9/01/2008


兄からメールが来た。
最初メールの送り宛名が誰なのかピンとこなかった。
似たような名の友人が数名いるのと、兄からメールを受けるとは考えていなかったからだ。
内容を読むとその一行で、兄からだと気がついた。
メールの最後に彼の名が昔の呼び名で書かれていた。涙が出た。

今までに口に出して伝えた事はないけれど、私は私の二人の兄をそれぞれに心から敬愛している。
長兄、次兄とそして末娘の私は、この二人の優秀な兄達の下でいつもヒネクレ者として陰険な精神の子供時代を送ったと記憶している。
今までの私の生活に於いて、10才年上、いやもっと年上の部下を持った事のあるこの私であるが、この5才年上の兄と、わずか2才年上の兄ともに、妹の私を威圧する何か、それは決して悪い意味にではなく、彼らに対し権威のようなものを常に念頭に感じている。
この二人の兄に私は並みならぬ恩恵を受けて現在に至っており、日本の地を離れても彼らに対する感謝の意を一時も忘れた事はない。
この私の幼かった時代の懐古の恋と兄弟愛への想いは、忘れがたい昔の恋人を思うような感じとはこのような思慕なのかもしれないと思ったりもする。

病弱な母の入退院で家族が分散して生活した時期が長かったのにも一因があり、特別に密着心が強く仲が良い兄弟というわけではなかった。
薄給の教員家庭に生まれ、戦後の物資に恵まれない山村生活は決して豊かなものではなかった当時、母を助け、長兄は6才の小さな体にカメのネンネコ(注‐カメの形に似ている事から綿入れ仕立ての幼児を背負うに当て布物をそう呼んだと思う)幼児の私をくるみ背負って子守し、そのネンネコの丈が彼の背丈ほどもある為に、床にズルズルと引きずりながらの子守であったと、亡き母がよく思い出し笑いをしながら話してくれたものだ。
幼いベビーシッターであった兄に私がいつまでも親のような権威を感じるのはその頃の幼児の肌から頭脳に充分に感じ伝わった結果なのだろうと思っている。

次兄にしても、私が夢多き青春を、19才での渡米の際に彼自身も学生の身でありながら、しかもその時、健康を害して下宿先のお世話で入院という事でもあったらしいのに、アルバイトを続けて私の渡米資金つくりに奔放してくれたのであった。

この二人の兄達はそれぞれにまるで性格がちがっているのに、二人ともが学業優秀、絵画や音楽を愛する芸術家でもあり、私独りが劣っているとの思いに、この二人の兄が私には羨望と嫉妬の的であったのだ。
妹として生まれたことが、男に生まれて彼らと比較されないのを密かに喜びつつも、女に生まれて損をしているのかも知れないという思いが私の心の中にいつもくすぶっていた。
それが、語学と海外進出のみが私が彼らを追い越せるすべであるかのように、自分に思いこませたことが、現在の私の渡米生活40年に基盤しているといっても過言ではない。
現在をもってさえ、兄達は私にとっては友でも無く、仲間でも無く、唯々『敬愛の兄』なのである。
そしてこの兄達への思いが私を今日まで支えてくれているのである。