12/20/2008

ネズミ年を送る傷


さすりながら母が云う。「歳を取ると体のアチコチの古傷がね、、、痛み出すのよ、、。」
あれは、体の痛みと心の痛みとを一緒に消したくて、一種に母の儀式のようなものでもあったのだろうかと今、母のその頃と同じ年令になった私は思うのです。
こうしている日にも体のあちこちに痛みが現れおり、無意識に体をさすっている私がいます。
『ね、本当の話だと解ったでしょう。』と亡き母の面影が云います。
幼い時に起こった骨盤脱臼が毎朝の起床時にコツコツと音を立て、小学生時代に思いっきり走って転んだ両足膝の今でも残るそのアザの中から痛みが湧き出します。
歳を取ると良い事が少なくなって、体は悪くなるのを補っていくのが精一杯になる、だから楽しめる事、学べる事は先にやっておくと、それが古傷のかわりに楽しい思い出となって噴出してくれようとの母の信仰的思い込みもあったのだろうが、哀しいかな、晩年には「そうだね~。結局は良い思い出より体のガタが全ての過去のうわもてにもっと感じるようになると、それが何よりもえばり出して、せっかくのいい思いは遠のいていってしまう気がするのも確かな事かもしれないね」と遠くを見つめて話す様になりました。私には、あれは多分遠のいていった良い想い出を残る体力で追い駆けてみて、追いつかずの諦めの目であったように思われます。

私が転んだ傷跡のかさぶたをはがそうとすると必ずといっていいほど私をたしなめて言ったものです。「やめなさい。今わざわざ痛い思いを重ねる事ないでしょうに。遠い日にはそれがやがて痛みに変わる日がくるんだよ。今はその時までの蓋だと思って放っておくのが一番なんだから。殺菌後は自然が一番の薬だと思って毎日を暮らすのが利口な手当てだと私は思うけれどね。」
自然は誰彼にも平等に生を与えていて、その時期の長短やその生き様の大小は個人の生活状態の過去の表れとして体内から外に湧き出た現れなのだと言う。
でも生まれながら病弱な人もいるし、不健康体、不愚者に生を受けてしまった人達だっているではないかと十代の時の私が小生意気に反発感を述べると、それらの人達は心に大きな試練を受けて生まれ出るのだから、結局体内から噴き出る良い想い出は遠のかずに、体力との競争をする事を避ける常備があるのだと云う-だから今のその健康体を奢る事なかれ、という事らしい。

そういえば、、と鏡に映った自分の顔に見られるこめかみに薄っすらとニッケル銀貨大の円形茶色いしみは、痛みこそ無いけれど、単に「加齢によるシミ」といえるこれさえもが実は少女時代に噛まれた傷跡周辺がしみ化したものなのです。
噛まれたとは、一体何に、と驚かれる方を更に驚かせる事になるのかもしれませんが、このシミは実際、今の時代には想像も出来ないかもしれませんが、実は家屋根裏に数百匹と大家族をなして凄んでいた“ねずみ”なのです。
これの他に噛まれた二の腕にはその葉型が二つポツンポツンと対のホクロとなって残っておりますし、左薬指二の関節は関節炎が骨の異常を起こさせて今では結婚指輪を外しての生活を強いられています。
「ねずみに噛まれるなんて、、!」と何とも凄い極貧生活の上の傷と思われたかもしれませんが、特別そういう事でもなく、昭和半期に暮らした住宅は極寒の冬にはガタピシの縁側ガラス戸と更に雨戸の隙間から三角州状に家の中まで雪が積もっているのを見る事が容易な状況の公務教員住宅で過ごしたからなのです。
今でこそ、もうその後さえ偲ぶ事も出来ない街でありますが、当時は栄えて高給社員が高台に裕福な社員住宅を連ねる炭鉱町で、私達家族は父が当時は中学校教頭として学校前の公務員社宅に住んでおりました。
が、その住宅は一年を通してネズミが大運動会を屋根裏で催しており、毎日のように屋根裏からザザーッと数十匹、いや、多分数百匹のネズミが走り回る音が耐えず、その音からして飼い猫がそれらを退治するなどとは多勢に無勢の比であり、ネズミ捕り団子が役に立つほどはなかったのでした。
いわゆるドブネズミというやつなのでしょう。可愛らしいチロチロと走り回る小さい小ネズちゃんではありません。子猫より大きい、数十センチの黒い尾を持つ、本や布団、人形やその荷箱等その他、何にでも屋根二階押入れの品々にはあちらこちらに歯型で削り取られた跡がありました。
鋭い歯で、毎夜ガリガリと音を立てて木箱をかじる、一匹さえ畳の上を走るとざっと音を立てる爪を持つ、あのドブネズミの大群が同居していたわけで、あの手この手の退治作を立てたところで数は増えこそすれ減る事は無かったように記憶しています。
ある時期、私はその住宅二階を自分の部屋として使用していた時があり、当時から小児神経痛を両足に持つ私は極寒の冬は特に、その足の痛みで目覚める事が多くありましたが、その日は顔の痛みで目が覚めたのでした。
電気を附け、鏡を見ると私の左コメカミが異常にに腫れており、ぽつりと二つの対の穴から血が流れており、それが直ぐにネズミの仕業だと容易に知り得ました。
歯形状態から口の大きさをみるとかなりの大きいネズミだったのでしょう。
その後、私の様子をみて起きた母が薬で傷跡を消毒してくれ「寒くて手足は布団の中だったから、顔をかじったんだね。美人の味がしたことだろうよ。」といった慰め言葉に私が笑ったものでした。
その後2回ほど噛まれたのですが、(前記の指と腕)不思議とネズミを怖がったり、憎んだりした記憶はありません。
「あんなに大勢なら、皆腹ペコなんだろうなァ。食べ物はどうしてるのかなァ」と心配さえした私でした。(当時からちょっと、いえ、かなり変な子でしたから)
ただ、側の木箱をガリガリかじる音に私の睡眠は妨げられ、「うるさいっ!かじるのは日中にしなさいッ!!」と怒鳴った事は何度もありました。
私は当時から睡眠困難児でした。

母様の云ったとおりに顔のシミは色は薄くなった気はするのですけれど、何を塗ったところで取れませんし、腕には何の支障もないけれど、指の関節は異常で、痛みも常時あります。
この傷、あの傷のこちらの思い出、あちらの想い出が体の中から外体力となってに現れ出しています。そのプラス体力がマイナス体力に負けがちなのが口惜しくも諦める年令になったという事です。

もうすぐネズミ年にお別れです。
次の丑年には、どんな想い出が表れて私を楽しませるか、悩ませるのか、どちらにせよ、これが人生というものなのですね。
因みに私は牛さんとはあまり縁の無い生活をしておりましたから、それがどうこうとは思わないでもありませんが、ネズミの傷は今後も一生一緒に生活していくわけで、これは別に干支とは何の関係も無いお話であったかもしれません。
ただし、不景気風が人々の懐と心を思いっきり吹きまくったネズミ年、誰もが体の傷と心の傷を背負って生活している今、牛さんは私達をなんとか引っ張っていってくれるでしょうか、と目に見えぬ干支の牛に願いを込めた新年をもうすぐ迎えようとしています。