2/10/2008

文句あっか!その4 方向音痴


私は極度の方向音痴である。加齢と共にその運転時での感覚障害が更に起こりやすくなってきているようだ。
何回同じ通りを運転していても、その日、その時の体調や感覚で、その風景が全く異なって見えたり、いつも見過ごしている一点が拡大視されたりで、つい通り過ぎたり、あらぬ方向に向かってしまったりするのである。
幼い頃に聴覚異常で通院をしたせいもあるのだろうか、又はソレに加えて弱視力もあり、とにかく私の平衡や、バランス感覚、それと凹凸の3D感覚にも時としてその正常を保てないものなのか。それは脳伝道回路シナプスの異常なのでは?と孫娘が笑います。そうかなのかもしれない。
アルツハイマー症を患った亡き父(そして、父方の祖父も)の血が私を軽症ながらその病の一端が表面化しているものかという考えも無いではない。
そういう脳の一部に接触害症があると感じて生活をするこの私が、その他の部分では多いに補いがなされているように思われる出来事に最近よく出くわすのが、若者達を含めて多くの人達が一面を見て全面を察するという事に不得手で、想像力が弱いというか、思考に深さが無く、アルファベット順に物事を並べたり、仕事の段取りをつけられなかったり、A点からB点に行く途中でアレコレ一緒にやりとげながら事を進めたりする事が出来ない人間の多いことといったら、笑い話にもならないほどなのだ。
簡単な例でいうと、名前がマークデザインされているキーチェーンが700個ほどが混ざって袋に入っているのをアルファベット順に仕分けして飾りつけるのに殆どの店員が2日かけても終われないという事実や、週セール宣伝タグ数百枚を店内の指定の製品に貼り付ける作業にしても、一目タグを読んでの判断が出来ずにいたり、時間のロスばかりのノロノロ作業を当然としていたりで、彼等の脳の大活躍を見る事は稀なのです。私が彼等の脳が大活躍していると感じる時は、人のゴシップをしている時と、自分の不手際の言い訳を考える時でしょうかね。
そう思うと、私が方向音痴であっても仕事を手早く終えることが出来るのは、多分に私は全てを感というものに頼り、信じてやっているからなのかもしれません。(という事はアンタも思考は深くないのでは?との声。その通りだと思いますね。)ですから私にとっては勘違いという事が一番の大敵なのかもしれません。おちょこちょいの私は仕事は速くても、この勘違というものをよくします。(でもまた直ぐに、しなおしてしまうので、目立たないのですね。ズルイか得かは、何とも云えませんが。)
無駄な二重手間をかけているだけのことなのかもしれませんが、仕事を終えるというところが前者とは違うわけだけです。
この方向音痴にしても、遠回りしたり、時間を費やしたりで、勘違いという部分では同等の脳活動だと思うのだが、今後の私の生活行動と日常態度がずっと外れて方向音痴にならない事を密かに願って止まないのが本音といったところ。方向音痴の私の今後はいかに、、、。溜息

軽くお喋り17 -私と言語


中、高、大と数年に渡っての勉強もあまり役立つとは思えぬ様のTHIS IS A PEN.ほどの超初級程度英語理解力で悠々この地に渡った私も在米40年ともなると、(39年連れ添った米人ハズバンドとの日常生活効果もあり)一応の日常英会話にはあまり不都合をきたさなくなった。やっと、という思いではある。
若き日の私は恐れる事を知らない冒険好きな女の子であった。
今振り返ってみて、「よくも、マぁ、無知とは恐ろしい事よ」と漫画絵風に表せば私の頭の上に!印が何個も出る冷や汗ものである。(何故漫画絵に表すのかは細かくそこを聞いて下さいますな。現実性に欠けているという意味においてでしょうかね。)
多分そういった無知無謀さは、若いというか、未熟者、未経験者故に、恐れ知らずの行動が出来たのでしょう。興味心は旺盛で、欧米カブレをしていた事には間違いはないが、決して馬鹿女呼ばわりされる生活はしていないと自負して止まない私の青春時代でした。
しかし、事実は渡米して直ぐに「私の7年間の英語の勉強なんて、役には立たない」という思いばかりであり、落胆に次ぐ、落胆生活をつきつけられた思いにその難関に、さっさと見切りをつけて学業を棄ててしまったのでした。
「勤勉なくして宙ぶらりんの中途半端人間」というレッテルが自分にぺタリと張られてしまった思いを、夫には申し訳ないけれど、成り行き人生一期をひとまず幕引きが寛容とばかりに結婚生活に逃げ込んだ私であります。
たまたま、夫として選べた彼が人間性に富んだ人であったことが、私には多いに幸いしたと幸運の女神に感謝はしていますが。
そして、この年になるまでは自分の生活がHUNBLE – 謙虚であれ、そして自分の人間性向上こそが自分への生きる資格取得であるなどとは長年に渡り考える事を怠った、惰性怠慢生活を送ってしまったという、一抹の後悔が心に沈殿している由縁であり、これが私が英語・日本語ともに半端な知識しか持ち合わせていないという人生に於ける沢山の汚点の中の一つでもあるわけだ。
後に日系企業に就職した事で、私の若き日の不勉強を多いに反省させられたのはここに言うまでも無い。

日本では毎年人気流行語大賞というものがあるらしいですね。
2007年度に選ばれたのは「どんだけ~」や「そんなの関係ネエ」や「ぎざ、かわゆす」とやら。特別賞に輝いたのは宮城県長の「どげんかせねば、ならんばい」とか。
私は流行語というよりも、こういった各地の方言がとても好きだ。
在米40年となった今でも私は北海道弁を普通に話す事ができる。(と、思う)
日本から離れて生活していると、こういうのがその文化の変換と共に流行るという流行語には遅れをとり、その文化にも取り残され、年月が歴史のごとく言語にも進化を遂げていくのだと知らされるわけです。
北から南まで言葉が同一な米カリフォルニア州と程同等大敷地の日本が各種地方でそれぞれの文化と方言をもつというのがとても興味深いものがあると日頃思っている。言語の専門家の意見を聞いたことはありませんが、日本は内戦も多く部族孤立生活文化が発達していたのでこのように狭い内陸においても各地でその土地独特の仲間言葉が発達したのでしょうね。
米国島生活10年(ハワイ州)、西海岸生活15年(カリフォルニア州)そして東海岸生活15年(フロリダ州)に於いての生活言葉の違いというのはあまり大差はない。東海岸南部州では語尾を延ばした南部発音の人達の会話を耳にするけれど、日本での方言とはまったく違ったものだと思われる。
少々興味深いのは、ハワイでは日本語を英語化した方言があります。その昔に日本政府からハワイに移住農民として島に渡った方達がハワイに独特の方言をつくりあげているわけです。
こうみても、日本人というのは心を思いのままに自分風に表現するのが得意な民族といえますね。


先日のマネージャーのお奨め品としてサンフランシスコのチョコレートであるギャラデリー板チョコであった。
この米東海岸ではあまりお馴染みが少ない事もあってかこちらでの知名度がイマイチのようで、こちら育ちの支店長・主任長もこれを「ジェリデル」と呼ぶのが私の耳に不快に響き、「この製品、ギャラデリー社のチョコレートはベルギーのチョコレートには適わないかもしれませんけれど、国産としてはなかなかの美味製品ですよね」と耳打ちした。
でも、日本人の私の発音間違いと思ったものやら、やはり「あ、そのジェリデルね。売れているね。」と支店長の応え。
しかし、休み明けで出勤すると「あ、あのギャラデリーね、所定設置位置にもどしたからね。」と普通に発音をして私に言ってくれたところをみると、どうやら自分達の間違いに気がついたのだろう。ふふふ、、、。