境に慣れた時、自分の力で思い出すでしょうから、今は急激に全てを想像力だけで作り上げない事です。」と教えてもらえなかったのが、円子を苛立てていたのだ。
「私は家事お世話人で、会長のお仕事関係にはかかわっておりませんし、はっきりした事を知らされてはおりませんの。それに、私は奥様がお亡くなりになった後にここに入った者ですから、新米世話人なんですよ。あ、そのお亡くなりになった奥様はお嬢様のお母さまではないと聞かされておりますけれど、そこの事情は私にも解りません。」
栄子の話によると、父と長年病床に臥していた妻の間に子はおらず、円子が養女として血筋親族から承諾を得て、移り住む事となったという。
それを妻が大いに喜んで一緒に暮らすのを楽しみにしていたのにもかかわらず、話が持ち上がったその後、その喜びを親子として生活を分かち合う事を待たずして他界し、同時に彼女のお世話役であった夫婦同居人が、お役目終了とばかりにこの家を出て行ったそうである。
父は妻の死を悲しみ、妻の意思を継いで、円子と暮らしを共にする事にしたという。
今は父の会社関係の秘書のような男性がこの家の全般世話人の責任者として出入りしていて、その人物と栄子とでこの広い屋敷を管理しているそうだ。
何だか、人事としか聞こえない栄子の話に円子は何の感慨も覚えず、又どれ一つをとって考えたところで、円子には自分の脳の奥から湧く様な衝動感の波動も感じられず、しっかり聞いておこうと心していたはずの円子の頭を話が素通りしていくような肩透かし感に落胆したのであった。

そんな何の新しい進展もみられない或る日の朝、部屋でぼんやり外庭を眺めていると、栄子がかがんで丸い後ろ姿をみせ、何かをしている。
花瓶に添える花でもあつらえようとしているのか、楽しそうに時々その丸い後ろ姿が笑っているのか肩が上下して震えたりもしている。
と、その右肩からゆらり、ゆらりと振られる尾が見えた。
あ、あれは猫、犬の尾じゃないはね。どうしたのかしら、あの猫。
猫が栄子の右脇から跳び出し、それを目で追いながら栄子が振り返って円子が窓辺に立っているのに気が付き、笑いながら手を振る。
「このところ、毎日この猫ちゃんこの庭に遊びに来るんですよ。どちらのお家の猫ちゃんなんでしょうけれど、人馴れして、仕草が可愛くって、私もついこの猫ちゃんが来るのが楽しみになってしまいましてね、、。ほら、可愛いですよねェ。お嬢様も猫お好きでしょう。でも、この家ではご病人がいらしたから、動物は家に入れないようにと云われてますもの。」
窓を見上げて栄子が声を上げて、細窓を開けた円子に向かって話している間もその猫は、ぴょんと2,3歩跳び上がって前足を上げたままで、栄子が見上げた方を一緒に見上げている。
可愛い。猫を見るのは久しぶりだ。円子は笑顔を作りながら猫と栄子の方に手をふった。
「猫さん、お名前は何かしら、どちらからいらしたのォ」と円子にしては始めての大声、といっても普通より少し声を大きくして猫に向かって云った。
-あまり遅くまで遊んでいたら、サエさんが心配するでしょう-
頭の中で、円子は思った。
え、今何て?サエさんの猫、、。そうだ、あの猫に良く似た猫をサエさんと云う人が子供のように可愛がっていた、、あれは、どこでだったのか。
私が側を通ると、いつも側まで寄ってきて、でも触ろうとすると、丸い目を私に向けたままピョンと跳びはねて、、それを見て、サエさんは笑ったんだった、、。
そうだ、私はそのサエさんと知り合いだったはず。
体に小さな震えが起き、体を窓辺から側の壁に預けなければ立っている事が出来ないほどの衝撃が円子の脳天を貫いた思いにかられた。
まだ外庭で見上げている栄子の視界から円子の姿が見えなくなっていた。

続く。

6/29/2009

円子の「そんなものかい」物語(8)


その(8)父親

医師の前に座って円子は目を思いっきり見開いていた。何も聞き逃すまい、早く事の次第が知りたいといった姿勢がその目に事を映し出そうとせんばかりである。
あまりにも急速に脳活動が始まって、記憶を引き出す妨げになっては困るという理由からか、医師の声はあくまでも柔らかで、ゆったりとした感じに、円子の方は医師の検診質問などはどうでも良いではないか、と焦った気持ちがあるためなのか、手の平に汗がジワッと出てきている。

一年半も私の記憶は頭脳の扉の中で怠慢にも休みを取っていたんだ、、。
何と云う事だ、まったく、何と云う事なの。
しかも、私がその夢うつつの中で、殺傷事件を起こしていたなどとは、、。
最初は私の病院カルテに書かれた名前で直ぐ、それが私の本名であると解った。あんなに嫌だった名前からスラスラと記憶の糸を引き出す事が出来たのだから、これからはこの名前を大事に扱う事にしよう。
でも、住所に書かれた所には全く覚えが無いし、本名は保志加円子(坂早満 長女)とある。これは私の実父の名なのか、はじめて知る名で、決して私の過去の記憶から消されたものでは無い気がするけれど、どうなんだろう。
私が竹べらのようなもので、或る男性を傷つけてしまったという。
その人の名を知らせてはもらえなかったので、私とどういう関係の人なのか又は、どのような事件だったのかは今も解らない。
正当防衛でもあったのかもしれない、結局のところは私の罪としては報告がなされていないらしい。
今日解った事はそれくらいだけれど、今後徐々に全てが記憶に戻ってくるに違いないとお医者様は優しく笑って言ってくれた。
でも、驚いた。鏡で自分の姿を見た時、丸い体型だと思っていた私なのに、筋肉が落ちたせいにしても、狸顔がキツネ顔に替わっていた。
私が記憶喪失状態でいる間に数人の知り合いが私を見舞ってくれたそうだ。
私に知り合いなんていたのですかと聞きついでに、今日もその一人の方が来ましたよね、母だと思うのですけれど、と言ってみた。
その時は看護婦が急に私の目の前までやって来てかがんだ姿勢で私の耳元でいった。「いいえ、貴女のお母様は一度もお見えになってませんよ。お父様だけです。」
え?私の父親?それこそ私の記憶には何にもない、父親?
そうなの、、まったく見当のつけようもない。母親というのは何となく懐かしさで思う気持ちがあるけれど、今までにそんな言葉を思った事があったのだろうか、、父親、、。

その後の病院生活での円子の記憶には、それほどの進展が無く、新たに思い出す事実もないまま医師との無用な問診が続けれる数週間が過ぎ、その間には誰の見舞いも受けず、又もや円子の心の中に得体のしれない不安感がつのりつつあった、そんな或る日の事である。
中年の女性が看護婦に連れられて円子の部屋に現われた。
「お嬢様、円子お嬢様。宜しゅうございました。これからはお父様とご一緒にお幸せにお暮らしになれますね。」とあわただしく大きなバックからハンカチをさがしあてて、目に溢れ出る涙を拭うのだった。
その様子をただ、何の感情も沸き立たないままにみつめる円子に看護婦が言う。
「こちら、お父様のお宅の家事お手伝いの栄子さんは、度々円子さんのお世話にもいらしたんですよ。それは覚えておられるでしょう、つい先月の事でしたもの。最期にこちらにいらしたのも。」

あァ、そうでしたか。それは失礼しました。でも、今の私には貴女が何方なのかは皆目見当がつきません。
でも、私をお嬢様なんて呼ぶ人など私の過去の人生にあったとは、どうしても考えがつきもしません。しかも、父親宅のお手伝いさんなんて、、、。
私はいつも独りでいたように思えてなりませんし、確かに名前は円子ですが、、あ、思い出しました。この名は確か、祖父が付けたものだと思うのです。私をすごく可愛がってくれた人だったと、、だったというのは、祖父はもう他界しているから、それは確かめようが無いのですが、母がそう私に言ったように記憶しています。でも、この病院では私は父親とこちらに来たといってますから、、私に父親もいるのでしょう。

円子はそう口に出して伝えたのか、実際はただ、そう心で思ったのかは彼女の中では、はっきりとしてはいなかった。
「お父様がもう少ししたら円子さんをお迎えにきます。良かったですね。今日からまた暫くはご自宅で養成なさいませ。お嬢様が帰っていらっしゃると思うと、もう私も嬉しくて、言葉もありませんですよ。しっかり私にお世話をおまかせ下さいませね。」と、またその栄子なる女性は円子の手を取らんばかりに嬉し涙にくれるのだった。
そして、何が何なのか頭の中は混乱したままも、円子はなるにまかせ、一時帰宅の書類を受け取り、身支度をしたのである。
鍵がかけられておらず、開け放されたままのドアの外から重々しく、少し引きずり気味の靴音が遠くから響いてきて、徐々にその足音が近ずいて、戸口に止まった。
あの初めて自分の名が解った時と同じように、円子の目は見開き、その戸口光の中に黒く陰を作って立つ人を見分けようとした。
嗚呼、黒いこの人影は私の父親という人物なのか、確かに初対面のようではない、目がその影を投じている姿と形を捉えただけで、かすかに円子の脳のどこかの小さな記憶の部分が、決して懐かしいというわけでもない何かを捕らえてうずく思いにかられたのであった。
「お父さん」と円子の口が音を出していた。


続く。

6/28/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(7)


その(7)誰か応えて

解らない。何もかもが。
筋立てて考えようとすればするほど、円子の頭の中の霧が濃くなっていくようで、その思考を妨げた。
どうやらここは病院らしい。今の時刻は朝らしいが、それは壁の時計でも解るし、外から差し込む太陽の光でもそれは解るのだけれど、一体何故私がこの部屋にいるのかが、そして何故洋服が棚に掛けれれているのかも、解らない。
しかもその私の着替えらしき洋服は、まるで覚えの無いものだし、サイズもちょっと細めだと云う事は、私以外の人の物なのかも知れない。
でも、何故、、。ここは個室らしいし、付き添いの人が居る訳でもない。
窓からの外の様子を伺っても、何も記憶に残るところは無い。
しかも部屋のドアには細長いアクリルらしい窓があるのみで、鍵が外から掛けられているのではないか。
これは私のいつもの悪夢の背景に類似している、監禁部屋の一室の様な感じではないのか。あのテーブルに置かれた数冊の雑誌と、上に乗せられた果物以外では淡いピンク色が夢の中の灰色と取って変わったという以外では確かに、あれと同じ部屋住まいだ。窓もお洒落風にかかったアイロンロッドだって、どんなに洒落てみたところで鉄格子の役目には変わりは無い。
しかし、何故私は今こうして、ここにいるのだろう。
病棟全体に埋めこめられているらしいスピーカーからクラシック音楽がかけられいるのが一時停止したかと思うと、「連絡事項…医師、201号室にお越し下さい。」とのアナウンスが掛かった。
病院・・医師・・サイズの合わない洋服・・雑誌と果物・・監禁状態・・と円子は口に出して言ってみた。そして、もう一度。
再び外の様子を覗いてみようと、顔を窓に向けた時、自分の体が細ってきている感じがあり、ふと体を見ようとして自分の長く伸びた髪が目に入った。
え、カツラでもない、この長い髪は私のもの?
ふと、自分の姿をチェックする必要性に駆られたが、鏡は部屋には何処にも見当たらなかった。
窓辺に立った円子の目にアイロンロッドの掛かった厚いアクリル窓の反射に自分の姿が映るかと期待したのだが、朝日がさす光の中では自分の姿は見えず、落胆を覚えた。「夜なら自分の姿がここに映り見る事が出来るに違いない」円子はそれを待つ事にした。「見知らぬ、あの洋服はやはり私の物だったのか、、。」円子は改めてその洋服に触ってみたのであった。
サラサラとしたその感覚と上等に縫い合わされたデザインから、それが絹の高級品である事が感じ取られた。側にはやはりその洋服に合わせた高級品らしき靴とハンドバックが置かれている。ハンドバックの中に何か自分の今の状態を判断する品が入っているのではないかと少し興奮を覚えたのだが、その中味は案に反して空であった。
ふと、防音を施されているその部屋ドアの向こうに何やら気配があるのが感じられ、ドアの細窓から廊下側を覗いてみると、一人の中年女性が身だしなみを崩して3,4人の看護人に囲まれて押し問答らしき状態で何かを騒ぎ立てている様子だ。
あの人もここの患者さんなのだろうか。でも私のように病院仕立ての簡易服じゃなくて、私服だから、面接来客なのかもしれない。でも、何であんなに喧嘩腰に騒ぎ立ててるのだろう。
と、急にその女性の顔が円子が覗いていた細窓に迫ったかと思うと、口を大きく開けて何かをわめきながらドアをたたいている様子が現われ、音はきこえないものの、その迫力にはすっかりおじけついてしまい後ずさりせずにいられなかった。
数秒もたたないうちのことであったろう。その女性はついに看護人達に引き戻されていったのだった。
円子は瞬時のその光景を恐ろしいものを見たようにおののきながらも、何かを思い出そうとしているのが自分の中に生まれているのに、気付いた。
あの女性の形相には確かに驚いたけれど、こうして思うと何故か懐かしみが湧き、それと似た顔つきを遠い昔にも同じのを見た事があるような気がした。
大きく開けられたその女性の口、、。何を言っていたのか。
あ、そうだ、あの口は、唇の形を造って、言ったに違いない。「マ・ル・コ、、マ・ル・コォ、、ア・ン・タ・ガ・ワ・ル・ク・ナ・イ。マ・ッテ・テ・ヨォ、、タ・ス・ケ・ル・・・ガ・・・・」後は解らない。
マルコって、誰?
私?あァ、そうか、あれ、私の名は何というのだろう。
先ほどの女性が言ったのは私の名なのだろうか。
その時が、自分の姿が変わっているのと、何故そこにいるのかが解らなかったのに加え、自分の名前さえ忘れてしまっているのに又新たな驚きと不安で一杯になって、心が押しつぶされんばかりの感覚を覚えた。

落ち着こう、深呼吸をして脳の活動を再始動しなくっちゃ。PCが壊れたと思ったときにも一度は再始動で様子を見ていたではないか。完全に壊れきった訳ではない。記憶が全部抹消してしまったはずはない。脳のプログラムを組み立て直せばいいだけなのかもしれないし。ちょっとのショートサーキットなのかもしれない。と云う事は、私は以前にコンピューター関係の仕事でもしていたのかしら。
情報を引き出すのは、難しくも無い気がするもの。
自分の名前も確かでない人間としてはまるでトンチンカンなウワゴトを言っている可能性も無きにしてあらず、でも、努力する価値には代わり無いものね。
円子はあつらえてあるテーブルの側の椅子に腰掛け、果物に手を伸ばして、ふと、それらの雑誌に目をやった。
その雑誌はどれほどの差があるのかは、今は解らないが、それは確かに円子にとっては見知る事がなかった未来であるはずの年数、月号が記されているのが見て取れ、そのれが彼女として捉えた初めての未知の空白である事に愕然としたのであった。
まるこ、マルコ、丸子、マル子、円子、まる子・と、、彼女は頭にその名を書いてみた。側にペンがあったのなら、紙に書き取って、目でも確かめたかったのだが、その部屋には書き物の用具は設置されていなかった。

今度はベッドに横になって考えた。すると頭の中で、幼い頃に名前の事で、虐めはやさされた事に悩まされた時期がある事に思い当たった。
そして、泣いて母親に言ったところで、取り合ってもらえなかった口惜しさも加えて、その時の見上げた目に映りかえった母親の顔が浮かんだ。
アッ!先ほどの女性は顔姿こそ年が往った感じではあるけれど、あの時私の目に見知った面影をもつ、私の実母ではなかったろうか。そうだ、確かに、一緒に住む期間も無かった、あの母親である。
円子の頭に浮かんだその思いは確信にちかかった。 そして、あの必死に髪を振り乱して私の名を呼んだ事が、以前にも一度、あったように思う。たった一度きりだけど。やはり、その時彼女は、ああして私の名前を呼び叫び、加え、「大丈夫よ、きっと全部が大丈夫。心配ないからね、円子。」と云った言葉が耳の中によみがえって来た。あれは、いつの頃だったか、、。
どうして、あまり私を育てる事に感心を寄せなかった母親が-確か、あまり親密感のない、そんなに切羽詰った事柄を話し合うような心が通った、仲の良い親子では無かったように思うのだが-今、一体また彼女がここに現われたのには、理由でもあったものなのだろうか。

知りたい。私は誰なのか。どうして、今、こうしているのか。
そして、昔の自分を、昔の人生がどんなものだったのか知る必要がある。
事故か、事件にでも巻き込まれたのなら、それなりにこの病院で治療完治を期待しているやも知れない。
何時、回診や治療往診時間なのだろう。
私がどうしたのか、私に何が起きているのか。誰か、早く来て、話してよっ!
これまでも、何度か入室者にアレコレ尋ねてみた気がするんだけど、誰も何とも応えてくれなかったでしょう。一体、如何したというのかしら。
昼食トレイらしきものを両腕に抱えた看護婦が、介護人係りらしい男性の鍵で開けたドアから入ってきた。
「私の名はまるこというのですね。どうして、私はここにいるのでしょう、教えて下さい」と看護婦がトレイをテーブルに乗せようとした時、興奮気味な口調で言葉を発した。
トレイを驚いてテーブルに音を立てて、落としながら、看護婦は円子の側に駆け寄った。ドアの介護人は驚いた様子で、廊下にたっているであろうか、医師に声をかけた。「先生、先生!患者さんが声を出しました!」「そうか。」
走り寄った医師達に「今、声を出したのは、貴方達の方でしょうが。私はいつでも声は出していますって。貴方達が聴こえていなかっただけじゃないですか」 円子の方が、戸惑う方であり、皆の視線を受けて、不思議に思うのみ、まるで、部屋の空気がその流れを止めてしまったかのような、瞬時の場面を感じた円子であった。


続く。

6/27/2009

円子の「こんなもんかい」物語 その(6)

その(6)記憶
庶務課で円子はタウン誌の設置場所記録、関係社名情報住所録、個人献金授与及び援助者登録書、そして社員住所録などの管理としての変更や新設、受け入れ情報をコンピューターに打ち込み、各課へ、そのコピーを配る事が主であった。
なるほど、それで香織が打ち込む書類以外でもアレコレと情報を仕入れる事が可能な訳であるのかと、納得がいく。
それにしても、香織さんったら机に向かって真剣に仕事をしているのは一日で1,2時間程しかないんだから。
それで私の方に書類がまわってくるのだから、まったく先輩としては情けない同僚といえるは。
先日だって一生懸命何かを読んでいると思って覗くと、週刊誌を読みあさっていたもの。私が覗いていると解って、目を上げて例の鼻の上に皺を寄せて「こういう形で情報を得る事は、これも仕事のうちの一つだから」と笑ってみせた。
どうせ映画スターのゴシップ記事にきまってる。その関係にはすごいミーハーで私よりも年上だというのに、週末にはその「追っかけ」に忙しいらしいし。
「今度円子さんも一緒にライブを見に行きましょうよ」なんて云ったけど、私はごめんだ。もっとも今までに人に誘われて何処かへ行ったなんて事の無い私にはちょとばかり心誘われて、「今度いつか、そうさせて下さい」なんて返答しちゃった。
こうして円子の生活は、以前に寮と大学の通学が平々凡々と送られていたのに代わって、今度はアパートの自宅とバス通勤に単に入れ替わったかのようになったと云うだけの生活に入ったようになっただけの感覚さえ覚える毎日となりつつあった。
“U安堵I街”-You & I Town又は、君と私が愛し心安い街-というちょっと洒落をもじったような社名のタウン情報誌社に入社して3ヶ月が過ぎようとしていた。街はそろそろ春の緊張感と興奮や又は花見気分の浮かれた時期から、今度は暑く、けだるい日々が続く夏気候に変わっていたが、円子の庶務課での仕事は相変わらずといったところで、入社の際に社主が言ってくれたように、そろそろ他の課でも仕事体験させてくれる時期なのではないかと心待ちにするようになったのは、毎日飽きもせずにアレコレとゴシップを聞かせる同僚の香織に対し少し、いや、実際のところは多いに壁々しているからでもあった。
左程の大きい会社でもなさそうなのに、あの日以来、トレーナーとしての松谷は時々顔を出して、「どうです、庶務課は。もう慣れましたか。ここが会社の始まりといっても過言ではないのですよ。こういうデーターを揃える所からこのタウン誌が生まれたのですから。」とか云って、円子の仕事振りを覗いては、ついでに香織と話し込んでいくといった感じで、他の課の人達とも何度か顔を合わせて挨拶程度の会話をしてきているのだが、社主の高田にはその後、一度だけエレベーターの前に立って書類を調べている姿を見かけたのみで、話を交わした事は無い。

徐々にまた円子の心の中に「何が人生の変わり目なものか。初めというものはいつも少々の緊張感があるにしたって、所詮は私のずーっと続いている人生ではないか。そんなに人生観が或る日ガラリとかわるなんて事があるはずがない。まあ、名前の事では何やかやといやな思いをする事はなくなったにせよ、そうそう感動的な人生が私の前に現れる事なんてないし。学生でも社会人になったにしても、同じ、私は私だし、、。こんなもんか、人生なんて」と円子は思いはじめていたのであった。
緊張感が無くなったのは勤務先の行動ばかりではなく、アパートの独り暮らしもそれなりに慣れてくると、学生寮での共同生活より同居学生達の目が無いだけに、もっと時間をもてあまし気味になってきた。
人間とは勝手な生き物で、あんなに人目を嫌って生きてきたそれまでの生活よりも、それを出て先の社会人生活をしてみると今度は、その時で、またもっと一人身の退屈さを感じるようになって来たのは、円子が世間並みの一般人間と同じ感情を持ち合わせていたのに気が付いたといえるのかもしれない
「そうさ、人生なんて、何も特別って事はないのよ。そこら、ここらに特別ってのが転がってりゃあ、私だってそれを拾って、今更遠くの山奥に住み込みの仕事で行ったりしないもの。あんたが円子と言う名前である事だけが、特別っていえば、特別なんだよ。いつか解る時が来るかもしれない。こんなものさ人生ってのはね。先の人生が誰にだって絶対に確かな事に向かって生きてるって云える人なんかいないでしょうよ。こんなもんかいと聞かれれば、こんなもんさと応えるほかない。」と母親が独り身支度をして、自分という娘を後に残して、あっさりと引っ越してしまった時に云った言葉がよみがえった。

あら、またあの子だ。歌を唄いながら、また何かを植えている、というか土いじりに忙しいのね今日も。
今日はそっと彼女の側まで行って見てみようかな。丁度お昼時でスーパーでスナックと飲み物も買って、つでに明日の食事仕度食料品もみて、、そうだ、洗顔クリームも少なくなってたのだわ。
何だか急に、気分がそれまでに無く、明るい気分の定休日である。

「マサカリかついで、、お馬の稽古、、これから鬼の退治に出かけるよ~、一緒に来ますか、来ませんか~~」彼女の丸い小さな後姿が唄っている。
あれ、古い童話を唄ってる。でも金太郎と桃太郎の話がごっちゃになってて、可笑しい。
足音を忍ばせたつもりでは無いのだが、すぐ後ろに立って「知ってるわよ、私もその歌」そして「ハイシドードー、ハイドードー」と続け様とした時、振り返ったその子の顔が恐怖を顔面に表して後ろ向きにペタンと尻餅状態になったかと思うと、すぐさま四つばいになってから、立ち上がりざまにどっと掛け逃げてしまった。
やれやれ、またもや驚かしてしまった。人見知りの激しい子だなァ。
スーパーの返りに、彼女がまたもどってたら飴かお菓子を買ってきて渡してあげようかしら。でも、それだと何だか犬か何かを手なずける手じゃないかと思われるかしらね。知らぬ子に愛想を取り繕うなんておよそ私らしくない行動だわ。円子は苦笑した。
あれ、それにしてもこの畑の野菜は結構育って、収穫の後らしいわね。あちらこちらの野菜らしきものが引き抜かれてしまった後の穴が開いているし。

スーパーから戻った円子にはあの女の子の姿がそこに無いのを知って、軽い落胆のような想いがあった。
「あら、貴女もスーパーでお買い物?私も今そこから戻ったところなの」とサクさんがエプロン姿で、笑っていた。
「近所の小さな女の子の名を知りたいって、それはどちらさんのお嬢ちゃんの事かしら。え?いつも畑で土いじりをして遊んでいる子?歌をよく唄っているって、、。私が預かった日もある女の子ねえ。さァて、どこのお嬢ちゃんかしら。ウチには猫がいるから、滅多に近所のお子さんを世話する事もないので。貴女が引っ越して直ぐの事?嫌だ、そのころは私はずっとここを留守にしてますよって各家庭に回覧板まわしたじゃないですか。猫達もお友達にあずけて、実家の病身の姉を看護に行ってね、大変だった話を戻ったこの間皆さんにお知らせしましたでしょう。」
ああ、そうでしたね。うっかりしていました。
どこかのご家族のお子さんのお友達か、親族がいらしていたのでしょう。私の勘違いですと円子はサクに返事を濁したのだが、その短い会話でも、すでに円子の頭の中は混乱しきっていた。
思うに、今の円子の頭の中は、このアパートに来て直ぐの記憶と会社の勤務の事は記憶にあるのみで、或る時間帯、或る期間での独りアパート生活の実態が空欄になってしまったかのような感じがあるのだ。 あァ、どうしたというのか。
一体、私はどうなってしまったものだろう、何故、急に思考が、こうもアヤフヤになってしまっているのかに大きなショックと不安が、えも知れない恐怖を生み出して円子に襲ってたかのようで、体が小刻みに震え、まだ日も高い時刻だというのに目の前に黒い幕が広がり、体中から冷たい汗が吹き出してきた。
「どうなさったの。気分でも悪いのかしら。大丈夫?しっかりなさいね。お部屋まで一緒に行きましょう。お医者様、呼びましょうか?」
サクの声が少しずつ遠のいて耳の中で小さなエコーのように響いている。
次の瞬間には、あの女の子の歌声が耳の中から響き出して唄った。「ハイシードードーハイドードー~~・マサカリかついで、鬼退治~~、行きましょう。付いて来ますか、来ませんか~~」
そして円子の頭の中には、はっきりとその小さな女の子の顔のイメージが大きく広がった。
その顔に見覚えがあった。 そうだ、この子を私は知っている。この子は、、、。
それを口に出す前に円子の記憶は薄れ去り、また闇の中へと落ちていくのであった。

続く。

6/22/2009

円子の「こんなものかい」物語 その(5)


その(5)名札

「保志加さん、保志かさん。松谷さんでも知らない事は私に聞いて下さいね。私、この会社のアレコレにはちょっとばかり、詳しいんです。あ、ごめんなさい。驚かせたみたいね。私、香織といいます。喜多波香織。え?えェ、喜多波京子の縁続きなんです。ハトコかな、良く解らないけれど、まァそんなところです。私は京子さんとは親しい仲の縁続者ではないんですけど、どうやらこの会社でコネで入れたのは私と貴女と云う事らしいですよ」
笑うと鼻の上に小さな皺を寄せるのが癖らしい。隣の机の椅子をズッと円子の机側に寄せて、他人の目を逃れる為なのか頭だけを後ろ向きにねじった不自然な姿勢で、香織が円子の右脇に声を掛けて来た。
母親を早く亡くして父親に育てられたが、土木関係に勤めている気性の荒い父親とは成長するにつけて折り合いが悪くなってきて、母方の伯母の世話で高校を卒業して直ぐに京子の会社においてもらう事になったという。
円子が入社してから特に言葉を交わした訳でもないこの香織という女性が、まるで旧知の仲のように話しかけてきたのには少なからず驚かされたのだが、無口で人の影に隠れたように生きてきた円子にとっては自分から進んでは持てるはずも無い話し相手が向こうからやってきてくれた事には歓迎する気持ちがあったである。
自分が知らない行動であっても、多分こういう会話はなりでは普通付き合いとして一般的になされているに違いない。しかし、あまりにも無防備というか、あっけらかんとしているというか、この人は誰にでもこうして話しかけていくのかな、聞きもしない自分の家庭事情なんかだって、まるで人事みたいにスラスラと話すなんて、私には到底真似の出来ない事だ、と円子は彼女を改めて観察の目を持って見つめてみた。
「先日の松谷さんが皆さんに紹介した時には言葉も交わしませんでしたが、私の名前を覚えていて下さったのですね」
「まァね。だって、それに貴女が今、胸につけている名札、先月私が係りに頼んで作ったんですもの。名前くらい先にしっていたわよ。」
「失礼しました。」円子が笑顔で応える。
「ま、そう硬い物言いは辞めにして、お友達として気軽にいきましょうよ。この社内は自由にあちこち回り歩けるのが運動不足を少しは補えると思って、先輩の私としてはお茶は自分で何度も足を運ぶ事がお奨めなの。」というなり香織はそのお茶を取りに休憩室に向かって席を立った。
名札をオーダーしてくれた香織が私の幼少時代の辛い思いなど何にも起こらなかったかのように、名前の事に関して特に聞いたり、言ったりしなかった事が円子には嬉しかった。
ただ、ある一つの点のみが頭に小さなひっかかりのように残っていて、先ほどの会話を頭で反復してみた。
私がこの会社入る事を知ったのはつい2週間前であったはずなのに、何故、香織は私の名札プレートを先月には既にオーダーするよう命じられたのだろう。
最初に来た時には友人の啓真が彼の叔父で社主の高田栄哉に合いに来るつでに一緒してくれて社主に直接紹介してくれたのだから、高田社主とは無論のこと、この会社に来たのは初めての経験で、社のどの人とも初対面の人達ばかりではなかったのか。
そうか、一週間前を言い間違えたのもしれない。事を大袈裟に話す癖が付いているのかも知れない。香織が戻ったら、聞いてみよう。
香織は休憩室からまだ戻らない。多分途中で他の人から何か仕事を依頼されたのか、又は、あの気軽さで、雑談でも興じているのだろう。
後ろからポンと肩を叩かれて振り向くと、香織がコーヒーカップを手にたっている。「あら、休憩室に一緒に行けばよかったかしら。コーヒーで良かったら、これ、どうぞ。まだ口をつけてませんし。」
休憩室に向かった香織の後ろ姿を見送ったままの円子を見て香織が笑って言う。
「休憩室の廊下はこの部屋の両方から行き来できるようになってるのよ。本当は後方からの方が近いけれど、途中松谷さんともちょっと話してみたかったから、わざと前を使ったの。それでね、松谷さんはあと30分ほど他の課に寄っているから、貴女には私と一緒にこのフロアーの書類の説明を受けて下さいって言ってました。」
松谷はどうやら庶務課に在籍していないらしい。
それで香織は時々松谷の回る各課ではどんな噂話が出ているのか知りたがったのだろうか、それとも彼自身に興味をもっているのかもしれない。
「香織さん、先ほど私の名札プレートをオーダーしてくださったと言いましたね。それは一週間前の事でしたか」
「プレートが何か?手落ちでもありました?違いますよ、ちゃんと一ヶ月前にオーダー提出しました。一週間前なんてことないでしょう。」
香織は円子の質問の意味を勘違いしたのか、少し気分を害した風に返答した。
「あっ、そうでしたね。一ヶ月前。とても手早く仕事を処理なさるんだなァと感心したので。」
円子は香織の不満顔が笑顔にまた戻るのを意識しながらそう言った。
本当は誰が発注願いをして来たのか、彼女の雇用をどのように聞かされているのかを知りたかったのだが、また彼女の詮索や勘違い問答が起きるのを避けたい円子はそれで一応話を終えてしまう事にした。
香織は一旦円子にコーヒーをオファーしたのを忘れて、少し目を細めては一口飲み込んでから、また円子の方に向かい、貴女の前の机の主はダレソレで、彼女の生い立ちは、、といったおよそ仕事とは関係のなさそうな社員の一人一人について説明を始めるのだった。


続く。

6/21/2009

円子の「こんなものかい」物語 その(4)


その(4)新入社員

「保志加君は結構真面目人間というか、あまり社交慣れをしてないというか、静かな性格だよね」と松谷が少し皮肉を込めて言うように何をさせても、「ハイ」とか「解りました」と云うばかりで、自分から進んであれこれと知りたがる様子の無い新入社員としては、もう既に壁の花化してしまったかのような円子の態度が物足りなく感じ始めていた松谷である。
「ね、京子先輩、どう思います?保志加君ってなにか意味あり人生を背負って生きてるんでしょうかね。妙に空気化してるふうで、存在感に薄いと思いませんか。」
「空気化?人にそんな表現は合ってないと思うけど。マっ君、それより彼女の新入歓迎欄にちゃんとインタビュー記事を載せられるのでしょうね」
「だから、それの事ですよ。新人紹介を書こうにも、彼女あまりにも無口で、笑顔でいても何だか得体が知れないというか、、。掴みどころが無くてですね、自信の記事に出来そうになくって、困ってるんです。何も聞かされていなかったのに、或る日急にですよ。-松谷君彼女を数ヶ月教育して、この会社の職種選択の適正を見出してみて下さい-と、云われたって、僕としてもちょっとどうしたら良いものか考えあぐねてもいるんですよ。今までに無かったですよね、こういう入社新人の訓練とか教育なんて始めての事じゃないですか。何だか自分の勤務がベビーシッターに格下げになった気分で、僕にしても大して得な立場に立たされたとも思えないし、先輩なら社主の思惑が何なのか知ってるかなとも思ったのですよ。」松谷は言っている言葉にしては大して気重そうな様子も無く、ある意味ではゴシップを探求してる他の女子社員と同じ軽々しさを見せて京子の考えを知りたがっている風な口ぶりである。
「何を君らしくも無い。質問に答えた事だけを自分でまとめてストーリーにしあげたらいいんじゃないの。別に嘘話を書くわけじゃないんだから。それにほんの数行の紹介記事でしょう、そのくらい巧く書けなくてはインタビュアーとしてはこの道で食べていけないわよ。」髪をポニーテルに結ってはいるが、なかなかの美貌には向いていない男勝りといった感じの喜多波京子が松谷を軽くあしらう口調をするのは、この会社では古参の立場であるからなのだろう。
確かに、あの新人は顔は笑っていても、宙をさ迷っていそうな風に動いている両目は決して笑ってはいないようだった。松谷が掴み所が無いといったのは、きっとその不自然さが云わせたものかもしれない。京子はそう思った。
京子は会社創立時からの社員であり、噂では社主高田栄哉の大学時代の同級生で、何かの文学系サークルの仲間でもあったところから、会社創立に当たっては資本以外での影のサポーターとして事実上の仕事のパートナーなのだと云われている。その彼女が何故庶務課に居るのかといえば、実際のところは彼女が各課を全体的に見回るからなのであって、事実上ではどの課に属している訳でもない。
今日とて、新入社員が高田の一存で採用されたとの話で、その様子を視察に顔を出しただけに過ぎない。
高田が京子に相談無しで新人を採用したのは今回が初めての事であり、その教育係の松谷から事情を聞こうと思っていたのが、反対に彼がその新人の採用には何のバックグランドをも聞かされていないと、思いあぐねて京子に助けを求めてきたのであった。
学生時代にやっとこぎつけてこの会社を起こした時はわずか数名の仲間が小さな机をぐるりと回り座って、頭を突きつけながらアレコレ討論をしつつ書き上げた薄っぺらで、中味も今ほど広い地区を対象にはしていなかった。
しかし、今はあの頃とは規模にかなりの変化がもたされ、小さなタウン誌発行社といっても、文科系のエリート下りとか、美術担当者には相当の芸術性を持った人間も集まってきていたので、ちょっとそこらの専門文学雑誌や週刊誌、料理本などを読むよりローカル性があるだけにもっと身近に感じられて面白いとこの数年では発行部数を増刊するほどに売り上げも毎年昇ってきている。
京子はこの会社を高田と共にやってきた事に満足するというより、彼女自身の生活そのものがこのタウン誌と云っても過言では無いと今は思っている。

ふと目を渡した京子の目にその新入社員を迎え待つ机の上に誰があしらったものか、今までに、例がなかった新入社員歓迎の意図らしい明るい花々が飾られているのが見えた。
しかしいったいあの新人の彼女は何者なのか、どうして私に知らせるのが遅れたのだろう。
今度は京子が怪しむ番であった。

続く。

円子の「こんなものかい」物語 その(3)


その(4)就職生活の始まり

紹介されたその会社は小規模だと聞いていたのだが、円子が頭の中で考えていたよりも、はるかに想像を上回る大きな建物の中にあり、上階ワンフロアーもの広い6部屋全室を各課で分けられており、一番小さい、といっても円子のアパートの自室よりも倍はあるだろうかと思われる広さを持つ一室に自動販売機やテーブルが置かれていて、座り心地の良さそうなソファーもある社員休憩室となっていた。
社員の憩いの場所もゆったりとしているからには、接客応対室はさぞかしのものだろうとまだ見ぬ室内を夢見心地で想像した円子である。
啓真の話ではそのビルの建物自体が啓真の叔父の物なのだという。
それが実際のところは、その叔父、啓真と父親を同じくする、高田栄哉の所持するところなのか、またはその母親の所有地であるのかは詳しくは知らない。
それより円子には、何故啓真が自分の腹違いの義兄を「叔父」と呼ぶのかが腑に落ちない。
しかし、それとて多分年の差からか、又は何か世間体を見積もっての事なのだろうと、そこのところを根掘り葉掘り細々と知る必要性も特にあるとも思えず、知ろうとも思わなかった。
そこに入社して雇用人として働くようになったところで、上司の家庭事情を把握しておくなどの私生活に立ち入るのは秘書に雇われる訳でも無い円子の職務とは到底考えられない、無用な事であろうと心して納得していた。

私生活は仕事には無関係だものね。私だってあれこれ私の事を詮索してもらいたくないもの。円子は思った。

「小さな広告紙で、この街のコミュニケーションの掲示板のような役目をしているんですよ。」と気軽に対応してくれた社主の-どうやら、この会社では社長とか編集長とか言わないらしい-高田栄哉は円子が考えていたよりずっと若くて、小柄ながら鋭い目付きを持った青年であった。
叔父さんなんていうから、もっと年上の人を想像したけれど、事実上は啓真さんのお兄さんに当たる人なんだもの、30代半ばでもおかしくは無いのよね。
円子は心の中で啓真の説明不足にわずかに不満を感じて、自分の勘違いを苦笑したのだった。
何の特技も経験も持たない円子を初めは庶務で走り使いのような係りでも構わないのなら、徐々に仕事に慣れてもらってから適正のある課へ配属される事になるだろう。雑務の毎日は辛く遣り甲斐が無いと感じるかもしれないけれど、それも修行だと思って頑張って下さい、と庶務課の上司がフレームが緩くなってずり落ちるのを防いでいる為か、左手で眼鏡の下部を支えながら、今後の円子の暫くの日課になるアレコレの説明を始めた。
「あ、松谷君。こちらに来て、保志加君のトレーニング期間の指導係りを願いますよ。」それまでは相手から聞かれた事柄だけを「はい。そうです。」とか「いいえ。」のみで応えてきたのだか、思考を言葉で表す事に不得手であると云う事が、返って口煩い女史とはちょっと違うところが目立ったものか、一応に快い方向に事は進んできている。

「松谷康成です。宜しくお願いします。」
え、どうして庶務課の指導者が男性なのかしら。普通、大抵の会社なら庶務課は女史が活躍してそうなのに。でも、いいか。私にはあれこれ云う権利も無ければ、 コネで採用してもらったのに、それをも巧くこなせないとなるとこの後は何もないんだもの。
「は、はい。こちらこそ。宜しくご指導お願い致します。」考えている事が表にでたのではないかと、慌てた円子の始めての社会人としての一声である。

ただ社内を紹介と入社の挨拶をする為に廻ったに過ぎないのだが、帰宅時の円子は頭の中が新しく見知った事柄や人の顔やでグルグルと廻り動いているような錯覚感さえ覚えるほどに体中のエネルギーを消耗してしまい、ベッドに倒れんばかりに体を横たえた。
この一週間の間に何と自分の生活が一変した事か、平々凡々にそこそこ、寮と学校の行き来での生活とは天と地の差ほどの変化の毎日であった。
当たり前の事ではあるのだか、廻りの全てが新しい事、始めて見知る事ばかりであった。「大丈夫なのかしら私、」と声を出して自分に問うてみた。
自問自答にはなれていたはずの円子は今回はただ自分の声が聞こえただけで、答が戻ってくるはずも無く、自分の人生路を戸惑っている間も無い中で、周りが勝手に円子の背を押していくに身を任せるままの流れの中にいるだけのような自分がおり、これもまた別の意味で他人任せで消極的な自分を意識せずにはいられないのであった。「もっと、しっかりしなければ、、。でも何を、どうすればしっかり者になれるというのかな、、。」所詮、三つ子の魂百までもというではないか。自分の消極的、排他的性格を今更どれほど変える事が出来るというものか。
新住居や就職も決まって一番浮かれてても良いはずのこの時を、円子はまたもや不安感にさいなませれていたのであった。
重い気を振りきるようにベッドから降り、少し遅くなってしまったが、軽く何かを作って夕食を済ませてしまおうと台所に立った時、閉まっている窓のカーテンの外で子供の声が聞こえたような気がした。
隣りか、向かいの棟の家族が窓を開け放したままでテレビでも見ているのだろう。
家族団らんの笑い声がまた高くあがり、子供の笑い声を打ち消してしまったようだ。
家族団らんか、、。今の私には無縁の生活だな。円子はその時、幼い頃に祖父母とテレビを一緒に観て笑った日々を思い出して少しばかりセンチメンタルな気分になったのであった。
あら、また子供が笑ってる。何がそんなに楽しいのかな。いや、笑うという行為だけで充分楽しくなってしまう事もあるから、笑って楽しんでいるのじゃないかな。多分。意味も無く笑ってしまう時もある。
でも、私は笑うような気分ではないのよ今は。
そんな事はどうでも良い事だ。
今日は早く寝て、また明日から何を頑張れば良いのか解らない「ソレ」を頑張らなくっちゃあ。ソレって、、何だ。ま、兎に角、頑張る事には「アレ」も「ソレ」も関係ない。兎に角生きるという事全体の事だろう。
何だか訳の解らない納得付けをしてしまった円子の耳に子供の笑い声がまだ聞こえていた。


続く。

6/13/2009

円子の「こんなものかい」物語 その(2)


その(2)向かいの女の子

保志加円子の人生として、ある意味に区切りが出来たと感ずる様な次の人生生活の幕開けである。

古ぼけた2連きりで各部屋が同じ間取りらしい、6畳一間にダイニングキチンの間らしい空間と、押入れらしい小さな収納棚が取り付けられている、その小さなアパートの一部屋が円子にとっては学生寮よりも独りで居られるだけに、心地良い自分の城としては充分満足できる住まいとなった。
狭くて細長い花畑と、誰かがつくっているのだろう野菜畑といえるかどうかわからないくらいの植物が2,3本の筋の中央に何やら新芽が伸び生えてきている。その向かいには背合わせになったアパートの連が建っていて、家族らしい人影がその窓からもカーテン越しに見え隠れしていた。
2階建てでは在るが、建物が古いので何となく昔の映画に出てきそうな、長屋を思わせるところも、今までの自分のあり方からも、派手に社会にデビューをかざしている事を大袈裟に発表しているかのような無理を感ぜずにいられるのが、円子にはぴったりの住まいだと一人安堵してもいたのである。
やはりちょっとは可愛くした方がいいかと手作りでHOSHIKAと水色の油性ペンで書いたネームタグをドアの外に掛けると、なかなかそれらしい女の城といった感じが増したように思えた。
そうだ、キチン窓と居間の窓にも同じ色で明るい色のカーテンをしよう。
円子は寮生活での共同作業にはウンザリしていたのだが、今度はただ自分ひとりのために、自分がストーリーのヒロインになった気分を味わえる事をこの時、はじめて物を考え作り出すと云う事が自分の為であるのを何より嬉しく思えたのであった。

あら、あの子何を植えているのかな。
明るい色にしたカーテンの合間から女の子、年の頃5-6才だろうか、小さな背を丸めてアイスの食べ残りの様なステックで土を掘り返しては何かを埋め込んでいる姿が見えている。
窓まで近ずいてそっと様子をみると、その子は楽しそうに小声で歌を唄いながら土いじりに満足げな笑みを浮かべているのが見て取れた。
その姿をみていると円子までが何やら愉快な気分になってきて、今までの人生で必要に駆られての場合以外では自分から人に声を掛けるなぞとは思いも寄らなかった彼女もつい声を掛けてみたくなり、「ネェ、何を植えてるのかなァ。大きく咲くといいね」と手を振ってみた。
その子は誰も見ていないと思っていたのだろう、ちょっとギョッと驚いた風に立ち上がり、声のする方に目を追いやったが、くるりと小さ後ろ姿を見せたかと思うと小走りに建物のかげに隠れてしまった。
なァんだ。愛想がない。でも私の小さな頃と同じだ、無理ないか。
そんな事より、これから職探しをしなくては、、。
身寄りも知り合いも無い私だから、まず、前のアルバイト先の先輩に情報を提供してもらって、その足でハローワークにも登録しておかねばっと。
コンビニで買ったおにぎりを頬張りながら身支度にかかった。
髪を束ねている円子の目に窓越しのカーテンの隙間から、あの逃げ去った女の子がまた畑の隅にしゃがんで小さな手で同じ場所を掘り返している姿が見えたが、もう円子には声を掛ける気も薄れており、何の興味も無くなっていた。

「お出掛けですか、いってらっしゃい。」
階下に降りなしに、円子の入居を快く受け入れてくれたあの大家さんが声をかけてきた。
大家のオバサンの名は大塚サエと云う。
サエさんはご主人が若くして事故死したとかで二人の中には子供に恵まれず、現在は3匹の猫の世話をするのみだと云い、私の祖父母の事故死の話を聞く時には涙して私に同情を寄せてくれたのであった。
円子のアパートの前の連の端下がサエの事務所で、どの人もその事務所前を通らなければ外道に出る事が出来ない造りになっている。
「はい、行って参ります」と応えた円子だが、サエの後ろに先ほどまで庭畑で土いじりをしていた女の子が顔を覗かせているのに、少し戸惑って口ごもってしまったようだ。
何なのだろう、この子。サエさんの身内なのかしら。サエさんは一人身になっても猫が子供代わりの様なもので、淋しくは無いと笑っていたけれど。
その様な思いが円子の気をかすめたけれど、アパートを出ると程遠くないバス亭に付く頃までにはそんな考えもどこかに消えて、就職の心構えや、本で読み知った対人会話方とかの考えで頭は一杯になったのであった。
15分も待たぬうちにバスが来て、乗り込んだ円子は後方席まで行き、前方に空席があるにも関わらず、つい昔の人から裂ける癖でそのまま空席を見やって後方席に座ろうとした時、あの女の子が小さな手を振っているのが見えた。
え、私の後を一緒について歩いてきてたのかしら。
私が声を掛けた時には逃げたのに、今は私の後をつけてるみたいに。何故。変な子だ。
バスが動いてその小さな姿がだんだん遠のいていっても、その子は点になるほどの位置でもそこを動かずにいたのが見て取れ、見知らぬ、名前も知らないその女の子が、自分の記憶の中の遊びに出かける時の母親を見送る自分を見ているような不思議な錯覚感を覚えたのであった。

ハローワークでの面談は、それまでの円子の半人生が反社会性人格として更に恥の上乗せをしたような会話の進み具合で、どこにも噛み合わせが見つからないままのチグハグとしたものであり、回りの溌剌とした若者達を見ても、いや、ずっと年上の人達にさえ比べてさえ、自分が他の誰よりも就職適正人間としては失格ではないかと思わせる結果をもたらせたようだ。
これなら、先に先輩の所へ向かうんだったと、円子は後悔していたが、先輩の所での朗報に多いに心が弾み、ハローワークでの面談の落胆も吹き飛んでしまっていた。
アルバイト先の先輩といってもこの彼、実は何処かの代議士か、富豪の愛人の子として生まれた事を呪っている輩で、その母親、篠(しの)の故郷が円子の母親、可憐と同じとかで昔の母親同士は遊び仲間だったらしい。
円子も先輩の野口啓真(けいま)も母親をそうも信用している訳ではない事と父親との交流が無いと言う点に於いても共通しており、お互いが特別意識無く心が癒される相手として兄弟愛のようなものを持っていた。
「あのさ、ここに久しぶりに来た訳。マルちゃんが来るよって篠が云うからさァ。」と啓真は母親の名を呼び捨てにしている。
「叔父さんの所で雇ってもらいなよ。叔父さんといっても、篠の旦那の弟らしいけど、この叔父さんにしても母親が旦那の奥さんじゃないんだよ。つまり俺等と同じ立場かなァ。いや、違うな、だってこの叔父さんはすッげー母親思いでさァ。ま、行くと解るけど、さばけたいい人だってこと。タウン誌創る会社始めてさァ、金もそこそこあって、俺にもこずかいくれるんだぜ。母親の店の手伝いするのが嫌なら、辞めなよってさ。で、俺はマルちゃんみたいに大学に真面目に行って卒業できなかったから、未だバンドやりながら他の店の厨房を手伝ってんだよ今。オヤジ繋がりでTVに出演させてやるなんてオファーがあったけれど、蹴ったよ。損したかなァ」と云う。
啓真が近くバンドコンサートを開くから必ず来いよとチケットを4枚もくれた。
本当は4枚ももらっても友達がいるでもない円子には使いようが無いかもしれないとおもいながらも、叔父さんの所へは一緒に掛け合いに行ってくれると云う彼の思いやりに多いに感謝をするとともに、そのラッキーな展開に心弾んだ円子の職探しの一日が終わろうとしていたのである。
他へ廻るから乗せていくよとの啓真の好意に甘えて車で送ってもらった円子が、サエの事務所の前を通りかかって、サエの姿が窓越しに見えたら笑顔で挨拶をしようと見ると、サエは見当たらず、そのまま通り過ぎようとした円子はサエの窓カーテン端に黒い陰が見えて一瞬、猫の一匹がそこにいるのかと思い、良く目を凝らして見ると、その陰が小さな、あの女の子で、そして彼女の口元が少しはにかんだようにニッと笑ったのであった。
困惑しながらも円子も少し笑い顔を返してそこを通り過ぎたのであった。
部屋に戻った円子は空腹である事も忘れて、ベットに横になって今日の一日のあれこれを思った。
それにしても本当に、あの子は誰なのかしら。変な子。


続く

6/08/2009

円子の「こんなものかい」物語


円子の「こんなものかい」物語
昔、随分昔になりましたが、自作の連載小説を記したノートを発見しました。
また読んで見て、さて、この話はどんな理由から書いたものかとあらためて考えていますが、その状況はちょっと不明であります。


これは或る一人の女性のちょっと振り返り生活日誌と云いましょうか、この物語はこのように誰もが少なからずそれに似た体験をしたか、または回りにそういった人間がいるのを知っているとかの、極々単純な生活感日誌と云えます。
ここに語る主人公は、ストーリー的には主人公であっても、日常での人生生活を基準とするなら、いつも脇役として、否、エキストラ的背景の一部として人生を通行人の様な役割をしているいる様な女性です。
どんな人間でも、廻りからは忘れられた人間でさえも、その一個人にスポットを当てた場合、俄かに脇役が主人公に早変わりするのが世の慣わしなのです。言い換えると、どの様に影として生きている人でも全体の世を構成する一つ一つのストーリの主人公に成り得るとの例題のようなものでしょうか。

その(1)
円子は時々思うのだ。
何故なんだ。何故私の名前は円子(まるこ)なのだ、よりによって。
せめてマリコとか蘭子とか、マリリンとかもっと格好いい名前を思いつかなかったものかと恨めしくてならない。
幼い頃はその字読みから「ヤーイ、えんこ、お前の名前は臭いぞー。えんこ、えんこ~。口惜しかったらエーン、エーンこと泣いてみな~」とウンコ呼ばわりされて口惜しい思いをして泣いたものだ。
泣いて母親に訴えると、「いい名じゃないか。お金が沢山入ってくるようにってじいちゃんが考えたのさ。それこそ、じいちゃんの時代からして銭子でなくてよかったとおもわなきゃァ」と繰り返す。
名前と姿が女優気取りの母親の言葉にはどう慰めくれてもそれほどの説得力がななかった。
自分はモダンなばあちゃんがつけた可憐(かれん)というアメリカ人にだって通用しそうな名前だから私の名前に対する口惜しさなんて解るはずがないのだ。
でも、母親が自分の名を活かしてスナックを経営するにあたっては「私の名は将来そういう事もあろうかと、選んでくれたのよ」と云い、それなら、お金が全てじゃないって云ったのもじいちゃんじゃなかったのかと私が反発すると、「だから、円は園でもあり、宴でもあって要するに縁起が良いのよっ」とその場限りの取ってつけたようないい加減な説明を真顔で云ったりする。
私にすれば生涯付きまとうこの名前、せめて苗字が違えばもっと違う人生が待っていたような気もするのだが、この苗字も劣らず負けずで、私の悩みを更に合う方向に向かわせたのも確かなんだ。
苗字が保志加なんだもの。ほしかまるこ、この苗字でも中学生の頃はホシイカだとか、「欲しか貯まるコ」だとか、「惜しかったまXこ」、とかはやされて散々な目にあっている。
名前のせいが多いに影響して私はなるだけ目立たないよう、影にかくれるように生きる癖ができてしまっていたので、最寄の公立校、そして短大に進学してからも、青春を謳歌すべきその時代を、いつからか誰からも忘れ去られ、取り残されたような存在感ゼロの学生生活を送ったものだが、それはそれで名前の事でとりたてて騒がれる事無きを得たのに密かに喜んでもいた。
他の集まってはキャーキャーと意味の無い奇声を上げてはオーバーなリアクションで人気を集めている女史等とは無関係で、会話を共にする友人と呼べる人間もおらず、いつも一人浮いているような存在で、いや、存在感というものも無かったから、影のようなとでも云うべき私は周りと距離を持ち、そして回りの人間達は私という一個人を無視するといった生活でこの時まで暮らしてきたのである。

短大時代の寮生活では回りの学生達が仕送りとアルバイト分の資金を充分にコンサートだ、デートだと忙しく、そして楽しそうに生活している中でも円子は一人部屋でその大半を暮らし、外出といえば、登校通学と下校時に近くの本屋で数時間を過ごすといっただけで、母親からの仕送りは殆ど手元に残っていた
そんな彼女であるから、単に通学して単位を取り、一応の学生生活が過ぎたその後に社会も彼女自身にも将来を期待すべくものも無く、世間に出て、自活生活をいかにしたらよいものかも考える事なくきてしまったのであった。
短大卒業間間近になった年の明けに、母親と自分の卒業後の生活を相談しようかと考えて実家へ戻った彼女の目に、店じまいをして引越しの仕度に忙しい母親の疲れ顔があった。
その頃には商店街のバス旅行に出かけた爺ちゃんとモダン婆ちゃんが旅行中のバス墜落事故であっけなく世を去った後に、外遊びを続けていた母親の可憐がそのスナックを引き続き受け継いでみたのだが、商才の無い母親の事、直ぐに生活に窮する状態となっていたのであった。
もの心付く頃から円子の家族といえば母親の頑固な父親、当の円子と名つけた本人がサラリーマン時代の退職金で経営を始めた小さなスナックで、生まれながらにそのスナックでママ役をしていたみたいに、明るくてモダンな婆ちゃんが「営業上にさしつかえるから、私をママと呼びなさいね」と、まだ若くて、たまにこずかいをせびりに戻っては、またちゃらちゃらと出かけてゆく円子の母親の事を「カレンちゃん」と呼ばせていて、実際に円子を育ててくれたのは、その二人の祖父母に他ならず、父親というものの影さえも知らず、誰もがこれが普通家庭生活であるがごときの暮らしに円子自身も父親の存在をあまり考えた事もなかった。

もともと事業などには不向きな母親は、そのちっぽけなスナックもとうに客足が耐えて閑古鳥が鳴いていたのがそのきちんと整頓されていない店内の様子にも見て取れ、短大を卒業する円子への仕送りも、やっと借金を重ねてしていたと言う。
少しはその予想はしていたものも、やはりその訪ねた日に急に切り出されては叶わないと驚いて立ちすくむ円子に、母親は精一杯の明るい笑顔で「アンタも一人前にたったことだし、私の責任はここまででということで、ね。」
別れる愛人に手切れ金を渡すかのように封筒に入った数枚かの札を円子の手に握らせて「移り住む場所の住所がはっきりしたら、千葉のオバちゃんの所に連絡しておくから、アンタも新しい住む所が決まったらオバちゃんに連絡して、私の方の連絡先も聞いておくれよね。」との言葉を残して、母親は他県山奥の温泉旅館の下働きとして移り住んでしまった。
なんだか気抜けするあっけらかんとした母親の態度に円子は彼女の幼少時代の母親の姿がよみがえっていた。
少しのお金とお菓子袋を握らせて、「じゃ、またね。爺ちゃんと婆ちゃんの云う事を聞いて、いい子でいるんだよ。また直ぐ戻ってくるからね。」と言った頃の母親の姿である。

当座の生活費は寮生活時代の蓄えのお陰でなんとか賄えそうだが、どんなに小さなアパートにしても数ヶ月の家賃にしかならない。
まずは職探しでもして手っ取り早くきめなくては、、。
自分の人生の半分、いやまだ4分の1なのかも知れなかった過去の生活が名前のせいで将来のハードルを高くしてしまった、と円子は自分の名前のせいにすることで努力責任などとは程遠い排他的生活をしていた事をも自認せずして、前に立ちはだかる将来を恨めしく思うばかりであった。
そして、この時が彼女にとって始めて自分の置かれた立場を真剣に将来の先行きを、社会人として世に交えなくてはならない事を思うと、それまでが自分の存在を無くして生きてきただけに、自分をどうやったら世間に自分という人間がいる事を知らすべく行動を起こしていけばいいのかと思うだけで胸が苦しくなり、前途霧中に呆然となったのであった。
こうして円子の社会人としての幕開けであり、保志加円子が一個人としてスポットを浴びて生きていかねばならないと感じた初めての日でもあった。
タウン誌を見てまず小さなアパートを探した。
数々或る中で人の良さそうなオーナーのオバサンが「あら、何だかお目出度い気にさせられる良いお名前ねェ」と云ったのが自分を認めてくれる心温かい社会人として映り、円子が名前の事で誉められた始めての経験に何だか心が満たされる思いがして、そのアパートを住むところと決めた円子の独り生活が始まろうとしていた。
さて、その次はと。職探しもしなければならないが、前のアルバイト先でも取りあえず掛け合ってみておかねば。
円子は自分の名前のコンプレックスなどは頭のほんの一部に押しやった思いで人生に勝ったような気分に少しばかり酔っていたのであった。

続く。

4/25/2009

私的心と体の天気図 その報告1


ある一時期私はかなりの両手の痺れに悩まされていました。
朝起床時には、冷たい感覚があり両手が痺れ、掌の開閉運動も思いのままとはいかず、冷凍食品でもお湯で戻すがごとく毎朝の解凍時間を必要としていたのです。
血のめぐりが悪い事や、一定悪姿勢を持続してのPC作業や、運動不足や、持病のアレルギー体質やら、それは沢山の原因があるのでしょうが、自力で何やらと原因を突き止めて回復は望めない事かと色々トライして今日に到るのです。
心臓には欠陥が無い事が先日の診療で確認され、医療機関での検査はあと神経科に行って診察をうけるのみとなりました。
主治医からは「加齢と共にB12が減少します。毎日B12を補給して下さい。試して自分にあっていると思ったら、サプリメントを利用したり、ヴィタミンの調整をして見て下さい。そして一週間で、少しでも良い変化を認めたら私にもその都度報告して下さい」との事でした。
幸い勤め先がドラッグストアで、サプリやヴィタミン剤は各種揃っていて売るほどある。(当たり前だ)
販売人気も見合わせて、何種類かのサプリメントを試してみた結果私的健康方の概要のような物ができあがりつつあります。

まず、キトサンやカルシウム不足を補給しようとFish Oilの錠剤を試したのですが、これは私の魚介類アレルギー症状をもたらす結果となり辞めることに。
代わりにキャラメルの感覚で口に美味しいカルシウム飴を(DとKも一緒に配合されている)これは甘党の私にはおやつ代わりにぴったりです。

ニンニクはなるべく家で料理して頂く様にしていたのが、買い物嫌いの私は直ぐに切らしてしまうので、これも無臭錠剤のを毎日摂取する事にした。
無臭といっても飲む時にはやはり強い匂いがあるのだが、これが体の中ではどのように活躍するものか排出物に大きな違いが出、汚物臭処理をしてくれるのがちょっとばかり洒落ている。(違うか)

各種木の実をおやつとして食していた私だが、この不景気に食品値上げが大幅で、木の実を購入するのが少なくなった。今はたまに錠剤嫌いな子供達に為に購入するくらいで、私はサプリを利用する事に。
ブルーベリーの錠剤は飲み始めて直ぐに効果が見え(目ですから直ぐに見えた?)メガネの度合がちょっとボケてきた。
コンタクトのモノで(左目を老眼視、聴き右目は遠力用)以前はちょっと調整に手間取った感があったのですが、今や小さな字が良く見えて、回りの若者達から「これ、見えないんだけれど、なんて書いてある~?」なんて質問も回答OK。

問題のB12については即座の有効性が見えずに取ったり、取らなかったりしていたのが大きな間違いだと最近気付く事件がありました。
長く駐在員として来られ、今は退職してご家族共にこちらに住まわれている薬局常連日本人のお客様に暫く振りに対面した時の事。
「B12の不足病で顔面麻痺になったのです」との驚きの発言です。見ると、顔左半面の表情が無く右半分の唇が笑って話を続けます。
何の痛みも無く、ある朝起きたらそうなっていたそうで、これは心臓病の特徴とは別の麻痺だとすぐ主治医にも判断で来たのだそうです
ヴィタミン剤補給するには錠剤では受け付けない体型になってしまったらしく、注射で血管に直接摂取する事で数ヶ月で回復をみるだろうとの主治医のお話なのだそうです。
家に帰ってネット辞書ウィキペデイァでB12不足病を調べると、これがとても怖い。舌や手や体の痺れや麻痺がおきるのですね、B12が体内に減少すると。
私の両手の痺れはこれとはちょっと違うようですが、合併症状があってもおかしくは無い、と俄かに慌てた私です。
先日テストの結果で心臓病の心配は無いと言われたばかりに、尚の事、痺れが脳細胞欠陥から来るものだとしたら、B12は重要役割を持っているに違いない。
真面目に毎日B12を摂取する事にしましょうっと。反省。

仕事場ではエネルギッシュに動く私ですが、周りは私がもしかしてやはり年令相応の健康問題を抱えているのが見て取れるようになったのかもしれません。
最近ちょっと不満顔が表に表れ、そして言葉にも棘のように出てきているのが自分でも感じています。
それが先週の支店長の私への誤り言葉「貴方の健康状態を考えずに仕事を押し付ける事になった事は申し分けないと思っています」に繋がってるのでしょうね。
この年になっても未だなかなか人生終業の薬は見つけていない私です。

私の夕食献立に好き嫌いをあらわにする子供達の栄養補給はせめて果物や野菜のおやつをふやしたり、最近は飴がわりに美味しいビタミンCを棚の上に置いてあり、彼等が毎日それを取っているのを確認したりしています。
子供から移る風邪が私達夫婦にとっては一番恐れるところでもあるわけです。
何せ彼等は日頃からエネルギーに満ちていて、その元の風邪の種までが強力なわけで、一日、2日でケロリと直る彼等を見ながら何週間もダウンの年寄りの私達夫婦がいるわけで「あ~、老いるという事はこういう事でもはっきりしてるね」と精神的にもまた年を増す結果となるわけであります。(うん、そうだと思い当たる人が大勢いるかも。)

4/05/2009

I am a Japanese


**「やー、おめでとう!」と接客から声をかけられて「え?何がおめでとうなんでしたっけ?」と応える私に笑顔のキューバ人(だと思う)が云う。
「ほら、WBC。日本チームがすごかったねェ。とても良い試合を見せてもらって皆とても喜んでいるところさ。」
私の名札を見ると殆どの来客が「貴方は何人ですか」と問われる。
こちら米東海岸南部はニューヨーク近辺とは違い、日本人が少ないようで、私個人では沢山の日本人と出会っているのですが、他国の人達には少し珍しがられる日常です。戦時中に日本にマッカーサーなどと連れ立って行った事があるとその老人が戦争の悲惨さを言えずに、「私は最新興国日本という国にとても尊敬の念を持っています。」と戦後生まれの私に握手を求めたりする。
しかし、なかにはこの地に住むフィリピン人の一家族がつい最近にも「日本人は悪党だ」と私の側で耳打ちしたのが忘れられない。
我が孫達の学友からも仲間意識を壊された事もあるのが、人種問題というものがいかに歴史上に根強く実生活にも及んでいるのが伺えます。
私がこの地に住んで、自分を日本人と意識しないで生活する事は在米40年経てさえ無理な事であり、それは人間の本能的な感覚であると思っています。
将来は世界中の人間が何人種と言う枠は無く、何処が生地である事がその基点本能となるのでしょう。
今、私の孫達は「自分はアメリカ人」だと言います。
そしてこの地の各家庭では「アメリカ人だけれども、その基盤人種は、XXXX」と伝えていくのですがもう先何年かには実際のルーツなどごちゃごちゃになってしまうのです。
私の夫のルーツがダッチ、スコッチ、そして、、もう当に解りません。
こういうと、何故か私自身がはっきり云えるのが、誇らしい気がする「私は日本人」です。**


** 私は内心の怒りを抑え平然と会話を進めていた。いや、実際のところは私の言葉の端々にとげとげしい響きを放っているのは相手にも充分伝わっていたに違いない。
何十年もの知り合いである友人との電話での会話であった。
彼との会話の後味の悪さは何なのか、私には充分理解し得ない物なのだが、それは陰のエネルギーというものをいつも体に感じ取るところとなり、いつの日からか彼との連絡情報交換を避けるところとなりつつあったのだ。
根本的に思想感や生活感もにズレが生じているのをお互いに知りながらも、ただ古い義巳としての付き合いであり、この国を出生地としていない事と自国語で話せる気安さという助けだけが私達の双方に理解者としての仲間意識と勘違いさせていたのだと今私は感じていた。
『どうして同胞なのに、こんな簡単で心理的な事に共感をしてもらえないのだろう』と彼の私を攻める声質がその会話にはいつも聞いて取れた。
そして、それは私が和の精神を忘れ、この他国の人間の一人になったと彼の言葉の中には秘められていると少なからず思われた。**

私は日本人です。私は主婦です。しかも還暦を過ぎた今もって、子育て中です。私は雇用者です。私は芸術を愛し、美術を愛し、私は夢想家です。
私は時には哲学者にもなります。
時には嬉々として事をかたずけ、そして多くの難事に低迷落胆します。
極、それは極普通の一般人だと私は自分を思います。
私は日本人です。日本で生活した時期より倍以上に在米生活の方が永くなった今でも日本の言葉で物を考えそれを言葉で表します。
今もいつの時も、この世を離れるその時までも日本に懐かしい想いを馳せます。
アメリカ人の夫とアメリカ生まれの息子を愛し、その息子の3人の孫の母親代わりです。
僅かな雀の涙程の給金を貰っているパートではきっちりと仕事をこなします。
律儀だと、馬鹿正直だと言われ、時には仕事が体力的にはキツイと愚痴もこぼします。
しかし、今の現状を誰に何と云われても、それは変わりようの無い事実であり、私という人間の基盤なのです。
日本にいる私の義姉が「貴女は昔から何かとてもドライというか、西洋式というか二人の兄を兄弟にもったせいなのか男の子のような考え方をする人だと家族の皆が言っていたのだけれど、アメリカ人になった今を知ると、こちらにいる日本女性とは違って、それから比べると古い日本人のようなところがあるわね。」と言った事があります。
この多種民族の集まりである、しかもより保守的な米東海岸南部に住む日本人というのは私とその生活環境やその個々の体験が異なっていても、多かれ少なかれ皆が私と似たような極普通一般的な和の精神を忘れて生活をしているわけではないのだと私は思っています。
人を指して『私の意に反して、貴方はそういう人だったのですか』と簡単に判断するのはある意味で軽率極まりない事だと自分に戒めるようにせねばなりません。
どの人種と、どの会話に於いてもこの世界に陽エネルギーを発する自分でいたいものだと今改めて思う日本人の私です。

3/22/2009

ごめんね、もう大丈夫だよ


先日の勤務先の出来事です。
年の頃10才と12才の2人の男の子を連れた母親が店後方にある薬局から投薬を受けて正面戸口にさしかかった時、突然その弟の子供が立ちすくみ悲鳴をあげました。
目を大きく開け、恐怖を満面に浮かべ、「キャーッ、怖いよ~!食べられちゃうよ!!助けて!!怖いよー!!」と叫び続けます。
戸口を出ようとしたその母親と兄はすぐさまその子の体を支えながら、「大丈夫、大丈夫だから帰ろうね」とさとして無理やりにでも外へ向かおうと必死です。
「怖いよ~~、助けて!蜘蛛が沢山いるんだ!僕を食べに来るよ!!キャーッ!!!!」とその男の子は叫び続けます。
そのすさましい程の叫び声に店内の皆の目がその男の子に注がれています。
男の子の外見は一見何処にでもいる何の変わりの無い、10才の腕白坊や風で、そこに立ちすくみ大声を上げているのが単に甘えん坊さんが玩具でも買ってもらえなかったのを地団駄踏んでごねていると人々の目にはうつったはずです。
母親はさして慌てる風でもなく、兄に弟の正面に注目を集めるように支持し、彼女はその子の後ろに回って両脇を抱き上げる格好で体全体を押して歩かせようとしています。
「キャーーッ!!押さないでッ!!助けてッ!!怖いよー、蜘蛛が来るよーッ!!!」と男の子は尚も叫び続けて戸口に向かうのを拒否し続けます。
その押し問答の様な親子のやり取りが5分、10分と続くにつけそれを見ている他の客から冷ややかな目が注がれ、「あの親の躾けはどうなってるんだ。こんな公の場で子供をわめかせるなんて、非常識ではないか。いつまでああしてるつもりなんだ。」と批判の声があちらこちらで交わされているのが感じられます。
10才の男の子といえば、かなり成長して背丈も大きくなってきていますが、その子の母親はもっと体格も良く今のところではその子を力ずくで押しやるに成功率が高く、やっとわめきながらもその親子は戸口外に出たので、その場はやっと皆が胸を撫で下ろした雰囲気になったのでした。

私はその時気付いていました。
あの子の極度の恐怖感が何から来たものか。
あの子は心と体に病を持っている事、そして彼が蜘蛛や虫などに異常な恐怖感を持っている子供である事を。
数年前に私が夜勤をしていた頃、その頃の支店長の指示で私と同年の主任とで、ガラス窓や壁、そして軒下などの掃除をしたものでした。
当時の支店長は私達に充分な道具無しで何とかしなさいと指示をするばかりの皆には不人気な人でしたので、主任自身が自分の掃除道具を家からもってきて高窓などを掃除したのでした。
支店長が変わって数年、新しい支店長は私達が駐車場や窓の掃除をしなくても良い様に専門のお掃除やさんが雇われ店員が掃除係をしなくても良くなったわけです。
が、先月にも私は店の高窓隅から蜘蛛の巣がフワリ、フワリと揺れているのに気が付いており、「ほら、蜘蛛の巣が・・」と私が云うたびに我々店員だれもが「本当だ。でもあんなに高い所では掃除もしようがないね」と話してはいたのです。
本当の所は、私は梯子を倉庫から持ち出して、すす払いをしたかったのです。
そうしなかったのは、最近の私の立場が支店長、主任達をアシスタントをする立場に置かれ、他店員達から「彼女は私達の仕事を増やしてる」と噂されているのを知っていたので、これ見よがしに何かを率先してやるわけにもいかないと自分に言い聞かせていたのでした。
しかし、その私の考えは間違っていたとはっきりと知らされたのがこの親子の来店です。
そして、また先週末の事。
店の外から何やら騒々しく、叫び声が聞こえたかと思うと、あの親子が来店したのでした。
あの子は店の前に来た時直ぐにここが彼の恐れる蜘蛛の住む場所である事を思い出したらしく、それが恐怖の叫び声を店内に入る前に来店を拒否しての騒ぎだったようです。
戸口を無理やりに押されて潜り抜けて薬局に向かうと、叫び声も上げず、普通に行動し、さて、投薬を受けてそして数点の雑貨品を購入して私のレジまでやってきた時、また彼が以前と同じように恐怖で固まり、「行けないよー、そこには。怖いよー!キャーッ!!助けて!!」と叫びだしたのでした。
あまりにも凄まじい恐怖の叫び声にまたもや店内の皆から嘲笑されているのが解り、母親は私に「あの子、精神不安定症なんです。このカウンターに募金箱を置いていただいているのですね。」と側の募金箱を指差して云います。「はい、解っています。ご心配なく」と私。
そして、また親子の帰宅押し問答が繰り広げれれたいます。
幸い支店長が何事かと私の側に来たのを幸いに、私は手早く事の粗筋を知らせると、長身の彼は梯子なしで箒で壁や高窓の蜘蛛の巣を払い、「ほら、もう大丈夫だよ。蜘蛛なんてみーんな退治したからね。ここは虫の住めない城なんだよ」とその子に告げました。
私も「この店には虫退治のスーパーマンが待機しているから、いつでも大丈夫にしておくからね」といったのでした。
するとそれまで泣き喚いていた子は素直にうなずき、そして母親と兄と一緒に静かに戸口をくぐり、外へでていったのでした。
ああ、ごめんなさい。
私が知っていながら仕事を怠った為にあの母親は他からの無用な嘲笑を受けたのですね。
沢山の苦労を背負って生きている人達が大勢います。
そのたった少しぽっちの助けでも私達に出来る事は協力していくのが、社会人の共同生活をする上では重要な事だとつくずく思った私でした。
ごめんね。もう大丈夫だよ。ここには蜘蛛は住んでないよ。

3/03/2009

誰の命


3人の孫達は今のところは私達の教えを守って育っているようだ。
アメリカの教育が世界水準から遅れているのか、どうかは別として、3人共に成績優秀者としての場を保っており、教育上での問題児では決して無い彼等は一応に「素直で良い子」として扱われている。
彼らの母親は同じ街に住んでいながら、彼らと過ごす時間は月1-2日程で、その母親役を降りてしまっており、その心理を問うにも応えは未だ私の理解の半内では無い。
同居の我が息子にしても、養育費としての支払いは私達に出すのみが、またその父役を勘違いして暮らしているのである。

Ⅰ-死んでなんかない

「早く洗濯物を引き出しに入れてしまいなさいね」携帯電話で話中のDavidに私が告げる。
「え?違うよ。グランマさ。違うってば。そうさ、参観日に来たのもグランマだよ。本当だってば。嘘はついてないよ。グランマだってば。・・・・・・」彼が多分彼のガールフレンドらしき相手に言っている。

通話を終えたらしく、Davidが階下の私がPCを打っている側に立って私の様子を伺っている。「ン?どうしたの?何か用?洗濯物かたずけた?」と私。
しばらくあって、「何とも無い。だったら、いいよ。」と何がだったらなのか私には不明のまま彼はまた二階の自分の部屋へ戻った。
その後の2,3日、彼の目が私を注目している風であったのが、何を意味してるのかか解らない私であった。
暫く、ママの迎えが無いのが寂しいのだろうと私は勝手にそう思い込んでいたのである。
その夜から、2日後の事である。毎日の山の洗濯物の中から、Davidが先日の会話相手らしき女の子との筆談らしき丸められたノートの紙切れが彼のジーンズポケットから転げ落ちた。
切れ切れになった筆談でもその内容は直ぐに読み取れた。

“何を怒ってるの?どうして、もう電話しないでって?”
“話したくない。2度と電話してこないで!”
“私が貴方のグランマをママと勘違いした事で怒ってるの?”
"向こうへ行って、ほっとてよ”
“貴方のグランマはもうとうに死んでるんでしょうと私が云ったのが悪かったのね。だって貴方前にグランマが病気だって云ってたから”
“話したくないって云ったろう!”
“だったら、ごめん。だって本当にあの人は貴方のママだと思ってたんだもの。”“グランマに私が『貴方のグランマは死んだのでしょう』と云ったのをきかれてしまったのね。で、叱られたの?ごめんね。本当にごめん。”
“OK. だったらいいよ。また電話しても。でも、グランマの話はしないでよ!”

と、いう事なのである。
あの夜、Davidは私が彼等の携帯での会話を聞いてしまったのだろうと思って、私の行動が気になったものらしい。
そしてあれ以来、Davidは私にもっと気を使っているかのようだ。
だんだん大きくなって、私が母親代わりを勤めている事がいかに大変である事や、また、年令や体力的にいかに3人もの子育てが私の命を削っているものやと徐々に理解してきての、彼の思いやりが私の行動に注目してきた理由なのであろう。
そう思うと、また我が孫達の心情を想い不憫でならなく、私の命が私一人だけのもので無いと思わされ、涙が心に満杯になるのである。


1/29/2009

ヘッドハンティングの意図は


どういう事なのか、この職不足の中、今週中に3回のヘッドハントに声をかけられました。何かの怪しいヤラセなのかと疑ってしまいましたが。
この世には怪しい資金作りに励む詐欺師多くまかり通っている事ですしね。
その中で、「私は今は全米一に大きくなったシティ銀行のリクルート員の者ですが、どうですか、ウチに来ませんか」とおっしゃった貴女、私という人間を調べもしないで、しかも自分の身元証明の名詞なども見せずに、勤務中のその一瞬の合間にそのような誘いをかけるとは、貴女はリクルートヘッドハンターには失格といえましょうね。
第一貴女には私が東洋人の若者と思ってのヘッドハントだったのでしょうが、果して私の実年令を聞いたら、とてもとてもハンティングはしなかったでしょうよ。
私の接客振りがそこらの若い子とは違うと声をかけて下さったとしてもですよ、私はそこらの子とは違って当たり前なんです。だって、私は“子”ではありませんしから。
しかもですね、シティ銀行が大幅な回顧者を出した後に、倒産寸前のところを、救おうとの政府からの建て直し改革金を数ビリアンとかの、私には丸の数が多すぎで目が回りそうな軍資金を十二分にも貰って、ちゃっかりと上部の人間達はそれを自分達のボーナス金に当てたではないですか。
そして、それは一般所得者庶民の血と汗で作られた税金の一端をあてがわれたものという事をすっかり忘れての無駄使いにどんなに世が不景気風を覆っているのかを少しも反省している風でもなく、あわてて人事変更しようったって、そうは簡単にいくものですか。
ブッシュ元大統領は「いいよ、いいよ、仲間でしょう」と軽くお偉いさんのお友達としてあげた資金、 今や新大統領の監査でその悪巧みがバレバレになってしまい、オバマ大統領、バイデン副大統領が「言語道断行為だ。至急庶民の税金を返すように!」と発表したではないですか。
しかも、今ヘッドハントしている状態さえ、管理職が降格してまでその組織を改革して守ろうというのではなくて、下の者を大幅に回顧してしまっては実務が回らなくなっているからなのでしょう。それで、急遽頭数をそろえようったって、それはバジットを上部から受け入れるための状況作りにしかないのでしょうよ。
でなけりゃ色々調べた上でリクルートに励むでしょうし、どんな人間かも知らないでおざなりの挨拶口調で「どうです、ウチに来て働きませんか」なんていって欲しくないですよ。私個人に対しても失礼な行為だと思いませんか。
うん、思わなかったからこそ、そう気安く声をかけたのでしょうけれどね。
ずうっと昔の事になってしまいましたけれど、以前私は銀行にも働いた経験があるのですよ。それこそずうっと、ずうっと昔。行員がまだPCをたたく必要が無い頃の事ですけれどね。自分の目と頭脳だけが頼りの、書類調べや電卓がせめての計算法だった頃の。
仕事としては金銭とはいえ書類上の作業が多いその職場が私に向いていたかどうかは今にしては知る由もなくなりましたけれど、格別楽しかった職場だったとは覚えにありませんし、いえ、考えるに数字人間とは決していえない私にはやはり同じ接客業としては駆け引きの点に於いても、今の雑貨店での仕事のほうが悪知恵をつけることもなく面白くやっていけそうに思えます。いえ、決して銀行員は悪知恵に長けているのだ、といっている訳ではなくてですね、しっかり数字立てて物事を考える種類の人間に向いているという意味なのですけれど。
私のちゃらんぽらん夢見思考人間には少ない知恵ではそのものも役に立たず、悪く知恵が付いてしまうかもしれないという私の思惑であります。
兎に角ですよ、行員ヘッドハンターの貴女、もっとお勉強なさって、せめて、私が年とは見た目や行動が違う事を見破る事が出来、自分の会社と立場に有利な人員を選べる目利きになって、頭脳明晰活力大で、将来性のある人員をハントなさいましね。そうするべきですよ、もし貴女が本当の行員ヘッドハンターであったらのお話ですけれどね。
あ、そうですか。多分このような近所の場所に勤めている人は、さぞかしその客脈も多く、この地、親族も含めて多くの人間との繋がりがあるに違いない。そう思っての開口資金、アカウント設置数を寄り多く引き寄せる為の「人寄せルクルート」でしたら、確かに当人がどんな人間でも良いかもしれませんね。
しかも、東洋人は真面目人間が多く、しかも小金を貯めている人達が多いですものね。でも、それだとまたまた残念でしたね。
だって、私はあまり親族がいない、人脈も少ない、小金も貯めていないの「いない、いない人間」でありますから。
東洋人というところだけは当たっていますけれどね。
東洋人にも色々あるのですよ。やはり人種にその人格云々とレッテルは貼れませんよ。
貴女はそれもご存じない?ふむ、では貴女の私に対するヘッドハントは全ての点に於いてもハズレであったわけですね。それはお気の毒。
どうぞ、ご用心あそべ。人は見かけだけでは、なかなか解らないものですよ。
その貴女でさえ、本当のヘッドハンターでないのかも知れないと私は疑っているわけですから。
つい、いわずがものをいってしまいました。人間、年を取ると、段々その思考も一筋縄ではいかなくなるのです。ごめんなさいね。
お声をかけて下さった貴女。良い人員探しが出来ますよう。
この世はまだまだ不景気風があちらからも、こちらからも吹いてきていますものね。貴女もそのお仕事に生活がかかっている事でしょう。
お互い騙しっこは無しでいきましょうよ。
でも私の年を若く見てくれたのは嬉しかったですよ。貴女が勝手にそう思い込んだだけですから、私が貴女を騙したとは思わないで下さいな。