2/03/2007

笑う理由、笑えぬ事情


N子の顔が横を向いてちょっとだけ眉をひそめたが、直ぐに正面を満面の笑顔に変えて「こんにちは。ありがとうございます。また今日も1日良い日でありますように」と一通りの挨拶で客に買い物袋を渡した。
回りの人達は彼女が何故眉をひそめるかを理解できないだろうし、その横顔を見る人もいないので、彼女はいつもと同じ笑顔の『ハッピー・ゴー・レディ』としか写っていないはずである。
彼女がこのような一瞬の曇り顔を見せるのは陽気な常連客が「ハ~ィ、ビュティフル!」とか、「ヘイ、ヤングキッド」とかで彼女の呼びつける事にあるのだ。
彼女は同僚(上司)が彼女を「スィーティー」だの「プリティキティ」だのと呼ぶのにも大抵抗を感じている。
『いったいこの人達ときたら、私よりずっと若いということを知らずにいるのだけれど、親しさを示しているつもりかもしれないその行為が何とも女性軽視的だとは思わないのかしら』と彼女は心の中で独り毒ずいたりするのである。
30代か、その頃だと、それが何とも感じなかっただろうこれらの愛称も、50代ともなると、しかももうすぐ60代が目の前である今、このような呼び名では何とも子供騙し言葉としか響かなくなったとしても誰にとがめられるものでも無いのではないかと思ったりするのである。
「日本人女性は美しいなァ。本当に憧れるよ。君と結婚している旦那が羨ましいよ」などとちゃかし半分の若い輩がねちねちと目を光らせて語りかけてくると、またしても心の中で『ヶッ。ご冗談を。中国と日本を地図で探せないような頭脳で判断する美女になど私は成りたくない!』と叫ぶのである。
勤め始めの当初はまるで違う世界の中にいるような、それまでは自分が客側だったのが初めて雑貨薬局の接客側に立ったもの珍しさもあり、「この世界ではこういうものなのか」と変に感心する事が多かったものである。
しかし、このアメリカ東海岸一帯はやはり、西海岸側とくらべてその生活は多分に保守的であり、各種の偏見差別も風習的に残っていて、時には酷く文化の遅れた世界にタイムスリップした錯覚を起こす時すらあるのだ。
「僕が切腹を覚悟なら君と付き合ってもらえるのか」と聞いた若者がいた。
『切腹?何故私が君と付き合うの?なんじゃいね、これは、、』あははは、、とその時N子は笑ってしまって当の若者を少なからず傷つけた事を知らぬふりをしてきた事にも、そのバカバカしい無知な思考にも腹が立ってならなかった。
笑顔を艶目使いと勘違いする若者達よ、日常の生活の笑顔は何も特別な事ではない事を解って欲しい。
嘲笑かふざけ笑いか、艶目使い笑いか、照れ隠し笑いの他にも色々な笑いが、笑みがある事を忘れてはいませんかね。
多分こんな事を特別取り上げて考えるN子は偏屈人間なのだろう。きっとそうだ。
しかしながら、今日も彼女は来客の全てに嘲笑でもなく、ふざけ笑いでも無く、艶目でも照れ隠しでも無い、彼女特有の笑顔を振りまくのを止めることはできないでいるのである。