10/12/2008

接触の一点

コーヒーを飲みながら、秋の週末の光を受けて、ゆったりとした時間を楽しんでいる私の目にある新聞記事が急にクローズアップして飛び込んできたのでした。

ロサンゼルスツアーバスハイジャックを企てて妻を殺害、そして後にはトリカブト毒で愛人を殺害の三浦和義被告がLAの監獄内にて自殺とあります。
驚きました。しかし、彼がこちらのOJシンプソンのような犯罪の闇を潜り抜けて法の網を交わしつつ生き延びようとした殺人鬼である事は皆の承知とするところです。
ネットで日本人の方達の反応を見てみると、何も事情を把握していないヤカラが「彼は日本とアメリカに殺された」などと書かれているのに、また驚いた次第です。
何をおっしゃいますやら。彼の残忍性をそんなふうに世の責任とばかりに摩り替えられてはたまりません。

私、実はこの当人にあった事があります。
というより、誘いを受けた事があります。(殺人の誘いではありませんよ、念の為。)
当時私はハワイ・ホノルル支店の旅行会社に勤めていたのですが、当時のその旅行会社はワイキキの中心地であるビルの9階にありました。
私はその日にワイキキのカラカウァ沿いに建つプリンセス・カイウラニホテルにて早朝の旅行者の送り出しがあり、ホテルに向かう途中の事、カラカウァ通りで信号待ちをしているところ、後ろからムウムウの-それは当時の旅行会社のユニフォームだったのですけれど、つままれた感じに振り向くと、中年男性が立っており、その男は更に肩の布の感覚を見ているかのように手を小刻みに往復しながら言うのです。「失礼。私は日本でこういった布や洋服関係の者なんですよ。これから朝食に行くところなのだけど、一緒にどうです?」
私は内心で「触るなッ。本当に無神経で、失礼なヤツ。それに朝からナンパをするとは何事なのよっ、私がその手のお姉さんに見えたとでもいうのか?」とムッとしていました。
(後で知ったのですが、私は彼と同年らしい)
「これから仕事がありますので、急いでおります。さようなら。」と私は顔を信号の方に向けたのを覚えています。
「仕事?(この言葉を彼がどう思ったものか解りませんが)そうなの。(なれなれしい言葉付き)ほんと、行かない?じゃあ仕方ないか」と彼。信号が青になって私が歩き出しても彼は、そこに立ちつくしていたと記憶します。
その日一日私は心の中で毒ついていて、気分の悪いムッとした思いをひきずっていました。「しかし、あの手のお仕事お姉さんに思われたとは、、なんでなのッ!」と、いまいましくその男の顔を思い浮かべては苦々しい気持ちを何とか抑えていたのです。
家族旅行も多いハワイではそれ以上に愛人との旅行や、はたまた男性が夜のお遊びの女性を探すヤカラも多く、それなりの女性もホテルを行き来していましたから、当時でも冠婚数年ベテラン妻である私も当時はちょっとは見栄えが若かったのでしょうか、よくそのような誘いを受ける事がありましたので、そんなに青筋たてて怒るほどの事ではないと数日後にはもうすっかりその日の事を忘れていました。
が、その男の顔を後にテレビで見るとは、、、。
ということはですよ。あの殺害された愛人というのは、やはり私のように話しかけられて「お食事OKで~す」とついていった人なのかしらん。ややっ、これは何とオッソロシイ事じゃないですかァ。フ~ム。
しかし、何故、あのような事件に手をかしたりしたのかしら。そして殺されてしまった。私には到底理解出来ない心理です。
欲と色の犯罪、その舞台もインターナショナルとあって、何ともドラマにしてさえも、「わァ~。何だかあまりにもドラマっぽくって、人間心理に欠けているよね~」と他人は表現しそうですよね。
えてして人間心理というのはそうも浅くもあり、そして反面では深いものもあったりで、犯罪心理というのも一口で説明をつけて、その憶測でしかドラマに出来るものでもないものなのかもしれませんしね。

私の人生でふと街角で犯罪者との接触の一点であったと、今ここにその時を思い出して書き記す事にしました。もう30年近くも昔のある接触の一点でした。

10/06/2008

化粧



家でぼんやりと10日間ほども暮らしていて、筋力が体中から溶け流れ出てしまったかのようなデレンとした活気の無い姿が鏡に映し出されている。
入浴と髪をブラシで撫ぜるくらいはやっていたが、化粧などはずっとせずにいた。
もし家人と一緒に同居していなければ、多分寝巻きと家着を取り替えるのも面倒な私である。
家族の手前、皆より一応は早起きをして、学校やら勤務やらには見送りをするのだが、笑顔造りをしようにも顔の筋肉さえも「唯今お休み中」と額に張り出しが出ている様なのかもしれないとさえ思ったりする。

「アンタはズボラだねェ。化粧をすると結構他の女性から見劣りする事が無いと私は思うのに、男の兄弟の中で育ったせいなのかね。」と結婚後に帰郷した際化粧をしないでいる私に云った事がある。
自分では気にもせずにいたのだが、私の満面にそばかすがあるといって、驚いていた。
その母は朝どんなに早く起きても、家事をし始める前には手早く化粧を済ませていた。
自分の為に化粧している訳ではないと母は云った。
毎日、食事の用意の買い物にご近所に出る事や、突然の来客やら-教職者の父が教員達を自宅に前触れも無く連れてきてはよく酒盛りの場になった-また、その婦人会の集まりや、本心では進んで交わりを共にしたいわけでもない町内会の会合やらもあったり、加え親族の訪問も受けたりしていた。
自分の容姿には少々の劣等感があると云う母は「むさ苦しい自分の顔が皆さんの心に自然に受け入れられるように努力する義務がある。」と信じていたのだ。
病弱で何度も入退院をしていた母の体はあちらこちらに手術痕があり、皮膚細胞も多くの投薬や治療でボロボロであり、どんな強力な乳液も、どのような新薬配合化粧水にしても、彼女を若々しくは保つのに役立っているとは到底考えられなかった私であった。

先日の事、母が私に云った言葉を思い出させる機会にあった。
それは地区開催教育一環の“子供に親の職場を体験させよう”とのスローガンのもとになされた子供職場体験日の出来事であった。
私は勤務先のドラッグストアでその支店長の9才のお嬢さんヴィクトリアちゃんとレジスターを受け持った。暫く客足が途切れた頃、彼女を退屈からしのぐべくお絵描きをする事にした際に、彼女が見せてくれた女性の顔の絵には満面にボツボツとペンで点がついている。
「まァ、上手に描けたわね~」といいながら、何故かその女性の顔に更にボツボツを入れ続けているヴィクトリアちゃんを不思議な気持ちで眺めていた私であった。
「はい、これで出来上がり。この絵ウチにもってかえって家族にもみせます。」と彼女が嬉しそうに笑った時、その絵の女性は紛れも無く、この私である事に気がついたのだ。
あァ、子供の目には私の化粧下のそばかすが側に居る事からもはっきり見て取れて、それが私の顔の特徴であるとしっかり捕らえていたのだ。
家に帰って私はあらためて鏡の覗いてみた。
ヴィクトリアちゃんにはお友達として認められたそばかす顔、でも接客係りとしての私はその勤務の顔造りは怠っていたのかもしれない。
が、その時、そう反省したのにも関わらず、今も私の化粧時間は長くても10分といった簡単なものなのである。
それでも自分の為だけに化粧をしているというより、勤務へ出るという私の心構えのようなものだと思っている。
因みに私の勤務先でのタイトルは“美容相談員”である。
しかも、化粧品売り場の担当をする事な滅多に無い。
日本での美容員とは大違いで、私が勤めるドラッグストアでのシニア美容員はこれまた素顔女性なのである。これは何だか矛盾していると思われますが、彼女の化粧商品知識や接客売り上げ力も高く、人気の店員でもあるのです。

もし人間独りで、孤島に住んでいるとしたら、対人関係での化粧は無しとしても、護衛としての化粧を自分に施すかもしれません。
やはり、化粧が人間生活と文化の流れを時と一緒に送っていると云わねばならない。
化粧はある時は自分の心を豊かに、生活を楽しませてくれる手段であり、自分の生き様を反映しているものでもあり、周りをなごませてくれる力もあるわけなのですね。
「死ぬまで、そちらで自分の生活に合った心と外見の化粧をしなさいよ。自分の為ばかりではないんだから。」と母の言葉が聞こえてきそうです。
教えて下さい母上様、-あちらの世界では化粧はパーマネントで、つけたり、落としたりなどはしなくても良いのでしょうか。