8/07/2007

軽くお喋り13-七夕


そうだった。北海道の七夕は8月7日で本州の七夕より一ヶ月遅れなのです。
という事はですよ、織姫と牽牛は7月7日に天の川を渡って再会し、また一ヶ月後に2度目の再会をするということなの?と、幼い頃の私は不思議に思ったものでした。「年に一度の逢瀬だと聞いたのは、嘘だったのかもなァ。もしかしたら他の国の空でもまた会っているかもしれないし、、、。」なァんて思ったりした変な子供だったのです。
どちらにせよ、私はこのような悲恋物語に憧れを感じていたわけです。
私はちょっと好きな男の子に出会うと必ずこの哀しき二人の恋人の話を聞かせます。ロマンチックだなァと思うからで、ところが大抵の男ドモの反応は「何故一年に一度の逢瀬なのさ。家族に反対されようが、身分が違おうが、関係ないね。要は当人同士の問題さ」などとほざきます。
違うんだってば、女というものは哀しき恋に陥って、そして生涯その人に思われて生きるというのが夢なんだってば。
現実的に男のよう考える、会った、つきあった、成す事を成して(?)はい、性格がちょっとあわないようなのでこれで別れよう、、なんてのは面白くないのです。ドラマが欲しいのです。ロマンを夢見たいのです。
しかしですよ、現代の若い女性はもっと現実的なのかもしれませんね。
「バカ殿様でも男が女中女を抱えるのはよくって、姫は下男や牛飼い男とは品格が合わないから結ばれなかったなんて、不公平じゃない。それに今や社長に取り入って、その娘と結婚してエリートコースに乗るような逆玉ケースが結構あるではないの。オバサンはこれだから古くて嫌よ」との仰せです。ごもっとも。
でも、それでも、私はですよ、この私は古くて結構。一年に一度の逢瀬の哀しき想い、織姫と牽牛、春樹と真知子(この名前に覚えのない方にはお話しても仕方ないかもデスケレド)なんてのに、胸を痛めて涙するのが私のロマンなのです。
私もですね、こうして海外に出たの頃にはいたのですよ。将来結婚するのかもなァと思っていたボーイフレンドが。
海の向こうから、「虹がかかったら、それは私の涙が光となって、貴方の所へ向かっているのだからね」なんて乙女チックに想っていた頃があったのですってば。
それなのに、今現在は何故アメリカ人と結婚しているのか?とお聞きかしらん。
さァ、そこですよ。(どこだ?)
ロマンというのは一生夢見ておくもので、現実にしてはいけないものなのです。
ン?何たる矛盾。
だって、子供の頃、お年玉を貯めて、これだけあればアレを買って、これも買って、それからそれを食べて、、と思ってワクワクした時の事を考えるに、実際には何も実に成らない、くだらないものを買ってしまって後には虚しさだけが残ったという経験は誰にもあるのではないですか。
アレもこれもとおもっているのが、実際に手に入れない方が良い場合があるわけですよ。な~んだ。まるでトンチンカンな、あて話をしてしまったようです。
要は私の云いたかったのは、この年でさえ、いえ、この年になってしまっては尚の事ですよ織姫と牽牛のような逢瀬があるというのに憧れるのであります。
しかもですよ、織姫と牽牛は永遠にうら若い美しい恋人達であるわけでしょう。これを羨まない女性はいますかって。
「はーい、私はそんなの羨ましくない」と言った貴女。今が若いからそう言ってられるんですよ。いつかは「私も若い時はちょっとしたいい女だと評判だったんだから」と言ってもだ~れも本当にしてくれなくなる時が来るのですってば。きっと。
えーと、そう、七夕の話です。
孫達に一応英語に訳して話したのですけれど、これが私の翻訳ミスで、第一作目はまるでコメデーもどきになってしまいました。
ウィーヴィングプリンセス&ブルケアテーカーの話は失敗作です。「何故プリンセスなのにハタ織をするの?」「サァ、きっと財政が苦しくなってタックス(税金or年貢)をとりたてられなかったのじゃあないの」
「ブル(雄牛)の世話役よりカウボーイと一緒になれば良かったのに」「そんな事いったってカウボーイはちょっと荒々しくてタイプじゃなかったのでしょうよ」
といった具合で、、。アメリカ人に日本民話を訳すのは必ずしも簡単な事ではないのです。
それで、いつからか、七夕には私独りが心の中で密かに彼等の逢瀬を応援するようになったというわけです。
最後に一つつけ加えるとですね、私が渡米して来たのは40年前の七夕の日でした。ロマン、ロマン