12/30/2007

軽くお喋り16 -腰振り体操


暮の大忙し出勤のせいのものか、体がバンバン、コチコチ、プクプクなのであります。筋肉が張り、固まって、手足が太~くなってしまったわけですね。
足を投げ出してソファにかけても、足枕してベットに横なっても、どうにもバ、コ、プ感を治めることができない。
『フ~ム、これは本格的な疲れだわい。2日の休みに家事をしながらではちと無理のあるしつこさではないの』と自分の老体ぶりに落胆したのでした。
頭だけでもリラックスと古本を取り出して読み直したり、デジカメから写真をダウンロードしたりしてみると、今度は目から脳の疲れがドットばかりに押し寄せる感覚にとらわれ、『なんだァ、私一個丸々使いものにならなくなっちゃった』と思っただけなのでした。
とはいえ、この休みの間に日頃の生活諸事をかたずけていかねば新年になっての持ち越し雑用は極力避けたいもの。
レンタルのDVDも見終えて返さなければならない。山の洗濯をかやつける間にみてしまおうかな。
その洗濯ではない、選択は正解でしたよ。
DVDでバラィテーショーで“腰振り体操”なるものが紹介されたので、運動不足ではないはずなのに、不健康まん丸バコプ体を整えるのは、もしかして?とばかりに一緒にやってみたのです。
幸いにも家の中は私だけで、子供達はママの家にお泊り、夫は相も変わらずプールサイド住まい(蛍族なんてものではありません。側にビール缶を詰めた冷蔵庫とお気に入り政治番組が聞けるラジオ、そしてタバコがあれば家の中に入るのはトイレ使用と睡眠時だけ)息子はバイク乗りに出かけ、家の中は私と猫一匹、犬2匹なのであります。

両足を肩幅に開き、膝は曲げずにそのままおへそを中心に置く気持ちで想像の浮き輪に沿ってゆっくりと円を描くわけです。これを1日30分。
簡単なのと、食事制限無しで体調を整えられる方法というのが、私には心地良い響きに聞こえたわけです。
動物達が揃って「え~?何やってるのォ?大丈夫なの?」という顔で私を見上げる中。私はユラユラ、ユサユサ、くる~り、右に10回、左に10回、はい、そしてまた右に20回、左に20回と、、、。
さて、たった1日の体操でも効果はあるものとは思えないけれど、プラシボ(脳の思い込み擬似効果)ということだってあるしね。

とわあれ、効果の程は、、。夜間の喘息発作で一度は夫に心配かけたけれど、朝の目覚めはいつもより何となく爽やか。眠気顔で鏡の前を通り過ぎると、オーッ。アレっ、ウェストが出来ている!(ウェストは出来るものではなく、あるものだとおっしゃいましたか貴方。それは塾老年女性の体型に通でない証拠発言ですね)
体の脇がすっきりしてですね、大きな下半身はまだその体操に目覚めていないとしても、昨日の大食いも体の中に溜まった様子がないのです。
それに足取りが軽やかになって、いつもの「よっこらしょ」という思いで降りる15の階段も久しぶりのトントントンでありましたッ。
体のむくみが取れて、今朝の気分は上々です。
やって良かったァ、腰振り体操。これからも続けなければ。
うん、やるぞ~。何せ簡単、そして食事制限無し!(なんて、馬鹿食いはお止しなさいよ。ハイ了解と、軽受けする私。)
プラシボでもいいから、続いて欲しいなァ、この効果。

クリスマスツリーを下ろしてかたずけようと夫が言います。いつもは新年のお祝いまでそのままにしておくのですが、今年は8フィートのビリヤードテーブルを入れたのでツリーがプレーの邪魔をするわけで早めにかたずける羽目になり、昨日までの疲れた私は「う~ん、ちょっとまってて~」といってあったのです。
腰振り体操が利いたと思っている今日のうちにツリーを下ろしてしまおうっと。
いつもながら、単純な私です。

12/15/2007

軽くお喋り15


シークレットパル

いえね、小学生の、はたまた近頃ヌッと大人びてきたティーンの、孫のお話ではありませんよ。
私にです。いるのですよ。シークレット・パルが。ホント。
「何ィっ」と眉をひそめた方、「くくっー、そのウソ本当?」と言われた貴方、「その年で何て愚か者!」と横を向いてしまう彼女、「そんな事無いっしょ」と大口開けて大笑いしたそこの僕、「お気の毒様~とうとう脳の具合が壊れてしまったか」と同情の目を向けて下さる友人達にお応えして、え?そんな事聞いてもしょうがない?でも聞いて、聴いてよ。還暦のお祝いのラブ・ストーリーでアリマスゾ。
不倫なんていうのには何千マイル、何万キロもずずーっと程遠いお話のそのまた別世界のお話で、ま、私のは一種のハウ・ツー・リブ(生き抜き-息抜き技とでも云いましょうかね)モノグサ人間の私としては上出来なハウ・ツーなのであります。
何せ『ハポネ、オリエンタル、Nippon人』とは、どこの異星人?といった感覚の彼等にとって、「もしかして彼女の50代というのはこちらの(は?どこの?)20代の事に違いない」と勝手に解釈する人間達が回りにいる訳で、「貴方の国の一年は何ヶ月?」なんて馬鹿な質問を受けることもあったりで。
旧正月があるからにはこちらの陪の数を年令に合わせているのかもしれないと思ったものか、50代後半、今は60代突入の私を30代か40代と思っている人が大勢いるのであります。(また、その嘘本当?の声あり)
ドラッグストアで夜勤の折には若い男性ストーカーがいたり、毎晩挨拶に寄る若者がいたり、私の息子より年下の主任社員になつかれたりの一連のプラトニックゲームが三年間ほどありました。
「な~んだ、大風呂敷広げて、自分のモテ自慢をしたかったんだア」と言いましたか貴方。
19才で幼いパピーラブしかしないうちに英語もThis is a pen.位の会話しか出来ないでの渡米ですから、やはり青春を思いっきり謳歌しきっていない不完全燃焼のような恋愛体験だけで、「ああもう面倒だから、ここらで結婚してしまおう」と安易に結婚生活に入った結果が今の私の人生をなしているわけです。(でも、いい人がその“ここらで、どうでもいいや結婚”の相手であったのが、幸運でしたッ。と一応声明しておかねば、、、。)
えーっと、そう、シークレットパルのお話でしたね。(いつも脱線、横道にそれてしまう私の話、困りものです。お前が困ってどうする-はア、誠持ってそのとおりでごじゃりまする。コラッ、ふざけてまた話が脱線するよ)
ある時期から不良店員からの嫌がらせに伴い、私への応援メッセージをくれる人がいる事に気ずき、「さて、このシークレット・パルは誰じゃいね」と考えた末、数ヶ月前に一計を案じて、毎週私自身の生活観や人生観、恋愛感にちなんだカード式文面の作詩と挿絵を掲示板に張り出すことにしました。
ところがですね。この詩に応えて言動する人間が3人ほど現れて、ありゃ~これでは誰が真のシークレットパルなのか判らないのではないの。
でもね、その私の詩のなかで、“家族を守る強い貴方の姿が、誰の目にも貴方が人間として、仲間として、友人として心強く思えるのです。”という行があった週から、回りの誰もが家族の想いを告げるようになった事が私にはとても嬉しいアクシデントでしたし、“動物を愛し、人を愛し、自然を愛し、生活をじゅうにぶんにもエンジョイできる貴方”とした週にはペット愛護グッツが手際よく整頓され、チームワークにも力が入った週でしたしで、このシークレットパル探しは無駄にはならなかったかもなアなんて勝手に思ったのでした。
シークレットパルが誰なのか判ってしまえば、もう秘密でもなんでもない唯のパル(仲間・友人)ですから、このままちょっぴり恋人的なニュアンスのあるシークレットパルでいられる方がずっといいのかもしれません。
因みに私がベストフレンドと呼ぶ薬局課薬剤師の友人Jは私とはメル友で(メール交換は何か注意事項や問題が起きた時だけなのですけれどね)、というのも月に店内で顔を合わせるのは2日ほど数分という感じで、最近支店長Vが自分もそのベストフレンドの輪に入ったのだそうだ。(と、当人が他の人に話していました。一応私のボスですから、メール交換などしませんけれど。あははは。これまた変な人)
夫が私のシークレットパルに嫉妬しないかって?
ま、それは無いでしょう。お互いの友人や生活を大事にしているつもりです。
(私は密かに夫には「何たって、貴方には私が一番合っている」と洗脳してありますのでね。)人からは彼、70代、私40代の年の差があると思われていますので、私が若い友人の話をすると可笑しいらしく、自分が賢い年配と感じるようで案外優越感に浸っているのやもしれません。
『君は心の伴侶なのだ。いつでも一緒に協力して太陽に向かって生きていこう』が先週のシークレットパルからのカード。
うん、誰だか知らないけれど、太陽に向かって行こうね。
で、私の体力が体調について行けなくなった時に「今までの応援、ありがとう」といって笑顔で貴方から消え去る私です。
(お~、何か格好がいいお話をしている気分になりましたですよ!)
しかし、シークレットパルさん、貴方は一体誰?

11/02/2007

ハロウィン - 人間模様


割引は? その1


キューバ方面から熱帯性低気圧嵐が北上してきているらしく、今年のハロウィン日は雨天によりキャンセルされるかもしれないとの話もあり、ハロウィン当日まで子供達に配るキャンデーを買い渋っていた人々が、曇り空を気にしつつも山と積まれたキャンデー棚は「配る事ができなくても自分達家族の好きなキャンデーなら買っておいてもいいか」との思惑もあって混雑を極めていた。
ハロウィン当日は時間帯によって売り上げ量と、値を計りにかけてレジスターとマネージャーが値踏みしながら即計算で割引値を打ち出す方法が取られた。
私が勤めるそのドラッグストアは我が家から車で4分という大道りの真向かいにある為、多くは私のお隣り近所の人々であり、顔なじみ常連客である。
と、私のレジ前に立った金髪の中年女性が、ちらりと後列の人々を眺めた後に、「あ、貴女は私の息子Cとお友達のシャーンとデビットのグランマですよね。パーティの時にお見かけしましたよ。」と笑顔で言う。
「そうでしたか。またお目にかかれて幸いです。今日は子供達の楽しみなハロウィンですねェ」と私。
すると、当の女性はぐっと上半身をカウンターに近ずけ、声をひそめて言う。「貴女が値を決めているようですね。それにここでは貴女は割引が貰えるのでしょう?」
私は彼女の小声の意図が解からずに「ええ、一応。雇用人割引はありますよ」と応えた。
笑顔でレジを済ませ、「またお会いできるといいですね。息子さんにも楽しいハロウィンでありますよう」と言って次の接客にかかった。
彼女はその場から直ぐ立ち去ろうとせずに私が渡したレシートを眺めている。そして、彼女は小声で言い放った。「あら、これが私にくれた特別雇用人割引なのかしら?」
えっ?私は耳を疑った。次の接客の合間にも私の笑顔は崩れなかったけれども、片目と片耳はその場に立つ彼女を観察している自分があった。
そして彼女は私とマネージャーとで打ち出した特別価格を彼女に対する割引と勘違いした物か、またキャンデー棚に向かい2袋のキャンデーを抱えて私のレジ列後方にそ知らぬ顔で並んだのである。その時は1袋8ドルの大袋入りキャンデーが-これがかなりの大きな袋で-2袋目は1セントだったのです。

私にとっては初対面にも近い面識もないご近所さんが、あのように『割引しなさいよ。知り合いなんだから』と言ったことに多いに驚いた私である。
ケチとか、せこい人間に驚いたというのではなくて、自分の家族でさえ当然の権利と渡された私の家族割引を使いたがらないのに、その他人の不条理を平気で通す人間がいるのが考え難かった訳です。
私自身ではいつも他人には出来る限りのお手伝いは惜しまないつもりで、時には握り締めて意気揚々と買い物に来た子供が税金計算をしなかった為にお金が足りなくて泣きべそだったり、ミルクの金額にちょっぴりの差額が出て困った若いママなどには私のポケットマネーをそっと渡してあげるけれど、それは稀な事でもあり、しかもこの一辺ご近所さんはどちらかといえば所得が中級以上の家庭が多いはずで、どちらにせよ経営業務に於いて、個人がチマチマと売り上げをごまかすのは泥棒と同じ行為なのであり、一種の犯罪ではないのか。、
帰宅後その驚きを夫に話すと「そんなことで今更驚くなんて、君らしいよ。そんなのは私は犯罪の片棒を担ぐつもりはありませんと言ってやればいいんだよ」と笑われてしまったのだった。

割引は? その2


「その女性のお客様のカートの中身は全品一律1ドルとして下さい」と支店長。
その女性のレジを終えた後接客合間を見計らって支店長に質問をした。「あの49ドル99セントの子供縫いぐるみ衣装が1ドルとは税金を支払ってもマイナスになるのにあの8着ともが各1ドルとはどうしてですか。少なくとも税金分を頂けるような値にした方がよかったのでは?」
「いいんです。あの女性はあれらの衣装を学校に寄贈するらしいですし、もう3年も倉庫に眠っていたのですから、来年は新しい衣装をデスプレイしたいのでね」
しかし、私は納得がいかない。私はこの支店長以前のこれ等の在庫を山ととした前支店長に雇われた人間である。(後、前支店長は山と売れ残し在庫品やその他の理由で会社を解雇されたのです)
一昨年まで在庫品整理に終われたわけだが、今年には全品処理がなされ来年度からは現支店長の仕入れによる画期的なシステムになるとされている。
私は支店長交替時に10ヶ月勤務から遠ざかっているわけで、(孫娘のバトントワーリング大会出場の年中遠征旅行やらの世話もあって)再勤務に当たって、まず在庫処理が唯のゴミ処理として扱われた事で赤字経営を承諾しているのに驚いた私であった。
賞味期限3ヶ月内商品は全部廃棄されてしかるべきなのだが、賞味期限に関係の無い人形、アクセサリー、バック、ブラッシなどがトラック何杯も捨てられたのであった。私はこれ等の品を私設に寄与するとか、大特売で売らなかった事が不思議でならなかったのだ。多分会社の数々の不手際のしわ寄せをそこに集めて、処理せざる得なかった物なのかもしれない。
経営に関与していない一介の雇用人では想像だに出来ない理由があったものにちがいない。
しかし、今年からは吾が一店舗はノルマを達成したばかりか、地区に新しい風をもたらしたらしく、支店長の口ぶりでは古い物は捨てても良いものらしい。
地区長と支店長の間で処理法が話し合われていた物らしく、地区長秘書からの電話を受けた支店長の報告で「どうやら彼女(私)は極端な割引にも反対反応を示しました。』と伝えたのであった。
この時期に支店長各以上の会社管理職には年末ボーナスが年内売り上げノルマから出されるのである。その金額はかなりのものらしいが、以下雇用人には唯の大忙しの年末体力消耗勤務期なのである。
それで、私は管理職ノルマの為の販売ではなく、経営上売り上げとして販売力向上が我々雇用人の給料に向上をもたらすべく収入を入れたいと願ったわけだが、これは経営学無知人間の戯言なのかもしれませんが、薬剤師を除く店員の日給はあの縫いぐるみ衣装一着分といったところなのですから、この厳しさを何とかしたいと思っても悪くはありませんよね。

身体障害をもつ子供達

ちょっぴり哀しく、そして楽しくもあった。我が家のハロウィン。
孫娘のボーイフレンドのC17歳は母子家庭であり、母親が2つの仕事を持って忙しいので7つ年下の義弟Aをずっと世話をしている。
Aは足筋肉の障害を持って生まれ、今はやっと物につかまって歩行可能なのだが、その殆どを車椅子で生活をしている。生涯を持って生まれたため、Aの世界は普通の子供達とはまるで違い、頭脳に障害が有るわけではないのだが、母親と兄C以外の人間との会話はこの二人の指示のみに反応するといったぐあいで、通常会話はしない、いや、出来ない。(多分、脳の反応訓練はこの二人の声のみレジスターしているのだろう)
兄Cと普通に会話をしているのを見て「今日は何になるの?衣装は?」と同年学のデイビッドが話しかける。が、やはり反応が無く目はずっとテレビに向かっている。兄Cが「ほら、今日は何になるのさ。海賊だと応えなさい」と言うと「海賊になるのさ」と応える。
家の前で皆で写真を撮り、いよいよ近所廻りをしようという時、Aが自分で歩いて行きたいと言い張る。しかし外は暗い上に大勢の子供達が駆け回り、ゴルフカートも何台も仮装パーテーから繰り出した大人達が出回っている。Cは義弟Aの安全もそうだが、他の皆に迷惑をかけてはいけないとの気持ちから「駄目だ!車椅子に座りなさい。僕が押していくのでなければ、連れて行かないから!」と厳しく叱る声がした。「何だよ、バカ!皆あるいてるじゃないか。車椅子の海賊なんているものか!!」
結局渋々車椅子に乗って近所廻りをはじめたのだった。家に戻ってきたら直ぐ椅子から下りて自分で椅子を押しながら歩いてみると、案の定、椅子だけが前方に動いた為にAは車庫前でハンドルを持ったまま上半身は椅子に寄りかかり膝から臥してしまった。「何をやってるんだ。起きなさい!早く起きなさい!」とC。Aはちょっとふざけたんだよと言わんばかりに照れ笑いして起き上がり、ハンドルを放して兄のいる方にむかったのだが、足がもつれ、瞬時Cが両腕を伸ばして抱きとめたので頭から転倒する事を防ぐ事ができたのだが危機一髪であった。
同時に近所の父子連れが「トリックォァトーリート」とやって来た。この時やはり8~10才くらいだろう男の子が奇声を発した。体一杯で何やら楽しいことを表現し、私達に知らせようとしている。この子も身体障害者なのであった。
言葉にならない言葉に私と夫はそれぞれに「本当に、良いハロウィンだこと。」「君の仮装もなかなかのものだねェ。」と、この子供の奇声に合わせて会話をしたのである。この会話がかみ合った反応であったものかどうかなどとは誰も笑いはしない。お父さんも明るい顔で「本当だ。すごいキャンデーをもらったねェ」と一緒にひと時の不思議な会話を交わしたのであった。

皆が去ったあと、夫と二人「我が家の子供達は健体者であることを感謝せねばならないねェ。障害を持つ子供達との生活はさぞかし障害者とそれを世話する家族共に並大抵な努力が必要なのだろうし、その試練を思うと並大抵なものでは済まされないのだろう。それらの人達を思うと本当に辛い事だ。」と涙したのであった。

今朝孫娘の話ではニューヨークに住む義弟Aの父親が癌の緊急手術をするのに立会い面会に兄CがAを連れてニューヨークの病院に向かったそうだ。(Cはこの身体障害の義弟を連れていつもこのような訪問旅をするのだ。)これまた何だか哀しい。

10/25/2007

軽くお喋り14 -水



もう少しでハリケーンシーズン終了となる。(6月~11月がシーズン)今年2007年は日本では台風9号が多くの被害を人々に与え、アジア各国でも水害が多発する中、この州では大きなハリケーンの襲来に見舞われる事無く行過ぎていこうとしている。
この亜熱帯性気候のフロリダ州では年中大量の飲み水の販売が成されている訳だが、ハリケーン時の給水販売には長蛇の列がなされ、山のボトル水もあっという間に売り切れるのである。
しかし今年は非常に備えての山積みのミネラルウォーターが倉庫の中で売れ残り、クリスマスの飾りつけなどの商品を置く場所に窮した勤務先のドラッグストアでは、急遽その販売対策を考えたセールが打ち出されたわけで、今日も転倒にはボトル水が山と積まれており、あと一週間程に来るハロウィンの飾りつけと、これ又山と積まれたキャンデー袋と背比べの態である。
その天井と窓ガラスには早、クリスマスの飾りつけもなされ、『水、スケルトン、キャンデー袋、雪だるま&天使』といつもの何やらごちゃ混ぜシーズン飾りが笑える。

私の前に立ったご夫人はそのカートの中に24本入り水ボトルパックを8個も積んで来られた。つまり192本ものボトルである。
「何か学校の行事、催し物にお使いでしょうか?」と私。時に学校の行事などで使う品には地元教育協力として支店長が特別値を提供する事もあるのだ。
「いえね。ハロウィンのトリートに使うんですよ。汗をかきかき仮装で走り回る子供達にキャンデーばかりをもらうより、水を上げる事ににして今年で3年目なんです。子供達ばかりか、それに付き添って歩く親御さん達にも評判が良くて、『本当に助かります』とお礼されたり、『まだ、水が残っていたらもう一度貰いたいなァ』なんて戻ってきたりする子供がいたりして、良いハロウィンとなるのですよ。」
なるほど、仮想で歩き回り大汗の上にキャンデーを食べてハイテンションになっている子供達にはこのトリートは嬉しいものに違いない。
「良いハロウィンをお迎えください。」と言って代金を受け取った私もにわかに体が水を欲しているのが感じられ、側にスタンドバイしてあるボトル水をごくりと飲んだのであった。

アメリカ人のコカコーラやペプシなどのソフトドリンク消費率はかなり高いものである。我が家にしても例外ではなく、孫達3人と息子が年間に飲む飲料費は、そもそも高い家計エンゲル係数を更に高くしている。
火山が多く、緑の谷間から流れる自然地下水を飲む事が出来た日本での幼少時代とは違い、異なるあちらこちらの州各地を回っての在米40年間のうちに化学処理を施してある各地での水道水を飲む事が嫌いになってしまっていた。
ある時期からは甘いソフトドリンクも体が欲する事が少なくなってきて、加齢と共に自分の体内の水が日に日に乾いていく、いわゆる老化現象が現れるにあたって、にわかに『人間の体の殆どが水分であるのだから、水の補給を充分にする事』といった当たり前な教訓のようなものを建前に水ボトルの購入する私がいた。
ボトルを側にいつもおいて、夜は夜で、べっとの枕元に置き、給水を心がけたのである。
ところが、ところがである。確かに潤いのある肌つくりには一役かったものであるならば、さぞかし『水もしたたるいい女』になったはず、、と思うところ、そう事が単純簡単極まれば今頃の私は、そのしたたる水しぶきで虹の後光をしょって歩いていても可笑しくは無いはずだ。が、そんな巧い話があるわきゃァない。
いつからか、夜中にはゼイゼイ、ゲホゲホと咳に咽んで熟睡は保たれず、短時間の-仮眠・ゼイ・ゲホ・水・仮眠-といった事を夜長繰り返す事で体に不調をきたしてきた。日中も更年期熱の為かちょっとした動きでも大汗をかく始末。
確かに『水のしたたる女』になったのかもしれないが、それがツバと汗というのでは、いい女どころか、単に汚いオババに成り果てた気分に私は多いに落ち込んでしまった。
滅多に医者通いを善しとしない私であったのだが、夜の仮眠・ゼイ・ゲホ・水・仮眠が日中には接客・ゼイ・ゲホ・水・勤務となっては何とも不都合になってしまうのを恐れ、医者の言うとおりの治療法やらテストやらを受ける羽目となってしまった。
レントゲンでは右肺に水が溜まっているという。しかしそれが何が原因なのかを突き止めるべく更なるテストが行われたのだが、CTスキャンでも悪い物を発見する事もなく、殆どのテストでは胃酸過多アレルギー体質と、少々(イヤ、だいぶかもしれない)の体重オーバーを除けば、健康体であるらしい。
或る日、いつものボトル水の買い置きを忘れ、已む無くボトル無しでベットについた日が2,3日続いた時、いつものゼイゼイで起きる回数が少なく済んだようなのに気がついた。
夜中に水を飲まない翌朝は体のむくみも少なく、いつもの大顔がちょっぴり、輪郭がはっきりしたひきしまっているかに見える。(あくまでもこれは私の目での感じ方なので、大顔が小さくなったわけはないのである。)
そのことを医者に定期診察に行って告げると、「あぁ、それはですね、貴女は胃酸過多なので、横になっていると胃酸がに体を逆流してくる為に体内に納められた水が胃酸と一緒に胸中央に上がってきて水が肺に流れ込むのかもしれませんね。大体右下で寝ている時がそれが起きるのでしょうね」とのこと。
なんだ。もっと早くにそういってくれればいいのに。「右肺に曇りアリ」なんて脅かしてくれてぇ。「CTスキャンやら、他色々なテストも何事も無い事が証明されたわけだから、良かったでしょう」と医者は笑顔で言った。
う~ん、これって良かったのかな。医療保険とまたそれだけで賄えなかった医療費がど~んとかかったのに、、、。
飲料水の量を減らす事で咳きはかなり納まったが、今度はアレルギー体質性のコホン・ゴホンがあるので吸入薬を貰っている。
これで、私は永遠に「水もしたたる、いい女」とは無縁になってしまった。

水は少なくても、あまっても、困るのものですね。

8/07/2007

軽くお喋り13-七夕


そうだった。北海道の七夕は8月7日で本州の七夕より一ヶ月遅れなのです。
という事はですよ、織姫と牽牛は7月7日に天の川を渡って再会し、また一ヶ月後に2度目の再会をするということなの?と、幼い頃の私は不思議に思ったものでした。「年に一度の逢瀬だと聞いたのは、嘘だったのかもなァ。もしかしたら他の国の空でもまた会っているかもしれないし、、、。」なァんて思ったりした変な子供だったのです。
どちらにせよ、私はこのような悲恋物語に憧れを感じていたわけです。
私はちょっと好きな男の子に出会うと必ずこの哀しき二人の恋人の話を聞かせます。ロマンチックだなァと思うからで、ところが大抵の男ドモの反応は「何故一年に一度の逢瀬なのさ。家族に反対されようが、身分が違おうが、関係ないね。要は当人同士の問題さ」などとほざきます。
違うんだってば、女というものは哀しき恋に陥って、そして生涯その人に思われて生きるというのが夢なんだってば。
現実的に男のよう考える、会った、つきあった、成す事を成して(?)はい、性格がちょっとあわないようなのでこれで別れよう、、なんてのは面白くないのです。ドラマが欲しいのです。ロマンを夢見たいのです。
しかしですよ、現代の若い女性はもっと現実的なのかもしれませんね。
「バカ殿様でも男が女中女を抱えるのはよくって、姫は下男や牛飼い男とは品格が合わないから結ばれなかったなんて、不公平じゃない。それに今や社長に取り入って、その娘と結婚してエリートコースに乗るような逆玉ケースが結構あるではないの。オバサンはこれだから古くて嫌よ」との仰せです。ごもっとも。
でも、それでも、私はですよ、この私は古くて結構。一年に一度の逢瀬の哀しき想い、織姫と牽牛、春樹と真知子(この名前に覚えのない方にはお話しても仕方ないかもデスケレド)なんてのに、胸を痛めて涙するのが私のロマンなのです。
私もですね、こうして海外に出たの頃にはいたのですよ。将来結婚するのかもなァと思っていたボーイフレンドが。
海の向こうから、「虹がかかったら、それは私の涙が光となって、貴方の所へ向かっているのだからね」なんて乙女チックに想っていた頃があったのですってば。
それなのに、今現在は何故アメリカ人と結婚しているのか?とお聞きかしらん。
さァ、そこですよ。(どこだ?)
ロマンというのは一生夢見ておくもので、現実にしてはいけないものなのです。
ン?何たる矛盾。
だって、子供の頃、お年玉を貯めて、これだけあればアレを買って、これも買って、それからそれを食べて、、と思ってワクワクした時の事を考えるに、実際には何も実に成らない、くだらないものを買ってしまって後には虚しさだけが残ったという経験は誰にもあるのではないですか。
アレもこれもとおもっているのが、実際に手に入れない方が良い場合があるわけですよ。な~んだ。まるでトンチンカンな、あて話をしてしまったようです。
要は私の云いたかったのは、この年でさえ、いえ、この年になってしまっては尚の事ですよ織姫と牽牛のような逢瀬があるというのに憧れるのであります。
しかもですよ、織姫と牽牛は永遠にうら若い美しい恋人達であるわけでしょう。これを羨まない女性はいますかって。
「はーい、私はそんなの羨ましくない」と言った貴女。今が若いからそう言ってられるんですよ。いつかは「私も若い時はちょっとしたいい女だと評判だったんだから」と言ってもだ~れも本当にしてくれなくなる時が来るのですってば。きっと。
えーと、そう、七夕の話です。
孫達に一応英語に訳して話したのですけれど、これが私の翻訳ミスで、第一作目はまるでコメデーもどきになってしまいました。
ウィーヴィングプリンセス&ブルケアテーカーの話は失敗作です。「何故プリンセスなのにハタ織をするの?」「サァ、きっと財政が苦しくなってタックス(税金or年貢)をとりたてられなかったのじゃあないの」
「ブル(雄牛)の世話役よりカウボーイと一緒になれば良かったのに」「そんな事いったってカウボーイはちょっと荒々しくてタイプじゃなかったのでしょうよ」
といった具合で、、。アメリカ人に日本民話を訳すのは必ずしも簡単な事ではないのです。
それで、いつからか、七夕には私独りが心の中で密かに彼等の逢瀬を応援するようになったというわけです。
最後に一つつけ加えるとですね、私が渡米して来たのは40年前の七夕の日でした。ロマン、ロマン

6/27/2007

文句あっか!その3 天使



すわッ、心霊写真か?と最初は驚いた私達、なんとよく調べると、何てことはない。唯の撮り辱なり~、というお粗末なお話。
これを文句云わずしておられようかといった私の今の気持ちでアリマス。

毎週水曜日の夫の出勤は夕刻に定例会議出席の為にいつもよりも遅いので、火曜夜は深夜過ぎてもなかなか就寝しないのです。
「起こして悪いけれど、カメラはどこかなァ。ちょっと気になるのを今写真にとってみたいのだけれど、、」と夫が寝ていた私のところに来たのがもう午前3時近かったようでした。
カメラを手渡してまたベットに就いた私でしたが、朝私の出勤時間には夫はグウグウイビキの人であり、カメラは私のバッグ(お気に入り和製巾着であります)に戻されていたので、そのまま出勤したのです。
お昼休みに夫が何を撮りたかったのかとデジカメを覗いて見ると、ヤヤッ!何やら不思議な写真が数枚あるではないか。
さっそく「いったいこれは何を撮ったの?」と夫に電話してみた。
「あァ、どういう風に撮れているのか見てないのだけどね、顔が二つ見えたと思ったんだよ。写真そのままにしておいてよ、見たいから。帰宅したら説明してあげるからね」と言って会話終了。
え~っ、顔が二つ?何処に?でも、この黒々とした陰はナンナノダ?
それにこの光の玉は?よくみるとスマイリーフェイスにも見えるし。
光の玉が数個あるのと、無いのと、、それに陰が左から右に移動していて、不気味ではないか。
いつも霊感があると云っている主任長Lさんにこっそり見せたのでした。
「あ~、これはねェ、天使よ。絶対そうに違いない。貴女のハズバンドには天使がついているんだわ!貴女のご主人はとても心の温かい人なんでしょう」と彼女は自信ありげに言う。
「えェ、まァ、、人間的には善い人間の一人と私は思っていますけれど、、」と私。
まァ、そう云えば、数年前にあと半年の命と宣告されたあの時も全く予期せずしてミラクルが起きたっけ。レントゲンにも映って見えなかった異例の心臓脈が手術中に発見され、6箇所のバイパス手術を受けて、今こうして普通の生活を営んでいるわけですから、あれが幸運の女神か天使の仕業でないとしたら説明がつかないわけだし、、、。

帰宅して昨夜夫が写真を撮った場所でのんびり葉巻をくゆらしている息子に「ネェ、これどう思う?」と写真を見せたところ、これは愉快とばかりに息子も乗り気になって写真検証をしてみようという事になったのでした。

結果発表いたしま~す。
検証の結果、この光の玉はフラッシュの反射光がチリにあたった結果のようです。
それとこの陰は光センサーを部分的に左指が抑えてしまっている為のものです。
しかし、夫が顔を二つ見たというのは一体何なのでしょう。
と話していると、当の夫が帰宅しました。
「どれどれ、写真を拡大してスクリーンに出してみてごらん。ほらね、この水泳ショーツの下部のしわが一方は男の横顔に見えるし、もう一方も半分がほら、目と口と頭に見えるけれどなァ。ほら、あの、心理検査に使うような、一旦そう見えると頭がそうとしか見えなくなる事ってあるからね」
な、な、なんだッ?
ショーツのしわァ!!黒い影は関係なかったの?それに、光の玉は?
『クレージィ!バッカじゃなかろか』あのねェ、ショーツのしわを撮る為に朝の3時に私を起こしてカメラを探した訳?
世界中を股に航空支店建て直しをして回った貴方、そして今は大学で偉そうに人を使っている貴方。なのに、なんて貧相な考えなのッ!
早とちりした私も悪いけれど、しかし、ねェ。
あ~、今日の半日を何となくワクワクして色々考えた事、すごく恥ずかしいワィ。
それにしても、この次主任長Lさんに会ったら、「夫が見たものは天使ではなくて、ショーツのしわでした」なんて云えない。絶対に云えない。

貴方、これからはやはりもっと早く就寝なさることをお奨め致しますですワヨ。

6/09/2007

軽くお喋り 12 - お久しぶり、またね


久しぶりにSさんが来店した。Sさんは以前一緒に夜勤をしていた2児の母Dさんのご主人である。そのDさんという仲間は最後の最後まで明るい笑顔を絶やさずに癌と戦って逝ってしまった、私にとっては何時までも心の奥に思い出を残していった人なのです。
「子供達は元気にしていますよ。私達もなるべく妻のいた頃と同じに明るく生活していくように勤めています。とにかく妻は苦しい時も悲しい時さえ私達に笑顔を絶やさないでいてくれましたからね。」とSさんは笑顔を見せて云う。
小旅行をするのに必要な小物を買いにきたそうな。
「楽しい旅行をなさってね。またの日まで、さようなら」と手をふって見送ったSさんの後から笑顔のDさんが私に手を振っているような気がした。

久しぶりにI君が来店した。I君は4年前にカメラ部の店員をしていて、当時ティーンの彼の勤務態度はどちらかと言えばあまり高く評価されてはいなかったようでした。
彼にしては東洋人と一緒に働くのは初めてとの事と、私の年令不肖なところもあってか私を仲間として受け入れてくれた風であったが、特別親しく会話をしたことはなかったのです。と、或る日、突然に4人もの解雇者が出たその一人が彼でした。解雇理由は年少者飲酒取締り違法という事でした。当時若い勤務仲間が集まってゲームをしたり、パーテーに出かけたりしていたそうで、勤務先店飲酒部から年少者であるのに仲間に飲酒物を販売させてロッカーに隠していたのをみつけられてしまったのでした。
久しぶりに見るI君は大人になって話し振りもしっかりしているのにちょっと驚いた私でした。
「ロングタイム・ノーシー!(久しぶり!)ハウ・ハヴ・ユー・ビーン?(元気?)」との私に応えた彼は「ドゥーイング・ジャスト・ファイン!(とっても元気だよ!)」とちょっと胸をそらして笑ってみせ、そして続けて云うには、「今はマイアミ市でポリスマンをしているんです」と。えっ?ポリス?年少者取り締まりに関わった君が、今は年少者取締りをする側なのね、今度は。へェ~~。
多分過去の解雇事件が彼に良い体験となったのやもしれない。
彼の顔はポリスである事の誇らしげな輝きに以前のパンク(小僧)時代の風貌を打ち消してしまっているのを見た私はそうと確信したのでした。
若いときの失敗を将来の成功に活かした良い例を見た思いです。
「ハヴ・ア・グレート・デー!(じゃあ良いお暮らし)テーク・ケア(身体には気をつけて)」「ユー・ツゥー!(貴女も)シー・ユー!(またね。)」

久しぶりにHさんが来店した。彼女は私が日中勤務になる為に新しく夜勤に雇われた3人の内のひとりで私がトレーニングした一人でした。勤め始めて2ヶ月程で彼女は夜勤の仕事量の多さと、難しい人間関係に嫌気がさしたという事で退社、今は最寄の総合病院の会計の仕事についているそうです。
「私は貴女の様にはやって行く自信もなかったし、何せあんなわずかな給金でマネージャー達の仕事を廻されるのには我慢がならなかったのよ。仕事は次から次に増えていく一方で、神経は磨り減る一方なんて、割りに合わない仕事だと気がついたのですぐ辞めることにしたわけ。ま、今の仕事もおいおい不満が出てきてはいるんだけれど、ここよりはマシかなって思うんでね。」と彼女。
良かったじゃない、ここでの辛い2ヶ月が貴女を一回り大きくして、ちょっとの不満には巧く対応出来る貴女が今あるのだから。
私も今までの人生で数多くの仕事についてきて、今はまたその原点に立っている思いなのですよ。
人間はどのような立場でもその体験を次の生活に活かす事ができますものね。
「ハッピー・ツゥ・シーユー!ホープ・ツゥ・シーユー・アゲイン(貴女にお会いできて本当に良かった。またね。)」

5/19/2007

文句あっか!その2 年相応


オェッと目を見張ってしまった。
暫く行っていない美容院の鏡に映し出された顔は、目の下にタプタプと水が入っているのだろう、半月状の膨らみがあり、ボサボサに伸び放題の髪は好き勝手な方向に毛先は大波と小波が打ち、白髪染めのカラーが頭上と半ばと毛先でははっきりと3色であり、その疲れ顔を更に疲れた成りと相まっているではないか。
家のバスルームの大鏡では日頃のなりふりをそうも気にしていなかったものか、こうして明るい美容室の鏡の前ではこの様は大いに驚きに値するものであった。
「ええ、どうでも貴方がヘアスタイリストとして一番私に適していると思う風にして下さい。」と私。
「任しておいて、ママ。私先週サンフランシスコに研修に行って来て、最新の色相や適切美容を心得てきてますから。」とイカツイ身体にヒゲ顔がそのオネエ言葉に不釣合いなヘアスタイリストは張り切った声を出したのだった。
(なんで、私をママと呼ぶのヨ。マダムとは呼べないとしてもよ、ママはちょっといただけないではナイノ。ジャマイカの人なのでしょう。ここの人達は親しみを込めて女性の事をだれでも『マミー』と呼ぶのです。でも再び、『私は貴方のママではないよ~っ』と)
手馴れた風に分けた髪の一束々々に銀紙を差し入れ、その上を刷毛でぺタぺタとハイライトブリーチカラーを塗りたくる。
その間、何やかやと世間話と私生活の質問などが口数多く、(これは客を値踏みしたり、世間情報を集めるのに役立っているらしく)辟易した私は少し目をつぶって無視を決め込んだ。
ハイ、次はドライヤー、洗髪、ヘアカット等の言葉合図に目を開け移動して、また目をつぶるといった2時間半後、「ねェ、良いと思わない?私のサンフランシスコ研修が実ったわけよ~。いい色で彼女を10才は軽く若くしたわァ」
その言葉に回りの美容師同僚が「あら、本当。素敵!」とかその前に座っている客までが「とても良いわァ。貴方」などと口々に云っている。
どれどれ、と私も目を開けて、、!(オェッ!の再度である。)
『若くしたって、、、元は何才から10才若くしたってのよ』栗色って、こんなに黄色だった?えっ、え~っ!
「どう、ママ。素敵でしょう?」と大得意なスタイリスト君と回りの店内の皆の目と笑顔が私に向けられている。
「え、ええ。上出来です。ありがとう」と云うのがやっとである。
『若くしてくれなくとも結構です。年相応にして下さい。』と云ったら、こんな茶髪、いや、黄髪にされなかったかなァなんて今思っても後のまつりというものである。
いや、それでも年相応なんてこのヘアスタイリスト君にはあまりにも漠然とした言葉になって、もっと違う赤髪にされたのかもしれない。
いやはや、、私も愚かな思考主よ。していえば、頭脳は年相応ということにはならないか。うん、そうだ。 賢さだけに年相応というものがあるのではないのか。
日本を出た19才のあの時の、それ以来は年を取り忘れてしまった思考力である。
愚かさだけはいつも年相応、というよりずっと、ずう~っと若いのかもしれない私の人生。
こちらの人達が愚かさをさして「貴方の頭脳はどこに忘れてきてしまったの」という問い言葉があるが、さしずめ私の頭脳は日本に置き忘れてしまっているのだろう。
この黄茶髪が剥げてその髪根元から白髪が見え初めて来た頃にはまたダークに自分で染め直そう。
髪は染め直せても、依然私の頭脳は益々若く、というより、子供返りとでも云おうか、細胞の数が減っていくのには違いないけれど、せめて見た目は年相応にしなくてはならない。
いつかは賢く生きてみたいものである。そして、「これぞ熟女、賢女の年相応の姿」と言われてみたいものである。でも、19の夏に頭脳を日本に置き忘れてしまって、当に紛失状態の私にはそれはもう無理というものか。はァ~。(溜息)
そこの貴方、貴方は年相応に生きているとお思いですか?
そうですか、羨ましい限りです。
自分に胸を張って人生をまっとうしようと毅然とした態度の貴方。
え?そうじゃない?ふ~む。私にはそう思えましたが、、、。

4/27/2007

お笑-ボトルトーク


年末や、祭日のホリデー連休日などとは違って、この時期の水曜平日での飲酒物販売部というのは、来客数が少ない。ヴァケーション休みの店員スケジュール補助として急遽配属された私はその日、退屈を極めていた。
開店時間の簡単な整頓を済ませた後は、特別にする事も無く、一応店内の様子をぐるりと見回ってはみたものの、独り、沢山のボトル相手では会話のしようもない。
ふ~む、なになに、、、今週の特売セールはクラウンロイヤルのデトナ・インター杯カー・レースの限定企画品発売、$23.99か、、。おや、側にはスミアノフウォッカの大瓶が$19.99とね、、。
これ等などは日本では売られているとしても、確かにもっと高値なのだろうなァ。インポート飲酒税は高いものであるから、、と。しかし、視るところではクラウンロイヤルはきちんと棚にかしこまっていて、ウォッカの売れ行きは上々なのに対して何だか負い目があるような、不服気に並んでいるではないか。
来客が無いのを良いことに、大声で(子or小声でなくてですよ)店内放送BGMに合わせて音痴声を出して唄ってもボトル達は唯もがシラーッとして並んでいるだけである。私の歌声は益々調子の波となって店内に響いており、それに気を良くしてタンタカタンとリズムつけてダンス宜しく瓶を撫ぜたり、棚に見栄えのするように並び替えたり仕出したところで、ふっと隣の窓越しに雑貨食品部を見ると、あちらの店員仲間が笑って私に手を振っている。
あ、そうでした。別に忘れていたわけではないのですよ。店内監視カメラがオフィスのスクリーンに私の唄い踊る姿が映し出されているにちがいない。主任達や支店長が苦笑、又は大笑いしているのやもしれない。ちょっと不真面目な私。でも、私はお構いなしにタンタカタンを続ける事にした。いいのよ、このくらいの娯楽が私にあったとしても誰にとがめられる訳でもないはず。(と、勝手に信じる事にした)
その後、一人、二人と来客があるのを機に唄と踊りは断念し、さて、、と。ダンマリを決めているボトル達の方に気を向けた私である。


ボトル達の会話:

V「アレッ、またお呼びがかかりましたか。我々ウォッカは何せ人気者ですからネ、ちっとは忙しいものですなァ。じゃァ皆さん、そしてクラウンさん、お先に失礼しますね~」

C 「『フン、何が人気者は忙しいもんか。田舎者のイモめ。我々のような上流(蒸留)ではないくせに、庶民に持てはやされて浮かれているだけじゃないのか。』ねェ、ジョニーさん、貴方はどう思われます?だってそうじゃありませんか。貴方達高級な者達は我々も含め、しっかり箱に納められていて、そうでなくてもいつも日頃から高級品として扱われますですよね。この店内でも一番高値をつけているのはジョニーウォーカー家のブルーさんですものね。かの貴族、ドム・ぺリニョンさんより高値なのですからね。
ヘネシーさんやレミーさんなんかも高貴な方達ですよ。それなのにどうですか、あのイモのスミアノフさんときたら、自分達が一番人気などとうかれているのですからね。ウォッカは芋で作られているのですから、庶民のそれも気取ったところでも田舎者には違いないでしょう?フランス出身のグレイ・グースさんときては小金持ちらしく、少しは高級に近ずくようにと、箱に入らない分を瓶自体を思いっきり素敵にデザインしてもらったつもりなのでしょうけれどね、所詮、芋はイモでしょう。第一、ウォッカの英語発音がヴァッカでしょう。私達高貴な出身のボトル達にはバカとしか聞こえませんけれどねェ。庶民的といえば、ワイン家もラム家もそうですけれど、この家系は料理やお菓子、ケーキなんかにも取り入れられてその道を高級レストランなんかにも進出していますものね。 日本出身のサケさんなんかも由緒ある家系らしいですしね。その分家とやらのショウチュウなるワインは聞く所では、その昔は庶民中の庶民の出だったようですが、今や若者や壮年層まで幅広く愛飲されていると言いますよ。これでしょうかね、ウォッカさんの狙いは。庶民出でもトップアイドルとしてもてはやされたいのでしょうよ。
そこへいくと、我々は王家(ロイヤル)出身ですから、箱入りの上、更にベルベットの袋なんかにおさまっていますですよ。もっともこの王家にだって異端者はおりますよ。小さな声でしか云えませんがね、あの10ドルの小瓶ですけれど、あれはロイヤル家の誰かが小間使いか何かに産ませた子に違いありませんですよ。小さくって、箱にも、袋にも入っていないのはアヤツのみですから。 ロイヤルのプライドを脱いでしまってはお終いですよ。
あ、客がこちらに向かって来ますよ、、、、。(静)」

V「クラウンさん。さっきから何をブツブツいってるんですか。ア、この客はフルーツドリンクを抱えていますから、また私達の出番のようですね。ウォッカのフルーツ割りを楽しむのでしょうね。では、またお先にバイバイ(売、倍)~」

C 「イモッ!X@#$%&*!!(クラウンロイヤルの悪態)先週と先々週の2度に渡ってコソドロに隠しもっていかれたじゃないか。店の主任達が血相を変えてコソドロを追っかけたけれど、結局盗まれても大した品ではないから、まァしょうがないなって云ってましたぞ。高級な我々は高い棚の上で、滅多にコソドロのマトにはならないのですよ。どうですか。貴方達のせいでアルコール中毒にかかる人を増やしている事も少しは思い知って欲しいものですよッ!」



その日のリキュール、ワイン、ビール達はいつまでも押し黙ったまま来客待ちなのであった。
しかし、最近の私は他人になってみたり、はたまた、動物や静物すらになって思考を広める夢見癖がすっかり出来てしまったようだ。これは多重人格性精神異常の発端現象なのかしらん。少々、否、多分に危ない私である。
こうして、わたしの退屈な飲酒販売部の一日は過ぎていく。スローに、スローに、、。
退店時間までにはまだ裕に1時間はある。さてと次は何をしようか、、、、。

4/22/2007

泣き虫


喜怒哀楽の最高潮に達すると、それのどの時にも涙がどっと押し寄せるようです。
加齢によってはそれが段々と麻痺化するのと、過剰化するのとに事は分けられてもくるようです。しかし、喜怒哀楽の他にも涙を流し、号泣する時があるものです。体力の低下による疲労感からも、激務から開放された虚脱感や、何かをやり遂げて次の段階に進む時にそれまでの築き上げた実績の元の進路が閉ざされ、急に前方が空白に広がって新しい道の導が見当たらない時にも何やら理由無き涙が出てきてしまうと言う事が揚々あるものです。
昨夜の孫娘がそうでした。

小、中学校をトップの成績を保ち、大きな希望と期待とを胸に秘めて高校進学した9年生の彼女がハイスクールのカラーガード(旗、剣、などを使ってのフォーメンションダンスの事)のクラスを取り、それまでの彼女の半生を費やしたバトントワーリングの個人成績が評価され、学校異例のワールドガードフロントラインに抜擢され、張り切ってはいたものの、毎日を厳しい練習と、週末の遠征大会のハードスケジュールに体力と思考力に大変な負担を負っているのが傍から観ていてもはっきり見て取れる状態に私等、家族は少なからずも彼女の身体を按じずにはおられませんでした。州大会、地区大会を順調に優勝を収め、いよいよ全国大会へ出かけるに際してのそのハードなスケジュールにはどの親達も疲れきった我が子への思いに少なからず辛い思いを共に味わっていたのでした。
銅賞を必ず収めるぞといきまいてオハイオ州での5日間に渡る全米大会に臨んだのでしたが、ファイナルで0.5ポイントの差をもって銅賞を昨年のゴールドメダリストだった他州高校に取られ、全米4位の値についたのが彼女等を落胆させたものか、夜も深まった遅い帰宅時の彼女は不機嫌極まりない様子で無口でした。
この10日間の間の彼女の睡眠時間は平均5時間であり、帰宅前日は大会と終了後帰宅移動機中で少々のうたた寝をしただけに過ぎず、その疲労感は極に達していたものでしょう。

軽い慢性不眠症に悩まされてその夜もあれこれ考えては寝付けずにいる私の耳に泣き声が聞こえました。耳を澄ますと、それが明日の登校に控えて帰宅して直ぐにベッドにつかせた筈のKの部屋から聞こえます。私は彼女が健康を害して苦しんでいるものかと案じ、ベットを飛び起きて奥の彼女の部屋に行きドアを軽くノックしてからドアを開けたのでした。
「如何したの?具合でも悪いの?大丈夫?」
振り返った彼女は私の入室に驚いた風で、「あ、ううん、大丈夫。帰宅した事をママに電話しているところなの。心配しないで。おやすみなさい。」と無理に笑顔をつくろっても両目から大筋の涙が流れたままになっていたのでした。
あ、そうなのか。彼女は疲れて、そして哀しくて、暫く会う機会もなかったママの声を聴きたかったのだ。誰かに思いっきり甘えて話を聴いてもらいたかったのだ。私は直ぐそれと察しました。
我が家の家族構成は他の家庭と違って、私が母親役で、教育や躾けと、その他の世話役と保護者であり、生みの親のママは一ヶ月に2日間程を訪問する友人、又は優しい祖母役であり、ママと私のその役どころが入れ替わっているのです。
3人の孫達の一生に於いて、母親と一緒に生活したのは合計で6ヶ月間もないかもしれないといった具合なのです。私達が母親との接触を拒んでいる訳でもなく、母親が遠い地に住んでいるという訳でもなく、子供達が両親に生活に関わるのを今となっては左程の期待している訳でもない。私はそう信じていたのです。

私がドアを閉めると同時に彼女はまた泣き声を上げてママになにやら訴えている。そんなに大泣きしている彼女を見た事が無い私は立ち聞きは悪いかと、ちょっとは思ったものの、すぐドアの側から離れられずにいた。
「私ね、学校の成績が今までで初めて悪いの。でも、どうしたら良いのか解らない。グランパもグランマも私にとても期待しているのに、私は段々その期待に添えられない子供になってきているのよ。何もかもどうしたらいいのか解らなくなってしまった、、、、。(大泣き)最近二人ともあまり健康じゃないの。でも私達の為に仕事に出ている。それでこの頃グランパはとても不機嫌なの。私のせいでママとダディが別れたみたいに(ある事情から彼女が勝手にそう思い込んでいて、未だにその考えを変えられないでいるらしい)、グランパとグランマが不仲になるのが怖い、、、(大泣き)私の頭の中がぐちゃぐちゃになったみたいで、考える事もできない、、、、。」後は泣きじゃくって言葉がよく聞こえない。
嗚呼、何と可哀想な子。彼女が心から甘えたいのはやはりママなのだ。こういう時には、ママと言う存在が、心の奥に秘められていて、『ママ、私を捨てないで~!』と云って泣いてママの車を追い駆けた時の、あの幼い彼女の悲痛な思いが、今もどっと彼女の心から溢れ出て来たのだろう。

翌朝少し泣きはらした目を伏せて平常通り登校する彼女に私は何も聞かない振りをして見送り、勤務中に彼女を元気付けるにはどうしたものかと休み時間に、夫に電話した私でしたが、何時道理に接するほか無いというのが私達の同意見で、彼女を元気付けるべく“頑張ったね、これからも失敗や成功、人生には色々あるけれど、それもこれも全部が貴女の体験として有意義なものですよ。これからも頑張り続けようね”と書かれた元気カードを添えて彼女の好きそうな小物入れバックを「お店の今日の新製品が可愛かったので」と渡したのでした。
下校時の彼女は作夜の涙が嘘のように明るく「可愛いバックありがとう。あのね、先週貰った成績表なんだけれど、AにB+が一つで総合点が4.08なの」4.0が通常最高単位でそれにおまけまで取っているのでトップの好成績と云える。何故これが悪い成績だと泣いていたのか、訳がわからないのはこちらの方である。
「昨日はどうしてあんなに哀しかったのかしら。唯だまっていても涙が次から次に溢れてきてどうしようもなかったの。日頃あまりしようとも思わないママに電話したのも如何してか解らない。多分私の日常生活を知らない彼女に第三者の目で聞いてもらいたかったのかもしれない。だって彼女は家族とは云えない人だから。」とケロリとしたものである。
続けて云う。「グランマは泣き虫よね。今までにグランマの涙を何回か見ているもの。私ね、最近段々その遺伝子が私の中にあるのだと意識するようになってきているの。自分がこんなに泣き虫だとは今まで知らなかった。」
これからの彼女の人生にはまた何度も大泣きする状態に陥る事だろう。その時は「私はグランマ似の泣き虫なの」と言うのだろうか。
やれやれである。こんなところは似てもらいたくないものだ。

4/07/2007

或る日の職場で 続この3人の場合



Cの場合2

やはり目測が当たって待望のアシスタント・マネージャーの地位に昇格された。主任長と組んだ事でやはり彼女の強い推薦があったらしい。
それに支店長には何気なく彼のお気に入りのオリエンタルオバサンをトレーニングしたのはこの俺様だと云ってやった。
ところが何てこった。支店長は俺と主任長がグルで販売成績向上に協力していないとこの俺様を企画からはずし、オリエンタルオバサンをアシスタントとしたではないか。
主任になって支店長から一番頼りにされていると思っていたのにだ。
それに主任に成ってから連日、第一の仕事である売り上げ勘定が合わないのは、最近他店から来た女の子が小銭を盗み取っているのではないかと確信し、彼女にちょっと嫌味を言ってやったら、その子が泣いて帰宅してしまい、その仕事の穴うめをしなければと思い、オリエンタルオバサンの休みを承知で急遽出勤を頼んだ。
オリエンタルオバサンが出勤を承諾してくれ、電話伝言を受けて直ぐ来てくれたので支店長からは減点を食らわないで済むと思いきや、例の彼女が翌日支店長に辞表を出し俺様への恨み言を並べたらしい。
後から主任長に聞いたところによると、あのオリエンタルオバサンが支店長に誰が泥棒の犯人であるのかを忠告してあったそうだ。しかもそれは俺様が自分のアシスタントに選んだあのKだったとは。小銭程度の問題なのでKは他店へ飛ばされ、そして彼の仲間のJは非を認めて退職した。
しかし、あのオバサン、どうして彼等が怪しいと知っていたのだろう。やはり皆が言うように地区長の回し者なのだろうか。
その後地区長の方から店内捜査が入り、俺様の企画がことごとく販売低下の要因を作っていると指摘され、最近では主任長までがこのオリエンタルオバサンをアシスタントに使い出し支店長に取り入り作戦と出て、俺様の出る幕がなくなりつつある。今は主任になったからは他店に修業を口実にいつとばされるかと、冷や汗の毎日なのだ。
以前いびってやったイラン人酒飲部主任はオリエンタルオバサンの夫の職場で優秀な大勢の中から選ばれて待遇入社(大学は入社とは言わないのか)したらしい。
あんなに彼の退職を激怒していた支店長もあのオリエンタルオバサンのプランでは仕方ないと、また直ぐ気を取り直し、返って自分達に非があって退職したのだとこの事でも俺様の方に悪い矛先が向いてしまったのだ。
以前勤務していた同僚から聞いた話しに、オリエンタルオバサンは精神的に参り易いらしいと聴いたので、時々彼女に脅しを掛けてみたりするのだけれど、彼女が動じている風が無いのはあれはガセネタだったものかなァ。
彼女の電話応対はマニュアルに載せられたものでいつもきっちり応対をするのをしっていて、時々無言電話を数回続けたりして様子をみたり、女の人が気味悪がる物を彼女の目の届くところに前日置いておくのだが、人の話では彼女は平気でかたずけをしているとか。でも内心はビクビクなんだろうよ。そうであって欲しい。何か巧い手立てで彼女を脅かしておいて、『何も心配しなくても僕が守って職場生活を快適にしてあげるよ』と彼女を見方につけるつもりさ。
それで、支店長にまたどのようにまた取り入る事が出来るかが問題だな。
オリエンタルオバサンはこのごろ俺様には慇懃無礼と言うか、笑顔で接客しているかと思うと、次の瞬間俺様の方に向いた時には真顔でしかとをきめているようだ。主任長は今こそ支店長と巧くやっているそぶりをしているが、やはり俺様の事を気にしてくれて時々こっそりと「支店長のいう事をそんなに気にしなくても私がなんとかしてあげるから」と言ってくれている。
でも、もしかしてその主任長もそろそろ他店移動の時期かもしれないから、そうしたら、また何か巧い方法でのし上がらなければ、これから主任長になるのは、そしていつかは支店長になる道が険しいようだ。
それにしてもあのオリエンタルオバサン、本当に俺様には目の上のタンコブの様な存在だな。どうしてくれよう。

Mの場合

この支店に転勤する前の支店長RのワイフJがここに支店長アシスタントとして長年勤めていると聞いて、彼女と組めば販売成績向上企画プランがスムーズにいき、本社から認められる日が案外早くやってくるかもしれないと大いに期待してきたのが、もののみごとにそれが失敗案である事に気が付いた。
Jはおしゃべりで、皆から好かれてはいるけれど、その仕事振りは適当で、他主任達にも厭きられており、彼女が主任試験を受けても支店長Lが彼女の仕事振りを認めない限りは彼女が主任には推される事は無いだろう。
そこで、一番バリバリ仕事をしている(と思われた)これまた主任試験を受けて長年支店長から待ったを掛けられているCを推して、主任にして、そして彼と組み協力してこの店を伸ばしていこうと考えた。
支店長は私がCをアシスタントにしたことを最初は喜んでいる風で私の申し出を受け、彼を主任に昇格したのだが、これがいつからか支店長が我々二人の企画が気に入らないと何かにつけては批判評価するようになり、接客係Nが夜勤から日中勤務に回ってきたのを機に彼女をアシスタントとして起用し、主任としての仕事を任せてしまう事となった。
私はプライドを傷つけられ、最初の頃はどうもこのNのことが好きにはなれず、この先どうしたものかと落胆せずにはいられなかった。
そこである日、支店長休みの日に、日頃から私の主任管理がなっていないと指摘されていた昨年からの遣り残しの倉庫整理やカウンター整理をNに「日にちはかかっても、自分の思うようにしてやって全部済ませて下さい」と渡してやった。
ところが、Nはその日のうちにかたずけ「これで良いかどうか確認して下さい。」と云って来た。
翌日支店長がそれを見て「君はやはり主任長として力がある」と誉めてくれた。Nはそれを側で聴いて、私に笑顔で応えた。そこで私は気がついたのだ。私はNを見間違っていた。彼女は私の見方であり、敵ではないのだ。
以来、Nと一緒にタバコ管理(これが、ずっと何故か経理書とかなり誤差があって)をしたり、商品額管理、人事関係にも協力してもらい、遂にはこの地区売り上げ第一店になった。
最初は小生意気な小娘と思っていたNが、実は3人の孫を育てている年長者である事を知ったのは驚きだった。
今は支店長と協力体制が巧く出来上がってきているので、Cが面白くない顔を私に向けたりしてもあまり気にならなくなった。
この支店にあとどのくらいの時期を勤めるのか解らないが頑張っていこう。このフロリダ州内の690店舗の中に女支店長は3/1も満たない、まだまだ男社会のこの世界でどこまで頑張っていけるかが難問だけれど。

Moの場合

以前の化粧部員は接客のみで店舗の美化にはあまり関与していなかったものだろう。
私が8年間勤めた店から、一年前に購入した自宅の近くのこの支店に転勤してきて、化粧部の販売員としてこの支店の売り上げを400倍にもしたと支店長を歓喜させ、大いに感謝された。
なのに何故、最近は売り上げが伸びないのはどうしてかと問われて、デスプレーに問題があるのではないかと支店長自身がそのセットを見直すことになった。
この店古参であるJはデスプレー及び価格表示のフロアー設置員であるけれど、何もかも非常にスローでオマケに私に彼女の遣り残しが回って来るのには大不満の私である。でもJは私にとっては楽しい井戸端会議には無くてはならない人物で、朝Jが出勤するとまずはお互いの生活報告をせずには一日が始まらないのだ。
私の定休日には接客係のNが化粧部で販売とデスプレーを行うのは何故なのか私には今も理解し難い。おまけに最近ではNのみに価格調整&表示見直し権利があるとかでコンピューターに表示される価格は彼女以外は皆が主任から承諾を得なければならない。
私がNと話すのは仕事に事ではなく、主に子供の学業上のプロジェクトの事とかで、Nは子供3人を育てているとかで、事プロジェクトの件に関しては彼女に聞けば大体の問題が解決される。なにせこちらの学校ときたら私の母国パキスタンでのそれとはまるで違っていて、オールAの息子ではあっても親の協力無しではプロジェクトが出来ない仕組みになっていて、それだけに彼女の情報は私にはとても大事なものなのだ。
第一虚弱体質の私がこの店に勤めているのも、この息子に彼の欲する全てのものを与えてあげたいという一心からだ。パキスタン人同僚のMwにしても彼女は未だに11歳になる息子には食事の際に彼女がスプーンで彼の口まで運ぶのだそうだ。
男、息子を大事にしないパキスタン女性は悪女であるのだ。
それにしても私もMwも息子一人だからいいけれど、Nは男の子が二人に女の子が一人いるそうだ。大丈夫なのかしら。あの勢いで仕事をしているからには多分彼女は学業以外では何も子供達にはしていないかもしれない。店ではいつも笑顔接客でも家では案外不幸な人なのかもしれない。
私は子供が幸せであれば、夫も幸せで、私は悪女でなくて良かった。

3/23/2007

お笑いーハチャメチャ城内


昨年の暮から風邪が肺に炎症をきたしたものか朝夕のゲホゲホ咳が家人を睡眠不足に追いやってしまったり、一昨日には流動食のみが喉を普通に通過できるような始末となって、最近は日中の勤務中に息を殺すのにちょっと不都合が出てきたのを期に重い腰を(身体そのものが体重オーバー)やっと上げて医者がかりとなる覚悟で行って参りました。
診療前に体重を計って『ゲッ、、またまた体重増新記録だァ、、』と溜息をつき、採血には『ワッ、、素人目にもドロドロ血だァ』とうなだれ、聴診器をあてられて大きく息を吸ったところでゲホゲホ&ゲホッと涙目になった私でありました。
「貴女のハズバンドも昨年は肺炎で即入院と云ったその日に、連絡が付かないと思っていたら平気な顔を装って出勤していて入院忠告を無視しましたっけね。貴方達夫婦は医者泣かせの患者さんですよ」とお叱りを受けてしまいました。
これでまた朝夕に取る薬品の瓶が増えてしまいましたですよ。う~ん。困ったものです。
勤務先の薬局で投薬を受けるので支店長がその投薬書類を見たものか「How are you, today?」と日に4度も聞かれてしまい「I'm just fine, thank you!」と笑顔で繰り返し応えるのが面倒でした。

そこで、(どこで?)支店長曰く朝の6時~7時の一時間が医療・薬局課が一番仕事が溜まってしまう時なので薬剤師アシスタントをしてくれたら助かるのでトレーニングを受けてくれないだろうかとの依頼。
多分薬局は頭脳労力が必要で自給も多く、体力労働の食品&雑貨又は酒飲料課より私の身体には楽なのではないかと踏まえてくれての事らしい。しかし雑貨販売企画のヘルプからも抜けて欲しくないらしい。
雑貨部のトレーニング&テストは全部で12程のコンピューターテストで簡単にチョチョィのチョィなのですけれど、やはり薬品部となるとそのテストも少々難しいようでこの今の私の脳細胞の数がそれだけまだ残っているかどうかがねェ、、?であります。
何だかこの年でいよいよこの仕事にのめりこむ事になるのもナンダシネェ、はっきり云えば支店長の年俸ボーナスの手助けをする為のヘルプであると思うと少々(支店長には販売成績でボーナスが支給されるのです)思案中です。

お笑いハチャメチャ城内

「N喜代よ、のう。お前のゲホゲホで昨夜は明け方は目が冴えてしまったぞよ。どうにかならんのか。藪庵殿の診て貰ってはいかがなものか。」
「わ~ち~き~が何やら病にかかっているとお思いかえェ~~」
「お前の医者嫌いも困ったものよ。診て貰って、悪いものは退治し、何もなければそれはそれで善しとすればよいのではないか。
それに、もうその年では花魁は務まらぬではないか。お前の枕話を書きとめたものが面白いものか今でも人から付文をされたり、声をかけられたりしているのだろうが、近頃ではお前の手が痺れて思うように動かなかったり、脳細胞破壊も多いものだろうから、書くことにも侭成らぬ様にならぬうちに、のう、藪庵の所へ行って参れ。」
「それでござんすよォ~~旦那様、最近藪庵殿の方から何やら連絡を受けたものか薬治療所の方で暫く身を置いてはくれないか、花魁よりこの場は何かと話題多い場所であるとの事でありんすと~~」
「おお、それは良い話しではないか。今はその厚白塗りの顔では年も隠してきたのであろうけれど、その実は花魁業より唯の壁の花ではそちもつまらんであろうて。お前が高下駄を上げ損じてつんのめってケガをしたと聞いたぞ。もう若者と向こうを貼るのは辞めにする時期はとおに過ぎている事を解っても良い頃だぞ」
「あれェ~~、旦那様。わちきはそんなドジはしませぬわいなァ~。それは若衆の貴方様への嫉妬のあてつけにござんしょう~。動きのパフォーマンス中にゲホゲホも堪えておりま~~す~~るゥ~~」
「それにしても、藪庵はそちには何か優しいのう。お前が藪庵にいると町人達が何やら別の世の者を見る珍しさからか集まってきて、藪庵は稼ぎに忙しいと聞くぞ」
「それは~~わ~ち~き~が藪庵殿にお役に立てて宜しゅうございますけれど~~、これとてわちきには嬉しくもありィ~~、迷惑でもありんすわいなァ~~」
「無理のない程度に良きに従え、N喜代よ。」
「あァ~い。良きに従います~~るゥ~~~」

かつてN喜代はタモトでゲホゲホを隠して高下駄をスニーカーに履き替えてドタドタと藪庵に向かったのでありました。

2/17/2007

文句あっか!その1 影武者


いやァ、私達夫婦というのはやはり似た者同士なんですよ。今日つくずくそう思いましたです。

この2007年の晴れの日、夫の再就職先の大学でフォーラムを兼ねた式典がありました。成績優秀苦学生に奨学金の授与式もあり、学生達が模擬店を出したり、航空課&自動車課なので沢山の自動車会社やセスナ飛行機会社などからも出展があり、人出も多く盛況な催しとなりました。
夫がその勤務を請け負う3年もの前からその取り扱いのノウハウをしらない大学側は空港にパークしたままになっていたその貰い受けた教材飛行機は、貰い受けたままの状態で学生がその教材を使用するために空港に出かけて出張クラスになっていたのです。
それを夫が退職先のコマーシャル航空会社での経験をフルに活用して彼が勤めてのこの2年間で法律関係、契約証などを取り揃えてこの度、やっと大学に飛行機を移動設置クラス開校にまでこぎつけたところです。
式典には州教育委員長や学長、各大会社の役員などが正装で参列しています。
と、ここで夫はと云いますと、運動靴に学校関係者文字入りのTシャツにジーン。
役員及びご招待客席にも彼の名は無く、テーブルの用意やら、手配やらをやって動き回っています。
黒の正装にマイクを持って、晴々しくこの式典を取り仕切っているのは夫の上司である航空&自動車部理事長のGであります。
実は、Gが他のキャンパスから航空&自動車部の理事長として配属された時、彼は大慌てでこの飛行機の設置を思い立ちそれを伝に出世街道を登ることを考えたのですけれど、それをどうやったらできるものか考えたところ、これを新しいノウハウを知る人材を採用する事に掻けた訳であります。
は~い、ここで夫の登場とあいなります。よく名の知れたコマーシャル航空会社を退職し、世界中の支店を再建して回って人脈もある彼には適任の仕事となるはず。そして夫はその期待通りに働き、今日の日を迎えたのであります。
大学関係者は夫の力で今日の日を迎えたのを知っておりますので、彼の部下達はGは出世の名売りをする為にあたかもこれが自分の効力として自己の名を学校史に残したいのだと皆が陰口を言い合っています。
当の夫は「自分はもう退職の身でこれ以上の出世も望まないから、Gが私の力を利用したとしても、それはそれでいいではないか」と言います。
今は私の職場同僚ではなく、夫の配下になった友人に2ヶ月ぶりに会った。
「彼は職場同僚皆に好かれているよ。出世を気にしないから上にへつらう事をしらいしね」と夫を称して言ってくれた。
得意顔で仕切っているGの妻が私達のところに挨拶に来た。無論彼女は招待客席に座るのだ。
「この頃雨空が多いのに、今日はなんて式典日和なのでしょう」と彼女。
「ええ、色々な諸手配で一番のオーダーに苦労したのは天候です。何せ私は宗教家ではないので神様に祈りが聞き届けられるかどうかが心配でしたけれど、オーダー通りのが届けられたようですよ。でもちょっと肌寒ですけれど」と夫。
その直後、南キャンパス学長Pが自分の家族を帰したのを機に私も式典には残らない事にした。
多分中国人家族の学長が私の気持ちを思い図って自分の家族をも式典招待席に座らせて出席させる事に少なからず抵抗を感じ取ったものやもしれぬ。

先日私が「しかしね、力の無いGが貴方の仕事を自分の高名力に使うのは感心しないわね」と云うと、「君だって今の職場でマネージャーのシャドー的存在で彼等に力を貸したりしているではないか」と言われました。
あ、そう云えば、そうかも。うん。
きっと夫も大役を成し遂げたという満足感が名勢力感よりも自分を支えているのに違いない。6年前に受けた心臓の大手術後の活動60%以下心臓で成し得た仕事としてはあっぱれと言って上げたい。
え~、何だかA(C夫婦です。(へへ、ずいぶん古いギャグ。エーカッコシーなんて今は誰も使わないですよね)
でもね、これでいいのですよ。
私達は影武者ですから。ね、A(Cで何か文句あっか!デス。(大笑)

2/13/2007

残り物に福


10円玉をにぎりしめて兄と二人近所の駄菓子屋さんに駆けて行った。薄給の教員の父と、入退院を繰り返す病弱な母と、子供2男一女の家計からは幼少当時の私達がおこずかいを貰うという機会は滅多に無かった事だが、どの様な状況でその小銭を手にしたのかは今は思い出せない。
まだテレビなども全く思いだにせぬ昭和の戦後も間もない事であったので、当時の子供達の娯楽と言えば駄菓子屋からビー球やめんこ、そしてクジ菓子を買ったり、紙芝居のおじさんが来ている街角でおじさんのだみ声で聞かされる冒険談やら、童話やらを遠巻きに見学する事であった。
駄菓子屋さんの店先で「当たりクジ」と言われていたくじ引きをする事は何やら運試しの要素がありスリルを味わうようで子供心をワクワクさせた。それはメレンゲを固めたような砂糖菓子をそのクジであてて貰うというもので、束になっているクジ紙から一枚を引き抜き、舌でそれを舐めると蝋で書かれた文字が浮かび上がるというものだった。
その束の殆どが「スカ」で、ハズレを意味し、白い波状になっている固まりの砂糖菓子の一片を貰うことができる。次に「アタリ」が数枚、多分今思うにその菓子箱の大きさからして花形の塊が9個ほどあった、そして「大アタリ」が白い波状の中に4色の花がついていて、4個が箱の下段に収まっていた。
1クジが1円であったので(今の若者達にはその価格感覚も、その安っぽい砂糖菓子が私達には魅力のお菓子であった事も、彼らの想像外である事に違いない)その時の心情を今でも良く思い出すのだが、半分の5円は当時の流行り遊びで色鮮やかな細いビニール製の糸をマカラメのように編みこんで腕輪などをつくるビニール糸を数本買い、残りの半分の5円でクジを5本引ける計算になると私は有頂天であった。
が、息せき切って駆け込んだ店頭にはそのクジ菓子箱が見当たらなかった。
「ちょっと待ってろ。どこか他に置いてあるのかもしれん」と半泣き顔でぼんやり突っ立ている私に兄が声をかけ、その狭い店内をウロウロ捜し求めているところへ「あんた等、何を探しているのさ」と店のおばちゃんが顔を出した。
兄は何か悪い事をしていると思われたかもしれないとの羞恥心からか慌てて「いや、、その、、」と口をパクパクさせただけで、言葉が続かない。
「クジ、、、クジがないね、おばちゃん」と私は思わず小声で兄の言葉にフォローする。
「あァ、クジ菓子ね。今週は問屋さんが休みでね、新しいのがはいらなかったのよ。残り物で良かったら買うかい?もう殆どクジが引かれてあんまり残ってないけどさァ」
「うん、買う!」と兄。「買う、買う!」と私。
おばちゃんが奥の部屋から数ヶ月は埃に塗れながら、棚に並べられていたために日に焼けて色あせた、その厳かなる(私達にとっては宝のような)箱を持ってきた。
本当だ。クジの小束はその殆どの紙がちぎり去られ、歯抜けのような状態で、合間、合間にかろうじて数枚の紙がのこっているにすぎなかった。
「クジ、引かなくてもいいよ。これ5円で箱ごともって行きな」とおばちゃん。
えっ?いいの?本当にいいの?ぜーんぶを5円で。
それには「スカ」ばかりではなくて、「アタリ」とそして、「大当アタリ」も残っているのだ。
わー、凄い、凄い。生まれて初めて下段に入った大当たりの箱1/4もの大きい砂糖菓子を2個も手に入れた。しかも上段のスカの小さいのはたった4つほどで、中段の当たりのも箱半分は残ってるし。母が日頃云っていた『残り物に福』とはこの事なのだ、と幼少心に思ったものであった。
当時の大事件でもあるかのようにその過程をはっきりと覚えているにもかかわらず、その帰宅後に兄と、どの様にその菓子を分配したのか、大輪の花が咲いたようなクドクドとした色合いのその「大アタリ」菓子がどんな味だったのかもまるで記憶には残っていない。

先日いつもの軽い不眠症の時間をもてあましている私の脳裏にふと、あの砂糖菓子の記憶がよみがえってきた。
さて、これは、、うつら、うつらと思うに、今の私の人生に、いままでの私の生き様そのものであるようではないか。
今までの私の人生に沢山の数ある束の中から「スカ」を随分引いて来た。
そして、たまには、たまーにではあるけれど、確かにそれなりに「当たり」も数本引いたように思う。
しかし、「大当たり」はまだ出ていないのではないか。いや、確かにまだ出ていない。
と言うことは、今現在の私に残された年数が短くなってきているにおよび、人生後半期に当たるいままでに未だ引かれずに残っているという事なのだ。
あの駄菓子の残り少なくなったクジのように、或る日私が「大アタリ」が出ますようにと祈りながらクジを引こうとした時、神様が「いいよ。人生の運クジがもう残りも少なくたってきたことでもあるし、ここらでもうみんなもって行きなさい」とおっしゃって古いけれどもその人生という私の箱を全部持たせてくれるやもしれない。そして、その箱を覗くと、「大アタリ」が光輝いて見えているに違いない。「大アタリ」は何本あるのかしら。
多分「スカ」は殆どこの年までに引き抜いてきてしまって、あとは「アタリ」と「大アタリ」が残っているだけなのかもしれない。
私の人生「大当たり」とはどんなものなのだろう。考えると何だか楽しみが残されている気分になってきた。

ならば、今までの生涯を「スカ」を引き続けても残されている「大アタリ」を思えば、何やら楽しいではないか。まだ人生を諦める事はしないでいよう。スカとそこそこの「アタリ」の人生でも、まだ「大アタリ」が何かの拍子に手に転げてくるやもしれない。
大アタリがかたまってどーんと私の所にやってくるやもしれない。
あの駄菓子屋のクジのようにだ。
そうしよう。そう思えばこのままの人生でも悪くは無い。
人生の大アタリを貰ったら、駄菓子屋のおばちゃんにありがとうと大声でいった時の幼児の私にもどり、「わー、凄い、凄い」と大当たりの箱を手に天国に駆けていくのかもしれない。
『残り物に福』と亡き母がいつも云っていた通りに。

2/03/2007

笑う理由、笑えぬ事情


N子の顔が横を向いてちょっとだけ眉をひそめたが、直ぐに正面を満面の笑顔に変えて「こんにちは。ありがとうございます。また今日も1日良い日でありますように」と一通りの挨拶で客に買い物袋を渡した。
回りの人達は彼女が何故眉をひそめるかを理解できないだろうし、その横顔を見る人もいないので、彼女はいつもと同じ笑顔の『ハッピー・ゴー・レディ』としか写っていないはずである。
彼女がこのような一瞬の曇り顔を見せるのは陽気な常連客が「ハ~ィ、ビュティフル!」とか、「ヘイ、ヤングキッド」とかで彼女の呼びつける事にあるのだ。
彼女は同僚(上司)が彼女を「スィーティー」だの「プリティキティ」だのと呼ぶのにも大抵抗を感じている。
『いったいこの人達ときたら、私よりずっと若いということを知らずにいるのだけれど、親しさを示しているつもりかもしれないその行為が何とも女性軽視的だとは思わないのかしら』と彼女は心の中で独り毒ずいたりするのである。
30代か、その頃だと、それが何とも感じなかっただろうこれらの愛称も、50代ともなると、しかももうすぐ60代が目の前である今、このような呼び名では何とも子供騙し言葉としか響かなくなったとしても誰にとがめられるものでも無いのではないかと思ったりするのである。
「日本人女性は美しいなァ。本当に憧れるよ。君と結婚している旦那が羨ましいよ」などとちゃかし半分の若い輩がねちねちと目を光らせて語りかけてくると、またしても心の中で『ヶッ。ご冗談を。中国と日本を地図で探せないような頭脳で判断する美女になど私は成りたくない!』と叫ぶのである。
勤め始めの当初はまるで違う世界の中にいるような、それまでは自分が客側だったのが初めて雑貨薬局の接客側に立ったもの珍しさもあり、「この世界ではこういうものなのか」と変に感心する事が多かったものである。
しかし、このアメリカ東海岸一帯はやはり、西海岸側とくらべてその生活は多分に保守的であり、各種の偏見差別も風習的に残っていて、時には酷く文化の遅れた世界にタイムスリップした錯覚を起こす時すらあるのだ。
「僕が切腹を覚悟なら君と付き合ってもらえるのか」と聞いた若者がいた。
『切腹?何故私が君と付き合うの?なんじゃいね、これは、、』あははは、、とその時N子は笑ってしまって当の若者を少なからず傷つけた事を知らぬふりをしてきた事にも、そのバカバカしい無知な思考にも腹が立ってならなかった。
笑顔を艶目使いと勘違いする若者達よ、日常の生活の笑顔は何も特別な事ではない事を解って欲しい。
嘲笑かふざけ笑いか、艶目使い笑いか、照れ隠し笑いの他にも色々な笑いが、笑みがある事を忘れてはいませんかね。
多分こんな事を特別取り上げて考えるN子は偏屈人間なのだろう。きっとそうだ。
しかしながら、今日も彼女は来客の全てに嘲笑でもなく、ふざけ笑いでも無く、艶目でも照れ隠しでも無い、彼女特有の笑顔を振りまくのを止めることはできないでいるのである。